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SNSも怖かった私が、Noteを始めるまでの葛藤と突破口

私は今までFacebookも、インスタも、ツイッターも、ブログもしたことがありませんでした。なんとなく怖かったのと、いちいち心がざわつきそうで、意図的に避けていたのです。

そんな私が今年、こうしてNoteを始めました。とはいえ、Noteを始めるまでにも相当時間はかかっています。「伝えたい、伝えたい!」という気持ちが強くなってきても、なかなか一歩を踏み出せずにいました。

実は、「ソーシャルメディア、やりたいけど、やるのが怖くてちょっと悩んでいる」という話は、自分のコーチとも度々話してきたことでした(そう、私はこういうこともコーチングの話題にしています)。そのおかげでだんだんと障壁は低くなってきたのですが、最終的に、「何が怖いのか?」を見つけ出すまでにはずいぶん時間がかかりました

私は、ソーシャルメディアで発信することの何が怖かったのでしょうか?


それは、「不特定多数の、どのような状況で、どのような想いでいる人なのか分からない方に向けて、KYな発言をしたくない」という葛藤でした。
私は普段のコミュニケーションでは、いつもはすごく気を遣って、その人その人に届けたいメッセージと、その伝え方を考えています。それが成り立たない発信の場だということが怖いのだと気づいたとき、それが突破口になりました。

そもそも、いつも気を遣っているとはいえ、それは私の自己満足なのであって、本当にその人がどういう状況でどういう想いでいるかなんて、私には分からないですものね。

その気づきのおかげで今こうしてNoteを始めることができました。そして今すごく楽しく、そのことに気づくことができて本当に良かったと思っています。
 
これは大学院の修論を書いているとき気づいたことなのですが、ブログも立派な引用元資料になるんです。ブログの引用の仕方のルールもちゃんとあります。きっと、ブログ作者の方は、そんなふうにご自身のブログが、論文の研究材料に使われることなんて意識されていないと思うのですが、私にとっては、非常に貴重な資料になり、とても助かったということがありました。
その経験からも、発信することは、自分が意図していないところで、誰かの役に立つことができる可能性があるのだと感じたのです。
 
私もいままで、自分が悩んでいるとき、解決の糸口を見つけたいとき、たまたま検索して見つけた誰かの発信内容が参考になったり、元気づけられたことが今まで何回もありました。
 
このNoteも、私が意図しないところで、いつか、どこかで、どなたかのお役に立っているかもしれないと思うと、なんだか嬉しい気持ちになるんです。
 
私は、自分が積み上げてきたもの・楽しいと思うことを「世界中のどこかにいる誰かが受け取ってくれるといいな」と、川に笹船を浮かべる感覚でNoteを楽しんでいます。
 
なんとなく怖くて、発信を避けてきた方がいらっしゃったら、何が自分をブロックしているのか、その根本原因を探ってみてはいかがでしょうか。
 
ちなみに、私はNoteとだいたい同時期に、インスタも始めました。
これは、自律神経の専門家である小林弘幸先生が、「自分のためにSNSを活用することが、自律神経の調整になる」ということを御本のなかで書かれていて、そのお言葉が背中を押してくれたからです。
 
「自分の日常の小さなリセットをして、コンディションを整えるために一日一枚写真を撮り、ほんのわずかなはり合いとしてSNSを活用する」
 
たしかに、心躍った瞬間を写真におさめ、それを公開すると、「今日も心ときめく瞬間があって良かったな」と思えてすっきりします。
 
2023年、初めて取り組んだことは、発信するようになったこと。
とても良かったなと思っています。

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