第2部が第1部を補完する『チェンソーマン』#119話 扉とアキのちょんまげ
こんにちは。
これから考察パートはそうであるか否かに関わらずこのタイトルで行かせてもらいます。超個人的な見解で深読みするけどよろしくね。
106話から考察を全く書いていないんですがすっ飛ばして今回は119話の考察です。106~118については後で絶対書く。
ネタバレをしているので原作を読んでいない人は絶対に読まないで!!!
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1、ルールについて
デンジはアサが家に来るなら条件として「ルールを守ってくれ」と言った。そのルールは(ここまでで判明しているのは)3つ。
①アパートの俺ん家以外のドアは開けちゃダメ
②冷蔵庫は開けちゃダメ
③そいつの前では絶対に俺とイチャイチャしないでくれ
③がダメな理由はナユタの嫉妬と支配欲によるものと仮定して、
①と②は一体なんなのだろう。今後の伏線になっているのだろうか。開けちゃダメという禁忌はホラー感満載である。
個人的に思ったのは
①ナユタが殺してしまった住人がそのままになっている
②住人の肉が入っている
又は
①ナユタが支配した人間を閉じ込めている
②デンジの…?
かなり悲惨な妄想だが119話はそう思わせるくらい不気味な雰囲気を醸し出していると個人的には思った。
しかしナユタが人間を食べるとは思えないのでぼくの妄想は確実に外れている(だったら書くな)
真面目に行こう。
デンジが「家のルール」と言うので家に訪れる全ての人が守るべきルールのように思わされられるが、
恐らくデンジ個人のためにナユタが考えたルールだと思われる。以下それを前提にして考察する。
1ー1、デンジが“普通”に生きていくため?
さて、
感想の方にも書いたがこれらのルールは119話のタイトル“泥棒”にちなんでいる説。
①空き巣をしてはいけない
②勝手に冷蔵庫をあさってはいけない
③デンジは心を盗まれてはいけない
デンジは水族館編で落ちていたカバンから金を盗んでいる(コベニ弟からライターも奪った)
一部の頃のデンジからは想像もつかない変貌ぶりだが“普通”ではない生き方を選んだ彼なりの結果なのかもしれない(でも盗みはダメ)
水族館編ではこのルール①~③が破られているのも面白いなと思います。
金を盗み(泥棒)、水族館の魚やヒトデを食べて(人んちの冷蔵庫勝手に開けているようなもん)、アサの命令に従った。デンジはアサに「なにも考えずに私に従って」と言われたとき「自分で考えることに決めた」と言って反発していたが、結局なにも考えずにアサに従ってしまった。従ってしまったのは119話のデンジのモノローグにあるように「アサのことちょっと好きになってたけど」という理由によるものと思われる。デンジはアサに意思を盗まれたのだ。
逆も然りで、アサはデンジと一緒に泥棒をしており、アサの心もここで盗まれたことが伺える。
水族館編では「好き」という感情が正常な思考を停止させ規範から外れた道を選択させた(対悪魔だったのでこの行為はここでは逆に功を奏した)。
デンジは公安を辞めたせいで収入がない。そのため、椅子になったりタバコを売ったりして生計を立てているようだが、水族館で当たり前のように金を盗んでいたため、盗みも収入源のひとつにしている可能性は高い。
ナユタは社会のルールに従わないデンジを戒めるためにこの3つのルールを決めたのかもしれない。
1ー2、デンジを独占するため?(1部との関連)
支配の悪魔、マキマさんの生まれ変わりがナユタである。チェンソーマンのファンだったマキマさんが、ナユタに生まれ変わってもチェンソーマン独占欲を爆発させている説。(ただマキマさんはチェンソーマンが好きなのであって、デンジが好きなわけではなかったので、今後のナユタの動向による)
①の扉も②の冷蔵庫もマキマさんに関連のある象徴的なアイテムである。
まず扉についてだが、
第一部でマキマさんはデンジの心に入り込み、「やっと扉を開けられた」と言う場面がある。ここでデンジは完全にマキマさんに支配されてしまった。チェンソーマンにおける“扉”とは“心の扉”である。
なぜ他人に扉を開けられることが“支配”に繋がるのかというと、
デンジの例で見てみると、自分でも認知しないように無意識に忘却した核の部分を他人に見られてしまったからだ。
雑に言うと、他人に扉を開けられることは“弱味”を握られるのと同じであり、それを咎められることによって罪悪感が生まれデンジはマキマに支配されてしまったと考えられる。
これを華麗に、簡潔にまとめたのが単行本5巻の巻末2ページである。アキは姫野にちょんまげ(ちょんまげ?)を切られても文句が言えなかった。なぜなら“弱味を握られているから”である。この2ページは本当に秀逸で、アキ&姫野の関係性とデンジ&マキマの関係性を的確に表現していた。
これを踏まえるとナユタがデンジに対して「他人の家のドアを開けてはいけない」というルールを決めたのは
「誰かの心をデンジ“が”支配しようとする」のをナユタが嫌がっているということだ。
冷蔵庫についてはどうだろう。
マキマさんはデンジにバラバラにされ冷蔵庫に保存されて調理され食べられた。
デンジが「(食べることは攻撃ではなく)愛ですよ」と言ったように、マキマさんもそれを「愛」と認識したから内閣総理大臣との契約が発動せず蘇生しなかった。
ナユタにとってデンジが何かを“食べる”という行為はそれを“愛している”のと同等であるため、デンジが自分以外の何か(食べ物)に愛を向けるのが許せないんだろう。
①も②も③もデンジへの独占欲ゆえのルールだと思われる。
1ー3、ルールについてのまとまってないまとめ(?)「ルール=普通」
SNSでルールについていろんな妄想が飛び交っていて面白い。第二部になってナユタ初登場の回だったのでナユタがこれからどう動いてくのかすごく楽しみですね。
個人的にはヨルが②、①の順で次々ルール破って毎回ナユタに殺される展開を望んでいます(ひでぇな)
そもそもデンジを支配しようなんて無理ゲーじゃないだろうか。
デンジは第一部の終盤で岸辺に「いっぱいセ(規制)したい」と漏らしており、ナユタのしようとしていることはデンジの夢を潰すのと同じである。
世間では浮気をしてはいけないというのが当たり前の“ルール”になっているが、そもそも“心”を一人占めすることなんて出来るはずがない。一応先に断っておくが、ぼくはもちろん浮気を肯定したいわけではないし、デンジを擁護したいわけではない。そう、もちろんフィクションの話だ(というかずっとフィクションの話しかしていない)心は物質ではないし自由なはずだ。誰にも縛られてはいけない。だから“普通”ではないデンジくんがどうやってナユタの支配をほどいていくのかが見所。
もうひとつ。
119話でヨルはデンジの心ではなく、「キス」という肉体的な方法でデンジを手に入れようとした。たぶんそれは(フィクションにおける)“普通”(例えばラブコメなど)なら自然なアプローチである(現実ならセクハラで犯罪)。フィクションにおける“普通”、と表現したが、肉体的なアプローチで相手の心を手に入れようとすることが“普通”になっているだなんておかしくないだろうか?『チェンソーマン』はそういうフィクションの“普通”を皮肉り、反旗を翻す物語だとぼくは思う(第一部もそうだった)
何が言いたいかというと、ヨルの方法では絶対にデンジを手に入れることが出来ないことは第一部ですでに証明されているので、これからどんな方法でデンジが脊髄剣にされるのかが楽しみですね。デンジが武器になるところなんかみたくないけど。
2、デンジがナユタを「同居人」呼ばわりしていることについて
デンジは水族館でナユタを大学に行かせたいと話していたため、ナユタへの愛が深いと感じていたのだが
119話のデンジはナユタに対して冷たい、という印象を受けた。
ナユタのことを名前で言わずに「同居人」、「超問題児」、「そいつ」と言っていたからだ。デンジとナユタの間に距離がある。その理由は明らかに“ルール”のせいだ。ルールに従わない場合、破った奴を殺すという恐怖によってナユタはデンジを従わせようとしている。デンジ家のヒエラルキーはナユタが頂点になっているせいでふたりは対等でなくなっている。
短編「予言のナユタ」を読んだ人ならもう既に察していることと思うが、この短編の続きが読めると思うとわくわくしますね。
3、少年漫画と少女漫画について
『チェンソーマン』は第一部は(俗に言う)少年漫画、第二部は少女漫画って感じがしてすごい。そしてどっちも出来てしまう藤本タツキ氏がすごい。
デンジを独占しようとするナユタとデンジを自分のものにしようとするアサヨル、これもう恋のライバルだし少女漫画あるあるでしかない。しかもアサが自分の恋心に気づいているのかいないのかわからないけどそういう感じも少女漫画あるあるでつらいし、出会ってはいけないふたりが出会っちゃった感も少女漫画あるあるでしかない。とにかく第二部は少女漫画の王道という王道を踏み倒していると思う。正直少女漫画について詳しくないので(え?)誰か分析して欲しいなと思います。
にしてもルールに忠実なアサとルールガン無視のヨルのタッグが良すぎる。ぐいぐい来るヨルを規制するのがナユタだ。この構図良すぎじゃない???
4、部屋の構造について
にわかだがぼくは建築にも興味がある。
みなさんはデンジとナユタの部屋に違和感を感じなかっただろうか?初めて部屋の中を見たとき、どこが玄関なのかわからなくなってぼくは混乱しました。
デンジとナユタの部屋は明らかに窓の位置がおかしい。
まず、コーポタツキの外観から想像できる部屋のイメージがこちら↓
そして実際に入ったときの部屋の配置がこちら↓
おわかりいただけただろうか?
読者は外観で既に窓の位置を知っているので、
部屋に入ったときにテレビの上にある窓がとても不自然に感じる。窓があるということはその向こうは普通、外だ。しかしこの窓の隣に扉があるので、奥にも部屋があるはず、と普通想像するわけだが、
そうなると玄関のある部屋と奥の部屋の間に窓があることになる。そしてその奥の部屋に、外観から見えていた窓が設置されていることになる。
おしゃれな建築なら部屋と部屋の間に窓を挟むこともある。しかしここがアパートであることと、このボロさからしてそれは考えにくい。
窓が不自然なのは作者、またはアシスタントさんのうっかりミスだと思って指摘しないでおこうと思ったのだが、ホラー好きな作者のことを思えば、これは狙ってやったと考えても良いかもしれない。
コーポタツキは外観からして不穏な空気を漂わせていた。しかも「ルールを破ったら死ぬ」というホラーをはらんでいる。そしてこの部屋の違和感が読者をさらに不安定にさせるだろう。アサが突然ヨルになって現れたとき、ぼくは心臓がひゅっとなった。
ユウコの家に行ったときもホラー感がすごかった。
このちょいちょいホラー挟んでくる感じなんなんだろう…。
はい、以上119話の妄想と考察でした。
また気づいたことがあったら追記します。
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