鬼滅の刃 最終選別編 なぜ藤襲山に手鬼がいたのか?(ついでに青い彼岸花について)
こんにちは。
最終巻までネタバレしますのでご注意下さい。
はじめに
炭治郎は藤襲山で、異形の鬼に出会います。この異形の鬼は炭治郎の師匠である鱗滝が捕まえた鬼でした。鬼は「鱗滝の弟子はみんな殺してやるって決めてるんだ」と、鱗滝をかなり恨んでいるようです。
この異形の鬼はアニメで「手鬼」と呼ばれているので以下、手鬼と呼ばせていただきます。
手鬼は鱗滝の弟子を13人も殺したと嬉しそうに言います。
しかし炭治郎が手鬼から助けた男の子は
「ここには人間を2、3人喰った鬼しか入れてない」と言っており、手鬼と男の子の言い分に矛盾が生じます。
手鬼の言う事が本当なら、鱗滝は自分が捕まえた鬼に弟子を殺されているわけです。
しかも鱗滝は「厄除の面」を弟子に渡しており、手鬼はそのお面で鱗滝の弟子だと判断しています。なんだか辛い展開です。
今回は手鬼と藤襲山について考察したいと思います。
なぜ大型の異形(手鬼)がいたのか
手鬼が捕まったのが“47年前”であり、人間を50人は喰っているそうです。
しかし炭治郎が庇った男の子は「人間を2、3人喰った鬼しか入れていない」と言っています。
そもそも鬼を捕まえて藤襲山に閉じ込める事ができるのでしょうか?
弱い鬼なら可能かもしれませんが、
鬼舞辻無惨は「鬼の場所を把握する能力」があるので、選別のために鬼が使われていると知ったら怒りそうですね。
那田蜘蛛山編で胡蝶しのぶは頚を斬らずに“藤の花の毒”で鬼を殺していますから、毒で動けなくすることも可能かもしれませんが、捕まえる方法については全くの謎です。
「鬼滅の刃」では“鬼”と“人間”の対比が度々強調されます。
鬼舞辻が8巻で「鬼が人間に勝つのは当然のことだろう」と言うように、言い換えれば“人間が鬼に勝つのは有り得ないこと”なのです。
以前のnote「古事記は“にわか”だけど」でも書かせていただきましたが、鬼の存在は「神」と同じであり、鬼を殺すのは神を殺すのと同義です。
「鬼滅の刃は神殺しの物語である」とも言えます。
他にも平安時代では鬼は「悪霊」として退治されており、「鬼=悪霊」であると捉えることもできます。
鬼の解釈は様々ありますがいずれにしろ「鬼を殺せる毒」となる「藤の花」は、鬼滅の刃の世界においては特別な花なのだと思われます。
鬼滅の刃の中で藤の花という言葉は何度も登場しますが、藤の花そのものが登場するのは、
1、お館様の立っている場所(日の出山?)16巻139話
2、胡蝶家族再会(藤の木?)19巻163話
3、23巻の203話
あとは23巻の最後にも出てきますがそれは省きます。(他見落としあったらすみません)
1、お館様の立っている場所(日の出山?)16巻139話
悲鳴嶼の回想ではお館様の立っている場所に藤の花が描かれています。これはあくまで悲鳴嶼の“回想”が描かれたコマなので、目の見えない悲鳴嶼は本当に藤の花を見たわけではなく、「匂いで見た」のだと思います。
場所は多分悲鳴嶼の出身地の日の出山だと思われますが、お館様の屋敷という可能性もあります。
古来より日本では山は「魂が登っていく」「神聖な場所」「神が降臨する場所」など様々な信仰があります。
お館様の屋敷も日の出山も“神の世界”に近い意味合いを持っていると思います。
2、胡蝶家族再会19巻163話
藤の木なのかはっきりわかりませんがたぶん藤だと思います。
胡蝶家族の再開シーンは完全に死後の世界です。
3、23巻の203話
203話「数多の呼び水」は藤の花が死後の世界とみんながいる世界(この世)を隔てる境界線として描かれています。
義勇が「炭治郎の自我を取り戻すことができれば」と言っていたので、無惨と炭治郎のいる場所が「意識の世界」あるいは「無意識の世界」だと思っていたのですが、
無惨と炭治郎が言い争っているのは死後の世界だと思います。
義勇が言う自我は、15巻127話「禰豆子さんが未だ自我を取り戻さず幼子のような状態でいる理由を」と珠世が炭治郎に送った手紙で義勇がそう推測したんだと思われます。
この手紙は珠世が鬼殺隊本部に来る前でしたが、共同研究の時に情報は共有されていると思います(妄想でしかありませんが)
それに炭治郎の背中を押してくれているのは“既に亡くなっている人”です。
201話で無惨は「呼吸も心臓も停止しているが全ては死滅しておらず生きている」と言っていることから、身体は生きていても、炭治郎の魂は既に死の世界に行っていると思われます。
炭治郎が藤の花を通った後の青空が炭治郎の無意識領域のようにも見えますが…。
1、2、3をまとめます。
藤の花そのものが登場するのは
・神の世界
・死後の世界
であり、この世には存在していません。
なので藤の花が咲く藤襲山も“この世ではない”ということになるかと思います。
藤襲山でも境界線として藤の花が植えられています。
長くなりましたがテーマに戻ります。
なぜ大型の異形(手鬼)がいたのか。
藤襲山が死後の世界だった場合
手鬼は江戸時代に鱗滝に「捕まった」と言っていますが、実際は頚を斬られたのだと思います。
炭治郎と鱗滝の構え方が同じなので江戸時代にも手鬼は「水面斬り」で鱗滝に頚を斬られたのではないでしょうか。
そして死んだ後、藤襲山にやってきたと思われます。
炭治郎は別の鬼を斬ったとき、手を合わせて「成仏してください」と祈っていました。
手鬼は恨みを抱えて成仏できないまま47年間、藤襲山をさまよっていたということではないかと個人的には推察しています。
藤襲山に閉じ込められている鬼たちは「魂」の状態で閉じこめられているということでしょうか…。
炭治郎は手鬼を斬った後「魂」について語っています。
しかしどうやって藤襲山に鬼の魂を閉じこめるのか、については全くわかりません。
それから最終選別は7日間生き抜くことが条件です。
7日は“初七日”を指していると思います。7日目までが、生と死の節目です。死の世界から戻ってこられるかどうかが試されているということだと思います(妄想しかできませんね…)
余談;藤襲山と無惨の肉体消滅後が死後の世界として描かれているなら、1巻6話は「山ほどの手が」では炭治郎を殺す手だったのが、203話では炭治郎を助ける手になっているのも凄い対比だなと思います。
あと、炭治郎は手鬼の「悲しい匂い」を感じて手鬼の手を握りましたが、無惨の場合“想いは不滅”であることに涙したものの、人間を殺したことに反省も後悔もしておらず、炭治郎は無惨の手を振り払っています。作者は既に最後まで全て決めて描いていたのかもしれません……。
藤襲山が神の世界だった場合
鬼滅の刃では日輪刀の鉄が採れる陽光山(一年中陽が射している)や蝶屋敷、お館様の屋敷、刀鍛冶の村が神の世界に近い存在として描かれていると個人的には思っています。
神の世界として鬼が閉じこめられているという設定もなくはないと思います。
が、やはり藤襲山は神の世界というよりは死後の世界という感じがします。
余談;「日の出山」では鬼を祓うために藤の花の香炉を焚いていました。
どうやって藤の花を手に入れていたのか、については語られていないのでこの辺りは妄想となりますが、
悲鳴嶼はお寺に住んでおり、羽織からも仏教信者であることがわかります。悲鳴嶼は日々瞑想を行っていたのではないでしょうか。
瞑想によってこの世からあの世へ行き、そこで藤の花を採っていたのではないか、と思うのです。
あと瞑想によって意図的に臨死状態を作り出せる人もいるらしいです。
本当に妄想でしかありませんが、
炭治郎が蝶屋敷で瞑想をしているときに、藤の花を使う胡蝶しのぶがやってきたことは「藤の花」と「瞑想」を意図的に関連付けているとも読めます。
しかもしのぶは悲鳴嶼に助けられて鬼殺隊に入っているので、もしかしたら悲鳴嶼に藤の花をもらっているか、あるいはしのぶも瞑想をしているのかもしれません。
妄想が膨らみますね…。
(大変長くなりましたが余談は以上です)
おわり
鱗滝は江戸時代に会った鬼が藤襲山にいるとは思いもしないと思います。逆恨みする手鬼が良くないと思います。
厄除の面はその名の通り、お守りとしてだと思います。実際炭治郎の額を守ってます。
お面の民間信仰としては「神や死者を乗り移らせる」、狐には「死者の案内役」という意味があるそうです。
民間信仰はほんとうに幅が広く、お面(変身、交勧など)も狐(五穀豊穣、予知能力など)も様々な意味を持って信仰されてきているので一概には言えないのですが、
藤襲山を死の世界だとすると「安全に死者の世界を案内してくれるお面」という感じでしょうか。
あるいは天狗(鱗滝)の前身が狐(弟子)だからかもしれません。
お面が割れて炭治郎の痣になっているので炭治郎に霊的な力が刻まれたとも思えます。
(意味が沢山ありすぎて訳がわからなくなってきます…)
藤の花と青い彼岸花について
藤の花が青い彼岸花だという考察を以前読んだことがあるのですが、
ぼくも「藤の花が青い彼岸花である説」は少し賛同します。
死の世界に咲く花なら完全に「彼岸花」ですし、藤の花は紫色ですけど青いと言えば青いです(強引ですが)
(リアルで過去に実際行われていた民間信仰や宗教観念や薬草の使用方法と、鬼滅の刃オリジナルの世界観がごちゃ混ぜになっているのが「鬼滅の刃」を複雑にしているかもしれない…)
青い彼岸花は「桜」も有り得ると個人的には思っています。
桜には「江戸彼岸」という種類があり「彼岸桜」とも呼ばれているそうです。樹齢2000年のものもあるそうなので平安時代には既に存在していると思います。
「花」は奈良時代までは梅を指していましたが、平安時代になると「花」は桜を指すようになります。これは主に和歌の場合なので平安時代の医者が桜のことを花と言っていたのかはわかりませんが…。
緑色の花びらをつける御衣黄(ギョイコウ)という桜もあり希少種だそうです。青と緑は平安時代でも混用されています。緑から黄緑になり、最後にピンク色になるそうです。しかしこの名前が確認された資料は江戸時代からしか見つかっていないらしいので平安時代には存在したかどうかは不明なようです。
まとまっていませんが今回の考察は以上です。
ありがとうございました。
note更新の活力にします‼️