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ポケモンオタクの話

この物語は、長い冬の後に訪れた春を背景に、主人公が認知症を患う母親の介護や、10年間のニート生活からの就職、そして過去のいじめトラウマに苦しみながらも、初めての社会人生活に取り組む姿を描いたものです。
主人公の瀬戸原は、33歳になってようやく就職したが、幼い頃のいじめのトラウマから社会人生活に馴染めずにいた。彼は自閉症を患っており、通常学級に通っていたが、ストレスから嘔吐を繰り返すことがあり、それがいじめの原因となっていた。
現在、瀬戸原は望む職種に就くことができたものの、職場では孤独を感じ、上司や同僚から見下されているように感じている。昼休みには、トイレで吐いたり涙を流したりしている。それでも、母親を置いて死ぬことはできないという思いから、彼は日々を生き抜いていた。
ある日、上司から渡されたデザインの資料を見ると、自分が作ったはずのデザインが差し替えられ、誤字脱字があることに気づく。彼は謝罪したが、上司からは厳しい目で見られてしまう。
このように、主人公の瀬戸原は過去のトラウマや職場での孤独、上司や同僚からの嫌がらせなど、多くの困難に直面しながらも、自分の意志で生き抜くことを決める。彼は、認知症を患う母親の介護や、過去のトラウマにも向き合い、成長していくことで自分自身を取り戻していく。

長い長い冬が明け、ようやく春が訪れる。
桜が咲き、新しい暮らしへの第一歩を踏み出す。
母の認知症が酷くなり、実家を売却して施設への入居が決まった。
10年のニート生活は終わりを告げた。2年の就労移行支援機関への通所を経て、俺は33歳にして初めて社会人としての第一歩を踏み出したのだった。
(ああ…本当に憂鬱だ)
望む職種に就けたのは良い。仕事自体はまったく嫌ではない。俺がひたすら就職を避けてきたのは、小学校の頃のトラウマのせいである。
俺は小学校で激しいいじめを受けていた。俺は強い自閉症があるが、なぜかそれが発見されず、通常学級に通っていたのだ。
そして、そのストレスからか、学校で頻繁に嘔吐を繰り返していた。それがいじめの原因になったのだ。
(思い出しただけで無理だ……やっぱり生活保護受けようかな)
そんなことを考えながら、いつものように会社へ出勤する。
「おはようございます」
はい、帰りたい。すでに胃が限界だ。
ここは就労移行支援事業所ではない。ニコニコ優しく接してくれる福祉士はいない。俺はあくまでも「雇えば補助金が出るだけの存在」なのだ。
「おはよう、瀬戸原く……」
ギロリと睨み返す。先輩はそそくさと逃げていった。
職場には誰も味方がいない。この会社の上司も同僚も皆俺を見下している。だから俺は誰とも話さないし、話しかけられても無視する。
しかし仕事はこなす。むしろ他の奴らよりも完璧にすることで首にならないように気をつけている。
そして昼休みになると、俺はコンビニ弁当を食べてからトイレに行く。そこで思い切り吐いた。
もう慣れてしまったことだ。これで午後の仕事は乗り切れるだろう。
ゲロとともに涙も溢れた。
(こんな人生なら死んだ方がマシなんじゃないか?)
そう思ったこともある。だが、母を置いて死ぬことはできない。
だから、俺は今日も働くしかない。
トイレから出ると同僚と目が合う。息の上がった俺を見て、「オナニーでもしてたか?wwww」と嘲る。俺は黙って席に戻るしかなかった。
そして夕方になり、残業をして帰る。
誰もいないアパートの一室に帰ると、俺はまた泣いた。


「瀬戸原くん。今度のネットショップのデザインの件ですけど」
ある日のこと。俺は上司の赤坂さんに呼び出されていた。彼女は38歳の女性社員だ。
一部からは「お局様」と名高き彼女だが、実際とても怖い人だと噂されている。
「はい」
「これ、どういうこと?」
渡された資料を見ると、俺が作ったはずのデザインが差し替えられていた。しかも誤字脱字だらけだ。
「ごめんなさい」
「謝ればいいってもんじゃなくてね。私にも迷惑かかるんだよね。わかる?こういうことをされるとさぁ」
「では残業します」
「そういう問題じゃないんだけど!」
彼女が机を叩く。ビクッとした。心臓がバクバク言っている。怖い。
「すみません」
「なんでわからないかなあ。次こんなことしたらクビだよ。わかってんの?」
「はい……」
「じゃあさっさとやり直せ!」
怒鳴り声と共に頬を思いっきり叩かれた。痛かった。
「はぁ……」
深いため息をつく。結局あの後、やり直しさせられた挙句に残業までやらされた。最悪だ。
ふとスマホを見る。すると社内SNSにメッセージが入っていた。
赤坂さんからだった。「明日私の家に来て」という命令文が書かれていた。
つまりこれは……アレだ。俺みたいな使えない部下を家に呼んで、無理やりレイプするつもりだ。
怖くなった。もし逆らえなければ、俺は彼女に犯されてしまう。それだけは何としても避けたかった。
翌日。仕事が終わると、俺はすぐに退社した。早く帰らないとバレてしまうからだ。
そして夜道を歩く。幸いなことにまだ誰にも会っていない。このまま赤坂さんに見つからずに帰れれば……。
そんなことを考えながら歩いていると、後ろから足音が聞こえてきた。振り返ると、そこには赤坂美鈴がいた。
「こんばんは」
「えっと……こんにちは」
咄嵯に挨拶してしまった。
「瀬戸原くん。今日仕事終わったみたいだけど、どこに行こうとしてたのかな? まさかとは思うけど……上司の命令を無視して帰宅しようとしたわけじゃないわよねぇ?」
「違います……その」
「まあいいわ。ちょっと来てくれるかしら」
「嫌です」
「いいから来るんだよ!」
突然腕を掴まれる。そのまま路地裏へと連れていかれる。
「い、嫌だ!離して下さい!お願いします!!」
赤坂さんは止まらなかった。俺は必死に抵抗するが、力が入らなくて振りほどけない。
やがて、ビルの隙間にある狭い空き地に連れてこられた。
「ここでいいわね」
「な、何するつもりですか!?お、俺は男ですよ」
「知ってるわ。それがどうしたの?」
「いや、だってこんなところで、その……」
俺がビクつきながら言うと、彼女は眉間に皺を寄せた。
「ああ、悪かったわね。何も言わずにこんなところに連れ込んだりして。べつに貴方に何かする気はないわ」
「へ?」
予想外の言葉を聞いて呆然とする。
「ただ、ちょっと聞きたいことがあるだけよ」
「それならオフィスで聞けば……」
「ダメ。あそこは人が多すぎるし、聞かれたらまずいでしょ」
よく分からなかったが、彼女が少し困っていることだけは分かった。
俺で分かることなら答えたいが、なぜ俺なんかに聞くのだろう?
「単刀直入に聞くけど、貴方、自閉症の女の子の気持ち分かる?」
「え?自閉症?いえ、分かりませんけど…」
自閉症なんて、「日本人」くらい広い意味がある。どこの誰かも知らん女の子の気持ちなど分かるものか。
「ただ、まあ、普通の人よりは分かるかもしれませんが」
「………瀬戸原くん。やっぱりうちに来てくれない?」


その後、赤坂さんの車で彼女の自宅へ向かった。
「ここよ」着いた先は高級マンションだった。俺は緊張しながらエレベーターに乗り込む。
部屋に入ると、中は綺麗に整頓されていた。赤坂さんらしいなと思った。
「適当に座ってて」そう言われ、ソファに座る。柔らかい感触が伝わってくる。
(俺、何をされるんだろう?)
そわそわと辺りを見渡す。赤坂さんは指輪はしていなかったと思うが、部屋には子供用のおもちゃがあった。
(家族がいるんだな)
しばらく待っていると、赤坂さんが戻ってきた。手にはマグカップを持っている。コーヒーの良い香りが漂ってきた。
「はい、これ飲んで落ち着かせてから話しましょう」
「ありがとうございます」
お礼を言いつつ、コーヒーをすする。グァテマラ産の豆を使っているらしく、芳ばしい味が口の中に広がった。
「美味しいです」
「でしょう?私のお気に入りなんだから」
彼女は得意げに言った。それから、俺の隣に腰掛ける。肩が触れ合いそうな距離だ。
(え?ちょっと近くないか?)
「えっと………ご家族は?お子さんがいらっしゃるように見えましたが……」
俺は話題を変えることにした。
「いるよ。今は寝てるけどね」
「へぇ……」
「見たいかしら?」
「いや、大丈夫です」
正直興味はあったが、わざわざ起こしてまで見たいとは思わなかった。
そんな話をしていると、赤坂さんが切り出した。
「それでさぁ……」
「はい」
「奈々の…うちの子の担任によると、あの子は自閉症なんじゃないかって」
「え、おめでとうございます」
「は!?なんで喜んでんの!?馬鹿にしてんの!?」
「いや、そういうわけじゃなくて、小学校で発見できて良かったなと思って……俺は診断を受けたのは大人になってからで、もう二次障害で心も体もボロボロになっていたので」
「………」
「あ、でも親御さんとしてはそりゃ障害があると言われれば心配になるか。すみません」
「……あんた、ほんと変な奴ね」
「ははは」
赤坂さんは苦笑すると、ため息をつく。
そして話を続けた。
「でもさ、もしかしたら勘違いってことも」
「うーん……虐待とかはしてないですか?」
「ええ。そんなことはしていないわ」
「なら精神衛生的には問題ない訳ですし……旦那さんとの関係は良好ですか?」
この質問はちょっとデリケートだが、聞かないわけにもいかない。
すると赤坂さんの顔が曇った。
「実は……離婚したのよ。二年前に」
「あ………そうですか………奈々さんは………それについては」
「知らないわ。まだ8歳だからね」
「旦那さんがDVを?」
「違うわ。私が浮気したの」
衝撃的な告白だった。俺は言葉を失った。
「酷い男よね。女を何だと思っているのかしら」
「いや、、、えっと、、、、で、その浮気相手の方とは今……」
「とっくに別れているわよ」
「そうですか……」
沈黙が流れる。
まぁ色々気になる点はあったが、おおむね普通の家庭のような気もする。俺は専門家じゃないし、奈々ちゃんに会っても何かしてやることはできないと思う。そもそも残業手当も出ないし……
「奈々ちゃんの度合いがどのくらいなのか分かりませんが、8歳まで気付かれなかったと言う事はそこまで重度ではないですし、いろいろ気を付ければどうにでもなると思いますよ」
「そうかしら……」
「エジソンも田尻智も大成功してます。その鍵は母親が子供のやりたい事をやらせた事だとか。あとは親がサポートすればいいんです」
俺は立ち上がって、飲みかけのコップを彼女に手渡した。
「じゃ、俺はこれで……。今日はご馳走様でした」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
帰ろうとすると腕を掴まれた。振り向くと赤坂さんの顔がすぐ近くにあった。
「な、なんでしょうか?」
眼鏡をしていない赤坂さんは美人というより可愛かった。
「あ、貴方、本当に何もしないつもり!?」
「え?な、何もって……え!?まさか俺に何かさせるつもりで呼んだんですか?まさか奈々ちゃんの件は口実で、俺に夜這いさせるために呼び出したとか……」
「ち、違うわ!ただ何のお礼もできないから……」
「いりませんよそんなもん!」
俺がそう叫ぶと、赤坂さんは顔を赤くして俯いた。
「そ、そうよね、ごめん!こんなおばさんからお礼なんて嫌に決まってるわよね」
「い、いや、そういう意味じゃなくて、あの、えーと、おれ童貞だし、そ、そういうのは興味ないって言うか、と言うかどうかするとこれセクハラになるんじゃ………」
四十路の女ってみんなこうなのか……?俺が狼になっているかもしれないのに。
「……セクハラだった?」
上目遣いで聞いてくる。
うっ……
俺は思わず目を逸らしてしまった。
「い、いや、その、えっと……そうですね、はい」
なんなんだ?この人、どういうつもりなんだ?新手のいじめか、これは。これじゃまるで……まるで俺に気があるみたいじゃないか――
俺は目を泳がせながら答える。
「そっか、ごめん。つい先走っちゃった。瀬戸原君のこと信用してなかった訳じゃないんだけどさ……」
(ああ……)
俺は察した。
(この人はあれだ。不器用なんだな)
素直にお願いしたり、恩を無理矢理売ることもできるのに、そうせずに遠回しに俺にして欲しい事を聞いてるんだ。
(うーん…こんな母親だったら奈々ちゃんは苦労するかもしれない………)
俺は少しだけ、会ったこともない奈々ちゃんに同情した。
「あー……、えっと、じゃ、じゃあ、こんど焼肉でも食べさせてください」
俺が言うと、彼女はキラキラと目を輝かせた。
「分かったわ!約束よ?」
「ええ。もちろんです」
俺がつられて笑うと、彼女は満足げな表情を浮かべた。そして小指を絡めてくる。
「ゆびきりげんまんね♪」
「……ッ!?」
女性に免疫のない俺は、それだけで顔が熱くなるのを感じた。
こうして見ると、とても8歳の娘がいるようには見えない。
「あ。ごめんなさいね、瀬戸原君可愛いから、つい」
「か、かわ……っ」
俺は恥ずかしさで死にそうになった。
「じゃ、また明日」
「は、はい。失礼します……」
帰り道、俺は悶々としていた。
「……可愛かったな」
柄にもなくドキドキしている自分に戸惑っていた。
「あー……まじか……」
俺は自分の小指を眺めながら頭を抱えた。
「なんなんだよあの人」
俺はその夜、眠れない夜を過ごすことになる。


翌朝会社に行くと、俺は赤坂課長に呼び出された。
もしかしたら普通に接することが出来ないのではないかと不安だったが、眼鏡をしてスーツをぴっちり着こなした姿を見ると、昨日のことが嘘のように思えた。
「おはようございます」
「あ、はい、おはようございます」
「今日は瀬戸原君にお願いしたいことがあります。新発売のシャンプーのCMなんだけど、その監督にあなたのセンスが欲しいと言われてね」
「はぁ」
「私ではダメなようなの。だからあなたに任せたいと思うのだけれど……」
「は、はい。頑張ります」
「ありがとう。任せたわよ」
ポンと肩を叩かれると、首筋まで電気が走った。
「じゃ、今日の午後打ち合わせするから、よろしく」
「はい」
「ふふ…すごい隈。昨日眠れなかったの?」
赤坂さんは意地悪そうな笑みを浮かべた。
俺は思わず赤面した。
「いえ、まぁちょっと」
「あら?もしかして……私のせい?」
「ち、違いますっ!ゲームしてたら遅くなっただけですよ!」
「へぇ……ゲームねぇ……」
赤坂さんは俺の顔を覗き込んだ。
「……っ……」
「冗談よ。それじゃ午後2時にミーティングルームに来てちょうだい」
「はい」
「期待してるわよ、新人くん♪」
赤坂さんは悪戯っぽく微笑むと、オフィスを出ていった。
(はぁ……心臓に悪い)
でも不思議と嫌ではなかった。むしろ楽しいとさえ感じていた。
(やっぱり変だな……俺)
そう思いながらも俺はデスクに戻り、仕事を始めた。


赤坂さんは課長なので、当然接点は多い。何かと指示を出されるし、そのたびに名前を呼ばれるのだが、それが妙に嬉しかった。
「……で、あるからして、この企画に関しては私が仕切ろうと思います。あ、瀬戸原くん、ここ誤字ってるわよ」
「え!?すみませんっ!」
「……もう、しっかりしてよね」
「は、はい!」
「あと……この資料だけど、こっちの方がいいんじゃないかしら?」
「え、えっと……あ、本当ですね。差し替えておきます」
「うん、よろしい」
たまに褒められるのが堪らなく心地よかった。
俺のそんな気持ちが知られているのか、そうでないかは分からないが、赤坂さんは俺によく声をかけてくれた。
「あの、瀬戸原くん」
「はい、なんですか?」
「今夜空いてるかな?飲みに行きましょう」
「……はい!」
その日の夜、赤坂さんの行きつけの料亭で飲むことになった。
俺は緊張しながら座敷に入り、正座する。
「お疲れ様です」
「は、はいっ」
「何固くなってんのよ」
「す、すいません」
「ははは、謝ることじゃないわ。ほら、飲んで」
「あ、ありがとうございます」
ビールを注いでもらうと、一気に流し込む。
それから色んなことを聞かれた。自閉症とは何か、という事について。
「例えば、人は目から入ってきた情報を無意識に処理することで、様々な情報を得ている訳です。例えば林檎を見れば、そこから味や知識などを無意識に引き出してきて、そこから『感情』というものが引き起こされます」
「ふむふむ」
「自閉症の場合その認識処理が上手く行かないことが多いんです。だから、林檎を見ても味まで想像できなかったり、いろいろな経験と関連付けることが出来ないんですね。だから、何回も同じミスをしたりするんですが」
「へぇ……勉強になるわ」
「それから腸内細菌との関連も指摘されていて……」
酒の勢いもあってか、俺は驚くほど饒舌に喋り倒した。何を話しても「ふんふん」と興味深げに聞き入る課長に、俺はついつい調子に乗ってしまったのだ。
それからも色々なことを話した。奈々ちゃんはポケモンが好きである事、髪を切られるのが嫌いであること、そして母親に迷惑をかけているという事を知った。
ちょっと気にしすぎじゃないかという位奈々ちゃんのことしか話さないので、俺は少し不安になった。
「奈々ちゃんはいい母親を持って羨ましいです」
「そぉ?」
「ええ。部下と飲んでまで情報を集めるなんて、母親の鑑だと思います。課長は本当に頑張り屋ですね」
俺が言うと、彼女は少し呆気に取られてから、みるみる頬を赤く染めていった。
「ちょっ……やめてよ、そういうこと真顔で言われると照れるわ……」
「え?あ、ああ……すみません」
「それに……いい母親でもなんでもないわ……妊娠中にもっとしっかり体調管理をしておけば、あの子はあんな風にはならなくて済んだかもしれないのに」
俺が驚いていると、赤坂さんはハッとした表情を浮かべた。
「ごめんなさいね、こんな話をするつもりじゃなかったんだけど」
「いえ、大丈夫ですよ。辛かったんですね」
「…………っ」
赤坂さんは涙を浮かべると、嗚咽混じりに言った。
「わ、わたし…っ、奈々のこと、ちゃんと育てられてるか不安なの……ッ、あの子にはいつも我慢させてばかりで……ッ、本当はもっと、自由に生きて欲しいのに……ッ」
「……」
赤坂さんは課長だし、真面目だからほとんど職場にいる。
それはつまり奈々ちゃんはいつも一人ぼっちだと言うことだ。
色んな福祉サービスがあることを俺は言おうとして――やめた。
(もっと俺を頼れ……とか言ったらセクハラだよな……)
俺は彼女の頭を撫でた。いつも俺ばかりが助けられているのだから、これくらいしてもバチは当たらないだろうと思ったのだ。
「大丈夫ですよ。俺も精一杯協力します」
赤坂さんは一瞬驚いたように目を見開いた後、恥ずかしそうに目を伏せた。
「……瀬戸原くん。今自分が何をしているか分かってるの?」
「え?あ……」
俺は慌てて手を離した。
「ごめんなさい……」
「……別に嫌だとか言ってないでしょう?もう少し続けて」
「はい……」
赤坂さんはされるがままになっている。それがとても可愛くて、俺はつい夢中になってしまった。
「ふふ……くすぐったいわ」
「すみません……なんか楽しくて」
「楽しいの?こんなおばさんの頭触ってて?」
「はい。すごく楽しいですよ」
「……変な人ね」
俺はそっと彼女の胸元に目線を落とした。いつもはスーツに隠れている白い肌が今日は少しはだけ、わずかに谷間が見え隠れしていた。
(うわ……すごい……)
思わず生唾を飲み込んだ。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」
俺はなるべく平静を保ちながら答えた。
すると赤坂さんはクスリと笑みを浮かべた。
「瀬戸原くんも男の子なのねぇ」
「そりゃそうですよ。俺だって男ですから」
「そうねぇ……若いもんねぇ……」
「……」
赤坂さんの声色が変わり、俺はハッとした。
(これ、なんかやばくね?)
下半身が疼く感覚があり、俺はまずいと思い、距離を取ろうと立ち上がろうとする。
しかし足が痺れて上手く立てなかった。
「っ!?」
バランスを崩して倒れ込む。
柔らかい感触に包まれて見上げると、赤坂さんの潤んだ瞳があった。
「……私ならいいわよ?」
赤坂さんは妖艶な表情で微笑む。
酔いが回ってきて、まともな思考ができない。
(いやいやいや、この人は上司だぞ?子持ちで、バツイチで、そんで……おっぱいがデカくて、いい匂いがして……)
俺が葛藤を繰り広げている間に赤坂さんは俺の手を取り、中指を口に入れて噛んだ。
課長の口の中の生ぬるい感覚と噛まれた痛みで、全身がいよいよゾクゾクしてくる。
指先をペロリと舐められれば、思わず変な声が漏れた。
「か、課長ぅ……あぁっ……」
「大丈夫、あなたはただ気持ち良くなってれば良いから」
課長の優しい声が耳元でした。
そこから先の記憶はない。


翌朝、目覚めると目の前に見知らぬ女の子がいた。
まだ低学年ぐらいの年齢だろうか。大きな目が特徴的だった。
その子は俺の顔を見てニコッと笑う。
「ママーーーーーーー!!!!おきたーーーーー!!!!」
「まさか…奈々ちゃん?」
俺は驚いて飛び起きた。
自分の体を確認すれば、嗚呼……なんということだろう。服が脱ぎ散らかされていた。
(マジか…俺、課長と…)
その瞬間昨夜のことがフラッシュバックしてきて顔から火が出そうになる。
「瀬戸原くん、おはようございます」
襖を開けて入ってきたのは、当然だが赤坂さんである。
「お、おおお、おはおはおはおはおは」
「どうしたの?」
「もももも、申し訳ございませんでした!俺、なんてことを……!」
とにかく土下座をする。すると奈々ちゃんが頭を撫でてきた。
「ママはおこってないよ?でも、なんでうちで寝てたの?迷子になっちゃったのかなー?って心配してたんだよ」
「そ、そうなんだ……」
「それにね、ママのおっぱいとっても柔らかかったでしょ?ずっと触ってたもんね!」
「……」
俺は言葉を失った。
(俺……終わったかも)
俺は頭を抱えながら謝罪の言葉を繰り返した。
「本当にすみません……俺なんかが調子に乗って……」
「別にいいのよ。私が誘ったことだもの」
「え?」
俺は信じられなくて聞き返した。
「だから、私は気にしていないわ。むしろ嬉しかったの」
「嬉しい?」
「ええ。だって、あんなに真剣に私のこと求めてくれる人いなかったから……」
「……」
俺は開いた口が塞がらなくなった。
「私ね、結婚してからも旦那に求められたことほとんどなかったの。いつも仕事ばっかりで、たまに夜になると私を求めてくるの。それが嫌で別れたんだけどね」
「おじちゃん、このうちのひとになるの?ななちゃんの新しいパパになる?」
「な、ならないよ!あ、いや、えっと、なります」
「え?」
今度は赤坂さんが驚く番だった。
「だってこんな……こんなことになって……責任取らないといけないし」
「いや、瀬戸原くん、何もそこまでしなくても良いのよ。もっとよく考えてから発言しなさいっていつも言ってるでしょう」
「はい……すみません……」
そりゃあそうだ。俺なんかを旦那にしたいと思う女がいるわけがない。
(馬鹿か……俺は)
俺は自分に呆れた。
「あっ!そうだ、仕事……」
「おじちゃん、今日は日曜日だよ」
「あ……そうでしたね、ハハハ。じ、じゃあ俺は失礼しますね!」
「待ちなさい」
赤坂さんに引き止められた。彼女は俺の腕を掴むと自らの胸に押し当てた。
「ちょっ!?」
「上司命令よ。今日は一日私達と一緒に過ごしなさい」
「いや、それは……」
「ダメよ。これは上司の命令なんだから。時間外手当を出します。これはマジな話」
「えっ……」
「お願い。奈々を遊園地に連れていってあげてくれない?」
「うぅ……」
「いいよね?奈々?」
「うん!」
(なんなんだよ……これ)
こうして、俺と奈々ちゃんと赤坂さんの3人の奇妙なデートが始まった。


奈々ちゃんは遊園地に着くなりすぐに走り出してしまった。
「あっ、奈々ちゃん!」
「すぐこうなのよ。おかげで3回は迷子になるのよね。瀬戸原くん、悪いけど見てきてもらえるかしら?」
「はい」
俺は慌てて奈々ちゃんの後を追いかけると、彼女は滑り台の上にいた。
それをじっと観察する。かれこれ……3時間は経過しようとしていた。奈々ちゃんはまだ滑り台から降りてくる気配はない。
「奈々ちゃん、そろそろお昼ご飯にしようか」
「わかったー」
泥だらけの奈々ちゃんが走り寄って来る。その表情はどこか満足げだった。
「楽しかったかい?」
「すっごく!」
「よかった」
手を繋ごうとして、躊躇った。いくら上司の子供とは言え血の繋がりのない女の子を触るのは気が引けたからだ。
「おじちゃん、手つなご?」
「え?ああ、そうだね、迷子になるといけないからね」
俺は奈々ちゃんの小さな手に自分の指先を重ねた。
奈々ちゃんの手はとても柔らかくて温かい。
俺は末っ子だったから、こんなふうに小さい子供の手を握るのは初めてだった。
(可愛い……)
思わず笑みがこぼれてしまう。
(あれ……?)
そこで俺は自分がこの休日を楽しんでいることに気が付いた。


赤坂さんはレジャーシートの上に座って待っていた。
「お待たせしました」
「奈々、楽しかった?」
「ママ、おなかすいたー」
「靴脱いで、手を拭いて。そう、ちゃんと揃えるのよ」
「はーい」
「奈々ちゃん、偉いね」
「へへん」
「瀬戸原くん、あんまり甘やかさないでちょうだい。靴を揃えるのは人として当たり前の行為ですからね」
「は、はい。申し訳ございません」
「瀬戸原くんはママの子分なんだね!ママ、すごいね!」
「そんな事ないわ。瀬戸原くんは真面目だし、優しい人よ」
「ママ……」
「なぁに?」
「やっぱりせとはらくんがあたらしいパパになればいいのに……」
「だめだよ奈々ちゃん。ママは今でも精一杯なんだから。俺なんかと結婚したら子供が一人増えるようなものだよ」
「え?じゃあ『よーし』になるってこと?」
「え?凄いな、養子なんて知ってるのか?課長、この子は天才かもしれませんよ」
「あらかたテレビかなにかで覚えたのよ。瀬戸原くんはパパにも養子にもなりません。そもそも私達が夫婦に見える?5歳も違うのよ?再来年はもう40なのよ?」
「40なんてまだ若いですよ。俺の母も40で俺を産んだし、課長はスタイルも良いし美人だから全然いけますよ」
「なっ……!?」
「おじちゃん、ママのことなんでかちょうってよぶの?ママのしたの名前はね、『みすず』って言うんだよ」
「えっ……」
「し、仕方がないじゃない!会社では皆がママを『課長』って呼ぶ決まりになってるのよ!」
「ママ。ここは会社じゃないよね?ほら、瀬戸原くんのおじちゃん。ママのこと、ちゃんと名前で呼んであげて」
「え、でも……」
「奈々ちゃんのお願いだよ?」
「わかりました……美鈴さん」
「なにかしら……?」
「その……今日は誘ってくれてありがとうございます」
「べ、別にあなたのためじゃなくて奈々のためにしたことよ」
「それでも……俺なんかを誘ってくれたのが嬉しくて……」
「そ、そう……」
赤坂さんの頬は真っ赤に染まっていた。
それから俺たちは近くのファミリーレストランで昼食を摂り、電車に乗った。
遊び疲れたのか、奈々ちゃんは赤坂さんの膝枕でぐっすり眠っている。
「今日は本当にありがとう。いつも疲れてなかなか遊びに連れて行けないから、今日は奈々にとっても特別な一日になったと思うわ」
「それは良かったです。俺も楽しかったですし……なんか、ふつうの家族みたいで……幸せってこういうことを言うんだなあって思います」
赤坂さんは何も言わなかった。俺は話を続ける。
「うちも母子家庭だったんですよ。父親から養育費が送られてきてたので生活には困らなかったんですが……母が途中から壊れてしまって……でも課長ならそんな事もなさそうですし、奈々ちゃんは本当に幸せ者だと思います。俺、課長のことホントに尊敬してるんです。上司としても親としても……だからこれからも奈々ちゃんのことをよろしくお願いします」
「……」
「おれ、今日この日のこと一生忘れません。俺に幸せを教えてくれて……童貞まで卒業させてくれて……あっ、いや、なんでもありません。とにかく、感謝しています」
「……ほんとに、覚えてないのね」
赤坂さんが俺の肩に頭を乗せてきた。
「え?」
「なんでもないわ。お礼を言うのはこっちの方よ。ひどいパワハラ上司でごめんなさい。本当に。私、あなたの事が知りたい。もっと仲良くなりたいわ」
「えっとそれは……自閉症のことをよく知りたいという意味ですよね?もちろん協力させていただきます」
「ううん。私は瀬戸原くん自身のことももっと知りたいの」
課長が上目遣いでこちらを見つめてくる。
「私のこと嫌い……?」
「き、嫌いでは……ただ課長は俺の上司ですし…おれは部下ですし……課長のことはお母さんのように思っています」
「それって……つまり……女として見れないってこと?」
「いや、そういう事ではなくて……おれの母さんも赤坂さんみたいな人だったら良かったなあって意味です。そうしたら、きっとあの頃俺は……あんな惨めな人生を送っていなかったはずなのに」
「そんなこと、言っちゃダメよ。私はこんな性格だから、お母さんの代わりにはなれそうもないけど……もし、私が瀬戸原くんの母親だったら……あなたの良いところをたくさん見つけ出して、褒めまくるでしょうね」
「……………それって今じゃダメですか?」
思いの外声が上擦ってしまった。恥ずかしい……。
「え?」
「あ~、何言ってんだ俺、柄じゃない、マジでありえねぇ。何でもないです、本当に、バカみたいな事聞いてすいません」
一度タガが外れたぶん、どうも理性に歯止めが利きづらくなってしまっている。すると、突然、唇に柔らかい感触が伝わって来た。それがキスだと気付くまでに数秒かかった。
「か、かちょう……?」
「ごめんなさい、我慢できなくなっちゃった」
「え?え?え?」
頭が混乱する。
「あなたがあんまり可愛いからいけないのよ?」
「え?え?え?」
「私、もう40なのよ?あなただって30歳の男なんだからわかるでしょう?女盛りってヤツよ」
「え?え?え?」
「ふふっ」
「え?かちょ、んっ……」
もう一度、今度はさっきよりも強く唇を押し付けられる。
「ぷはぁっ」
「ふぅー」
頭が真っ白になって、何を言えばいいか分からない。
「瀬戸原くん、ごめんね…お母さんを恨まないであげて」
「課長…俺は…産まれたことを憎んではいません。奈々ちゃんも、俺達で頑張って幸せにしましょう」
「瀬戸原くん…それって、プロポーズなの?」
「え?あっ、いえ……そうじゃなくて……俺で良ければいつでも話を聞きますよっていう、意味、でした」
「そっか、残念」
彼女の呟きは俺の耳に入ったけれど、俺は聞こえなかったふりをした。


やがてバスは目的地に着き、日は傾いていた。
「ただいまー」
ぐっすり寝ている奈々ちゃんをベッドに寝かせる。赤坂さんは髪を上げてエプロンを着けた。
「今、ご飯作るから少し待ってて」
「いえ、俺はそろそろ帰ります」
「え?もう帰るの?せっかくだから泊まって行きなさいよ」
「いやいやいや!とんでもないです!これ以上ご迷惑をお掛けする訳には行きませんから!」
「別に気にしないわよ。それに、私も一人じゃ寂しいもの。あなたもそうでしょ?」
「そっ、れ、は……そう、です、けど……」
「なら、何の問題もないでしょ。違う?」
(そう……なのか?なんか、考えるのがめんどくさくなってきた…)
「わかりました……一晩だけお世話になります」
「うん、よろしい」
(泊まるだけ、泊まるだけだぞ熊治……頼れる男だと思わせるんだ、もうあんな醜態は晒さない……)
「でも、今日は疲れてるだろうし、先にシャワーを浴びてきちゃいなさい。その間に用意しておくから」
「すみません……ありがとうございます」
脱衣所に入り、服を脱ぐ。パンツ一丁になったところで、ふと鏡に映る自分の身体を見た。
「……」
全身には青アザや切り傷があった。特に背中には無数の虐待の痕があり、見るのも痛々しい。
(……きったねぇ体)
お世辞にも格好いいとは言えなかった。
俺は念入りに体を洗い――特に深い意味はないが――浴室を出る。
リビングに戻ると、香ばしい匂いが漂っており、エプロン姿の課長がてきぱきと夕飯を作っていた。
「瀬戸原くん、もうすぐできるわよ。お皿出してくれる?」
「は、はい!」
俺は我に返ると、慌てて食器棚から3枚のお皿を取り出した。
「はい、これがあなたの分ね。いっぱい食べていいのよ?」
課長はそう言いながら皿に野菜炒めを取り分ける。俺は課長に見惚れていて火傷してしまった。
「あっちぃ!」
「あらら……大丈夫?ほら、見せてみて」
課長は俺の手を掴んで観察すると、指を口に含んだ。
「ちょっ、かちょう!?」
「ちゅっ……ふぅ、これでよし」
「あっ、ありが、とう……ございます………」
それからの俺は、課長への劣情を隠すのに精一杯で、食事の味も、奈々ちゃんとの遊びも、観たテレビの内容も全く覚えていなかった。


夜中、尿意を感じて目が覚めた。隣を見ると、奈々ちゃんが気持ちよさそうに寝息を立てていた。起こさないようにそっと部屋を出てトイレに向かう。用を済ませて寝室に戻る途中、台所の方から明かりが漏れている事に気づいた。
「かちょう?」
「……瀬戸原くん?」
「どうしたんですか……?もう0時まわってますよ?明日起きられなくなりますよ?」
「ちょっと眠れなくてね……あなたこそどうしたの?こんな時間に?」
「いや……俺はトイレに……」
ふらふらと寝惚けた足取りでコップに水を注いで飲む。
それから思いついたことを口に出した。
「眠れないんなら、マッサージしてあげましょうか」
自分で何を言っているのか分からなかった。
「えっ……いいの?」
赤坂さんの目に妖しい光が宿った気がしたが、俺は気付かないふりをした。
「もちろんですよ。俺、得意なんです」
俺は彼女をソファに押し倒す。
「では、始めますね」
まずは足を揉み始める。最初は力強く揉み、少しずつ擽るような動きに変えていく。
「んっ……」
彼女は小さく声を漏らす。
「どうかしました?」
「なんでも、んっ……なぁ、い……んんっ」
足の親指の付け根を重点的に攻める。
「ここがいいみたいですね」
「ちっ、違っ、あんっ、そこっ、ダメぇっ」
「どうしてですか?すごく凝っていますよ?ここはリンパの流れが悪いから老廃物が溜まりやすいんですよ」
「んくっ、ほんとにっ、もうっ、だめっ」
「じゃあ、次はこっちをやりますね」
俺は彼女の内腿を丁寧に撫で上げた。課長は艶っぽい吐息を出す。
「やめっ」
「本当にやめてもいいんですか?」
俺は続いてお腹のマッサージに移った。腹を撫でながら、子宮のあたりをトントンと揺らしていく。
「ここに溜まった悪いもの、出しましょうね~。ほーら、赤ちゃんのお部屋にバイバイー♪」
「うっ、うるさいっ!ばかぁっ!もう許してっ!」
「何言ってるんですか?まだまだこれからでしょう?」
俺は課長の豊満な胸の付け根を解す様に揉みしだく。腋から胸を取り外していくような感じだ。
「課長は胸が大きいですし、この辺なんか特に疲れるんじゃないですか?」
「そっ、そんな事ぉっ、ひゃうんっ、無いもんっ」
彼女は先ほどから足で俺をしっかりと挟んでいる。まるで逃がさないと言わんばかりに強く。
彼女は恥ずかしいのか腕で顔を隠していた。その腕をくすぐってやれば、すでにメスの顔となった彼女が姿を現した。
「もう我慢できないの?」
俺は彼女の耳元に囁いた。
「えっち♡」
そのまま腋や二の腕を舐め回せば、彼女は身体を痙攣させて絶頂を迎えた。
「課長、イっちゃったの?」
「だって……瀬戸原くんが、あんなことするから……」
「熊治って呼んで」
俺は課長の鼠径部を10本の指で擽るようになぞった。
「熊治って呼んで下さいよ、美鈴さん」
「熊治ぃ……」
「よくできました。ご褒美をあげないとね……」
俺は課長のショーツの中に手を入れた。そこは熱を帯びていて、ぬるりとした感触があった。
「あぁ、だめ、それ、おかしくなるぅ……♡」
「課長のココ、ドロッドロになってます。まだまだ若いですね」
俺は彼女の秘部に優しく指を差し入れた。案の定、子宮口はすぐそこにある。
「やめてぇ……おねがいぃ……♡」
「赤ちゃんを産むと感じやすくなるって言うけど……本当でしょうか?」
俺はそのまま子宮口と背中の間あたりを擦った。その瞬間、課長が弾かれたように仰け反る。
「おほぁぁぁぁぁ!?なにこれっ!?しらない、あたしこんなの知らな……っ!」
「あれ?もしかしてポルチオだけでイクの初めて?前の旦那さん、あんまり上手じゃなかったみたいですねぇ」
指でポルチオ性感帯を突くたびに嗚咽を漏らす課長。脳内は快楽物質で冒されていることだろう。
「ごめんなさぃ……ゆるしてください……もう、ゆるして………」
「じゃあ、『熊治、愛してる』って言ってくれたら終わりにします」
「ゆうじ、すき、だいすき、あいしてる、けっこんしてぇぇぇぇ!!!!!」
「喜んで」
Gスポットを突けばひときわ高い声で鳴いて、そして果てた。
俺は彼女の額に軽くキスをして、寝室へと運んだ。


翌朝、俺は奈々ちゃんの元気いっぱいの挨拶で目を覚ました。
「おはよう!」
「おはよ、奈々ちゃん。ふぁ~、よく寝たぁ……」
隣を見てみると、まだ寝ているようだった。昨日は無理させてしまったから仕方がない。
(今のうちにご飯作っちゃおう)
キッチンへ向かおうとしたとき――
「行かないで」
服を掴まれた。振り返ると、泣きそうな顔をした課長がいた。
「え……課長?起きてたんですか?」
「……」
無言のまま俺の胸に顔を埋めてきた。
「ママ?どうしたの?お熱あるの!?きょう休む??」
心配そうに見つめてくる奈々ちゃんに、課長は言った。
「大丈夫よ。ありがとうね、奈々」
「うん!お仕事頑張ってきてね!」
「ええ、行ってきます」
俺達は朝食を食べて、着替えてから3人で課長の車に乗り込んだ。
「瀬戸原くん、今日は本当に助かったわ。ありがとね」
「あっ、いえ。課長の力になれたのなら良かったです。すみません、寝惚けてたのでよく覚えてなくて……痛くなかったですか?その、マッサージとか……」
「ええ、全然平気よ。それに……」
「それに?」
「なんでもないわ」
「えー?教えてくださいよー」
「嫌よ」
「そんなこと言わずにー」
「しつこい男は嫌われるわよ」
「課長にだけですから」
「……バカ」
そのまま俺達は奈々ちゃんの学校の前に着いた。
「いってきまーす!」
「行ってらっしゃい、奈々ちゃん」
「先生の言う事ちゃんと聞くのよ」
「ほいほーい」
手を振って駆けていく彼女に手を振り返す。その姿が見えなくなったところで、俺は課長と向き直った。
「結婚したら俺も免許取ろうかな……そしたら毎日送り迎えできますし」
「え?結婚?誰と?私と?」
キョトンとした表情の課長に思わず吹き出してしまう。
「もちろんですよ。これからよろしくお願いします、美鈴さん」
「う、ん……」
課長は頬を染めながら俺の手を握った。その手はとても温かかった。
奈々ちゃんに弟が出来たのは、それからすぐの話である。


赤坂美鈴38歳。バリキャリ系女子。
実は甘えん坊で寂しがり屋な彼女のハートを射止めたのは5歳年下の部下であった。
瀬戸原と同棲を始めた美鈴には、ひとつ悩みがあった。
(……熊治が甘えてくれない)
瀬戸原は部下であり、年下なこともあり、美鈴の前ではいつも恐縮している。
だからと言って遠慮をしているわけではない。むしろ、彼は美鈴が自分から頼ってくるのを待っているのだ。
求められれば応える。だが自分からはと言うと……。
「ただいまー!」
「お帰り、奈々。手洗って」
奈々を迎えに行った彼が帰ってきたようだ。
「お帰り、熊治」
「只今帰りました、美鈴さん」
すらりとした体躯でスーツを着こなす姿はカッコイイと思う。
(でも……)
夕食の準備をしていた手が止まる。
(やっぱりもっと求められたい)
「どうしました?体調悪いんですか?良かったら代わりますよ」
「え?ああいいの、大丈夫。熊治は休んでて」
「でも……」
「座りなさい」
「……はい」
彼はしょんぼりとしながらソファに腰かけた。それを見た奈々は熊治の隣に座る。
「くまパパ、バトルしよ!」
「よし!シングルにする?ダブルにするか?」
(また命令しちゃった……こんなだからダメなのかな……)
美鈴は深いため息をついた。
前に熊治に「もっと母親だと思って甘えても良い」と言ったら、「母親に甘えたことがないので、良く分かりません」と言われてしまった。
(誘惑の仕方が分かんない……やっぱり私には女としての魅力がないのかしら?)
あんまり自分から色仕掛けするのも「いい年こいて……」とか思われそうだし。
彼の心を開かせるためにはどうすれば良いのだろう。
「ママ?お顔赤いよ?大丈夫?」
「奈々……ママは怖い?」
「うん、まあねー」
「美鈴さん、何か悩み事ですか?俺で良かったら……」
あーもう、違うのよ。私はあなたに頼られたいのよぉ~!
「ねえ、熊治」
「はい?」
「今夜……一緒にお風呂入らない?」
「……い、いいですね!か、かぞく3人で仲良く入りますか!ハハッ」
「そうね、家族ですものね。フフッ」
奈々はそんな2人を眺めて首を傾げていた。


熊治は30代の男である。性欲だって人並みにあるし、好きな女性と一緒にいればそういう気持ちにもなる。
しかし、奈々がいる手前、あまり暴走できない。それに、奈々の前で美鈴とエッチなことをするわけにもいかない。なので、お預け状態が続いているのだ。
(欲求不満すぎる……)
今日も美鈴はクマのぬいぐるみを抱いて寝ている。その寝顔は可愛いのだが、ムラムラするのは仕方がない。
「美鈴さん」
「ん……」
「好きですよ」
「うん……」
頭を撫でると嬉しそうな顔をした。
その顔を見てから、俺はトイレに向かう。そこで1人で処理するのが最近の日課になっている。
(もうすぐ休みだし、美鈴さんの身体をマッサージしてあげようかな……)
そんなことを考えながら、俺は眠りについた。
夢の中の美鈴さんはすごく積極的だった。


朝起きると、朝勃ちどころかギンギンになっていた。
(なんということだ……昨日の俺はバカなのか……!?いや、バカなんだ!)
「うぅ……痛い……」
最近、ずっとこんな調子なのだ。
「どうしようかな……」
美鈴さんにバレたら絶対に引かれる。それだけは避けたい。
(鎮まれ……俺の息子……)
必死に祈るが、無駄な努力に終わった。
「おはよう、熊治」
後ろを振り返ると、そこには下着姿の美鈴さんがいた。
「美鈴さん!?どうしてここに……」
「あらまぁ、元気ねぇ」
「ちょっ……どこ見て言ってるんですか……」
「ふふ、冗談よ。さっきまで私のこと抱きしめながら眠っていたじゃない。奈々はまだ起きてないわ」
「そ、そうでしたか……すみません」
「謝ることなんて何もないでしょう?男の子なんだから」
美鈴さんは俺の頭を撫でながら微笑んだ。
「で、でも……」
「熊治、ちょっとだけ目を閉じてくれる?」
「え?あ、はい……」
言われた通りに目を閉じると、唇に柔らかい感触が伝わった。
「ん…みす、ずさ…」
「熊治……好き……」
何度も啄むようなキスをされ、頭がボーっとしてくる。
理性が飛びかけたころ、彼女は唇を離した。
「さ、今日もお仕事頑張りましょうね、旦那様」
悪戯っぽく笑う彼女に、思わず見惚れてしまう。
「みす、ずさん……」
俺は顔をくしゃくしゃにして、彼女に抱き着いた。
「きゃっ……もう、甘えん坊さんね」
「あなたが悪いんだ……」
そのまま彼女をベッドに押し倒す。
「あ、あの……するの……?」
「嫌ですか……?」
「い、いいけど……奈々が起きちゃうかも……」
「…………じゃあせめて口でしてください。お願いします!」
「えぇ……しょうがないわねぇ」
その後、奈々ちゃんに「お父さんとお母さんうるさい!」と言われたのは言うまでもないだろう。


「瀬戸原って彼女とかいんの?」
昼休み、同僚の小林に訊かれた。
「いるぞ」
「本当か?二次元嫁のことじゃなくて?」
「そんなわけあるか。もう毎日メロメロだよ」
「うわ…。お前、メロメロとかいう言葉使うんだ。意味分かって言ってるのか?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ?50%の確率で技が出せなくなる事だろ?」
「……………」
「冗談だよ。本当は『心がときめく』という意味だ。覚えておくといい」
「はあ……」
彼は呆れた様子だったが、俺は気にせず昼食を食べ始めた。
課長の意向で、俺達の関係は社内では内密にしている。指輪も嵌めていないので、周囲にはただの上司部下にしか見えないだろう。
「お前はどうなんだよ」
「俺?俺はいねーよ」
「意外だな」
「まあね。俺、結構一途だから」
「へー」
「興味無しかよ」
小林は苦笑しながら言った。
小林がパンをかっ食らっていると、赤坂さんが近づいてきた。
「ねえ、この資料のことだけど……」
「ああ、それはですね……」
2人のやり取りを見ながらため息をつく。
「ありがとう。じゃ、またよろしくね」
「はい、分かりました」
にこりと笑いながら去っていく課長を見送りながら、小林は呟いた。
「最近さぁ……課長、綺麗になったと思わねえ?」
「そうか?」
「そうだよ。だって前よりも表情豊かになってるもん。あんな笑顔見たことないよ」
確かに、俺が初めて会った時の課長はもっと冷たい感じだった気がする。それが今では……
「彼氏できたのかなぁ……」
「彼氏どころか結婚して子供もいるらしいぞ」
「マジで!?いつの間に……」
「もう5年以上前だな」
あんまり正確に答えるとなぜ知っているのかという話になるので適当に答えた。
「なんで教えてくれなかったんだろ……」
「……小林お前まさか……」
「ちげえよ!そういう意味じゃなくて!普通に友達として知りたかったっていう意味だよ!」
「そっか、良かった。……あ、やべ」
露骨に安堵する俺を見て、今度は小林がニヤリとした。
「ふ~ん、やっぱ好きなんじゃん」
「……違う。今のは……ほら、社内恋愛は仕事に支障が出るかもしれないからな」
「はいはい、そうですかい」
「おい、変な想像すんな」
昼食後にトイレで吐いていた俺は、もうどこにもいなかった。


「お疲れ様でしたー」
定時になり、みんな帰って行く中、俺はパソコンと睨めっこしていた。
というのも、先日提出した企画書が没を食らい、再提出を命じられたのだ。
「うぅ……全然納得できない……」
そもそも俺の企画は『グッズ製造も可能なイラストリクエストサービス』だったはずなのだが、どうしてこうなった……
俺がパソコンの前で唸っていると、同期の静岡さんが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「あ、これ?実はさっきの企画書が通らなかったから直そうと思って……」
「どれ見せてみて」
「うん」
彼女が近づいてきて、俺のパソコンの画面を見る。フローラルな香りがふわりと香った。
「ふむふむ……」
「ど、どうかな?」
すると、彼女はクスッと笑った。
「何笑ってんの?」
「あ、ごめんね。なんだか懐かしいなあって思って」
「どういうことだ?」
「私もよく同じミスをしたなって。ほら、ここ」
指差された場所を見てみると、似たような誤字があった。
「ほんとだ……」
「ふふ、頑張ってね。応援してますよ」
「ありがとう」
彼女は優しく微笑むと、俺の頬を撫でた。
「!?」
「頑張れ♡」
俺は顔を真っ赤にして俯いた。
(なんだ、今の…)
ドキドキしながらキーボードに手を置く。
静岡さんは俺より2歳年下の同期で、誰に対しても優しいことで有名だ。だからまぁ今のも大した意味はないのだろう。
(静岡さん、可愛いよな…それに巨乳だし……)
そんなことを考えていると、不意に課長の顔が浮かんだ。
「瀬戸原くん?今度同じミスしたらクビにするわよ?」
ダメだダメだ。今は集中しないと。
それから2時間後、俺はようやくミスを修正し、課長にメールを出した。
「あぁ~終わったぁ!」
伸びをしていると、隣の席の静岡さんが話しかけてきた。
「お疲れ様です!コーヒー飲みます?」
「ありがとう。貰おうかな」
「はい!」
笑顔で返事をすると、缶コーヒーを手渡される。
プルタブを開いて喉を潤すと、それを静岡さんはじっと見ていた。
「この間、アロマオイルの広告に出てましたよね」
「え?あ…うん」
クライアントの予算不足でモデルが起用できず、はじめは手だけだからという約束がいつの間にか顔出しまでさせられた忌まわしい案件のことを言ってるのなら全力で忘れたい。
「とても素敵でしたよ!まるで本物のモデルみたいでかっこよかったです♡」
「アッ…ありがとう…でもそれはカメラマンとスタイリストの腕が良かっただけだから……」
「そんなことないです!だってこうやって今お話しててもすごくカッコいいし……」
「えっと……あの……」
俺が戸惑っていると、彼女は話を続けてきた。
「あの……今日ってこの後予定ありますか?」
「え?えーっと……」
奈々ちゃんは美鈴さんに任せれば大丈夫だろうし、特に用事はないか……
「特n「良かったらご飯でも行きませんか?私、ずっと瀬戸原さんと仲良くなりたかったんですよ~!最近できた美味しいイタリアンのお店があるんですけど……」
「お、俺で良ければ」
「やった!じゃあ早く片付けちゃいましょう!」
「は、はい!」
こうして俺は、初めて女性と2人で食事に行くことになったのだった。


「ふぅ……食べた食べた」
「美味しかったですね」
「はい。また来たいです」
「ふふ、ぜひ」
2人は店を後にして歩き出した。
「あ、そうだ。明日の土曜日は空いてます?」
「あ~すみません、休日はちょっと……子供の世話とかあるんで」
「……ああ、そういえば奥さんがいましたね」
「はい」
「では夜ならどうでしょう?」
「夜ですか……多分いけると思います」
「じゃあ決まりで!楽しみにしてますね?」
静岡さんはのぼせたよう顔で言った。
「ええ、俺も楽しみにしています」
俺達は駅に向かって歩いていった。
その時、突然後ろから声をかけられた。
「ねえ、そこのあなたたち、ずいぶんと楽しそうねえ。私も仲間に入れてくれない?」
振り向けばそこには赤坂課長が立っていた。
「課長……」
「ねえ、これからどこかへ行くの?私も一緒に行っていいかしら。それとも、二人きりじゃないと嫌なのかしら?」
そう言いながら俺の腕にしがみついてくる。
「ちょっ、美鈴さん!?」
「ま、まさか、瀬戸原さんの奥さんって……赤坂課長なんですか!?」
「あら、悪いのかしら」
「そ、そんな……」
静岡さんは絶望的な表情を浮かべていた。俺としてはなぜそんなにショックを受けているのか分からないのだが……
「美鈴さん、とりあえず離れてください」
「どうして?」
「俺達の仲は会社では秘密にしているはずです」
「そうね」
「なのにこんなことしたらあっという間にバレてしまいます」
そう言うと、彼女は渋々といった様子で離れた。
俺がホッとして向き直ると、そこにはもう静岡さんの姿はない。
「あれ?静岡さん?」
「彼女なら帰ったわよ。何、もしかしてガッカリした?」
「別にそういうわけじゃ……」
「熊治。あなた顔だけは良いんだから、もっと気を付けないと変な女に食われるわよ?」
「へ、変な女って、静岡さんは普通の女の人ですよ。仕事もできるし気配りもできるいい女です」
俺の言葉を聞いて、彼女は大きなため息をついた。
「はぁ……これだから貴方は目が離せないのよ……仕方ないわね。今日はもう帰るわよ」
「え、でも」
「いいから、ほら」
強引に手を引かれて家に帰る。
途中、美鈴さんが悲しげな顔をしてため息をついた。
「熊治……私達の関係が周りに知れたら困るのは分かるけれど、少しくらい喜んでくれても……」
そう拗ねる彼女の横顔を見て、俺は嬉しくなって抱き着いた。
「ちょ、熊治、ここ外よ?」
「大丈夫です。誰も見てませんから」
そう言って頬擦りすると、彼女が耳元で囁く。
「ふふ、甘えん坊さんね」
「好きです。美鈴さん」
「あっ…ちょっ、熊治……お尻触らないで……」
「ん?どこのことです?」
「この……変態……」
「美鈴さん。寄り道したいです。お願い………」
耳元で甘く囁いてみる。
「ダメ……奈々が待ってるし……」
「ダメ……ですか?」
「だ、ダメ……ダメ……」
彼女は首を振って否定する。
「どうしても?」
「うぅ……わかった……ちょっとだけ……ちょっとだけだからね……」
「ありがとうございます!」
こうして俺達はホテルに向かったのだった。
ああ……俺はすっかり彼女無しでは生きられない身体になってしまったようだ……


事の発端は俺が取った電話だった。
その時、会社の近くで大きな火災があり、社員が避難誘導にあたっていた。
俺はオフィスに残ったのだが、そのときに掛かって来た電話だったのだ。
電話の音が鳴りやまず、俺は決心して電話対応をする事にした。
「はい、トリイ商事でございます」
「ああ、私は村木と言う者なのだが………」
その時俺はこれから起る事など知る由もなかった。


「瀬戸原くん。大変な事をしてくれたわね」
「はい………申し訳ございません」
俺が頭を下げると、課長は無言のまま見下ろしてきた。
「はあ……村木さんは大事な取引先の社長さんなのよ?その方からのクレーム……どう責任を取るつもりかしら?」
「えっと……それは……」
「何か言ったらどうなのかしら?」
「すみませんでした」
「すみませんですむと思っているの?ああ……頭が痛いわ。貴方の所為で大損害よ」
赤坂課長は額に手を当てて頭を左右に振る。
俺は黙ったまま俯いていた。
やっぱり俺には社会人は無理なのかも知れない………。
課長にこってり叱られた後、家に帰る。奈々ちゃんがすでに帰宅していたようで玄関を開けるとリビングの方からパタパタと足音を立ててやってきた。
「おかえり、くまパパ!今ね、本当のパパが来てるよ!」
「え?」
彼女が振り返ると、部屋の入り口に見知った男が立っていた。
「奈々から聞いたよ。まさか君が新しい美鈴の彼氏だとは思わなかった、瀬戸内君」
「あ……あなたは……」
「先程君に失礼な対応をされた、村木というものだ」
村木さんはニンマリとした笑みを浮かべていた。
「あの時は大変失礼しました。それで……どうしてここに?」
「今日は奈々の誕生日だろう?父親として祝いに来るのは当然のことだ」
村主さんに頭を撫でられた奈々ちゃんは、俺に向かってVサインをした。
「さっきまでね、ケーキ食べてたんだよ!ね、パパ。くまパパのぶんもあるよ!あ~、きょうはさいこうのたんじょうびだな~!」
そう言って無邪気に笑う彼女を見て、俺は悟った。
――負けている。何もかも負けていると………。
「そろそろ美鈴が帰って来る頃だな」
「な、なんで分かるんですか?」
「そんなもの、夫婦だからに決まっている」
勝ち誇った表情をする村木さん。
そんな時、玄関の扉が開く音が聞こえて来た。
「ただいま」
「お、帰ってきたみたいだぞ」
「ママーーーーパパが来てるよーーーーー!!」
「え!?あの男、どうやって家に上がったの!?」
美鈴さんは慌てて靴を脱ぎ捨ててリビングに駆け込んできた。
そして村主さんの姿を見つけるなり詰め寄っていく。
「ちょっと、もう来ないでって言ったでしょう?私にはもう新しい旦那もいるし、お腹に子供も居るんだから!」
「そうかそうか、お前は若い男が好きだからな。それでこんな使えない男をいつまでも雇ってるのか?そんなことじゃあの会社も長くはないな」
「あのね!熊治は障が……」
「美鈴さん!もう良いですから!今日は家族3人水入らずで過ごしてください。俺は近くのホテルにでも泊まりますから」
俺は鞄を持って立ち上がった。このままではいけないと思ったのだ。美鈴さんが幸せになれるなら、俺は身を引くべきだと考えた。
しかし、美鈴さんは必死になって引き留めてくれる。
「ダメよ、熊治!!私の夫は貴方だけなんだから!!!」
「み、美鈴さん…」
「ねぇ?奈々だってくまパパのほうが好きでしょう?」
村木さんの後ろを見ると、奈々ちゃんが絶望的な顔でこちらを見つめている。
「奈々は………やっぱりホントのパパがいい……」
「奈々はパパっ子だからな」
勝ち誇った顔をする村木さん。俺は居てもたってもいられなくなり、家を飛び出した。
「あっ、熊治!」
美鈴さんの声が聞こえるが、俺は振り返らなかった。


時刻はもう7時を過ぎていたが、なんとなくホテルに向かう気にもならず、俺は久々に母の施設を訪ねた。
「あら、久しぶりじゃない。どうしたの?」
母は俺の顔を見るなり嬉しそうな声を上げる。俺は何と返せばよいか分からず、しばらく沈黙した後、ポツリと言った。
「母さん……俺、また一人になっちゃったよ」
「…………」
「俺はバカだなぁ………こうなるって分かってるのに………もう何回繰り返してるんだろ………俺は幸せにはなれないってわかっているのに……」
俺の頬に冷たいものが流れる。
母は特別慰めてくれるわけでもない。それでも俺は心のどこかで母親に慰めてもらうのをずっと期待しているんだ。
「また来るね」
「ええ」
こうして俺は施設を出た。


帰り道、コンビニで弁当を買い、駅前のビジネスホテルにチェックインして、シャワーを浴びた。
久々に『2ちゃんねる』を覗く。俺にはここが安住の地だった。
【トリイ商事】トリイ商事社員専用スレ10
1.名無しの社員さん
【悲報】会社でやらかした俺、相手が課長の旦那だと知って自殺を決意 2ch.sc >>1 乙 3
2.名無しの社員さん ざまあw 4
3.名無しの社員さん 自業自得やん 54.名無しの社員さん 相手も既婚者なのに手出したんか
「ふふっ…」
ああ、落ち着く。
明日になったらアパートを探して、ああ、またテンガ様に頼る生活が始まるのか……。
大丈夫、もう何度も経験している。この寂しさは慣れっこだ。
ああ、今日は寝よう。明日から頑張ろう。
そう思って目を瞑ると、スマホに着信があった。
「はい、もしもし」
「………くまパパ?」
電話の相手は奈々だった。
「奈々、どうした?パパとママとお誕生日パーティーするんだろう?パパと仲良くしろよ」
「うん、でもくまパパ泣いてたから……」
「おれは大丈夫。本物のパパが帰ってきて良かったな」
「くまパパ……あのね、奈々ね、おおきくなったらくまパパのお嫁さんになる」
「………ん?」
「だからね、もう泣かないで」
奈々のその言葉を聞いて、目頭が熱くなった。
「ありがとう、奈々。でも奈々が16歳のとき、くまパパはもう40歳だよ。きっと奈々も素敵な人と結婚してるさ」
「やだーーーーーー!!!!奈々はずっとくまパパと結婚するのーーーーーーー!!」
奈々は大声で泣き始めた。
「あーあーあーあーあーあーあーあーあー」
電話の向こうで美鈴さんがあやしている声が聞こえる。
(ああ……神様、もし居るのならお願いします)
俺は心の中で祈った。
――どうかこの子だけは幸せにしてあげてください。


翌朝、俺は泣き腫らした眼で会社に向かった。
そしていつものように仕事をこなし、昼休みの時間を迎える。
「瀬戸内、その眼どうしたんだよ」
小林が心配そうに声を掛けてくる。
「いや、何でもない。ちょっと失恋してな」
「マジかよ!?」
「まぁ、俺が悪いんだけどな……」
「そんなことより飯行こうぜ!瀬戸原のそういう話、もっと聞きたい!」
俺は財布を持って立ち上がる。
「悪い、今は一人にしてくれないか」
「お、おう……なんかあったら言ってくれよ?」
「……気が向いたらな」
俺は食堂に向かって歩き出す。すると背後から声をかけられた。
「ねえ、瀬戸内くん」
「課長」
「私も一緒に行って良いかな?私も貴方の話を聞きたいわ」
「課長……」
俺は涙が出そうになるのをグッと堪えて言った。
「良いですよ。行きましょうか」
俺は課長を連れて、食堂へと向かった。


「じゃあ、今日は私が奢ってあげるわ。好きなものを頼んで頂戴!」
「いや、流石にそれは申し訳ないので自分で払います!」
「遠慮しないで。今日くらい上司らしいことをさせて?」
「……はい、ではごちになります」
俺は日替わり定食とコーヒー、それにデザートのプリンまで注文した。
「それ、全部食べられるの?」
「はい、食べないと午後の仕事に支障をきたしてしまうので」
「ふふっ、本当に真面目なのね」
「いえ、そんなことはありません」
「ねぇ……私の事好き?」
「えっ?」
唐突な質問に俺は戸惑う。
「私は貴方の事が好きよ」
「えっと……」
俺は言葉に詰まる。俺なんかがいくら美鈴さんのことを好きでいても、なんの意味もない。奈々ちゃんは俺より村木さんを選んだし、何より俺は奈々ちゃんにとっては赤の他人なのだ。
「……おれは自閉症だし……友達もいないし……恋人の作り方も分からない……一人がお似合いなんです」
「……熊治。前にも言ったけど……私、赤ちゃんができたの。もちろんあなたの子供よ」
「…………!」
「熊治、もうあなたは一人じゃないの。お願い、戻って来て。じゃないと私……」
美鈴さんの目には大粒の涙が溜まっていた。
ああ、俺はなんてバカなんだろう。
いつも自分のことばっかりで、肝心な人のことが見えていなかった。
俺みたいなクズでも必要としている人が居たんだ。
俺には居場所がある。この人を守れるのは、俺だけなんだ。
「美鈴さん…奈々ちゃんの事なんですけど」
「え?え、ええ」
「俺、感動しました。『本当のパパのほうが良い』とか、俺と結婚するとか、そんなふうに自分の言葉で言えるなんて凄い事です。奈々ちゃんは強い子です。きっと将来素敵な女性になると思います。美鈴さんみたいに」
「……」
「美鈴さん。手、出して下さい」
「手?」
「いいから早く」
「こう?」
「俺はポケットから小さな箱を取り出だして、その中身を薬指に嵌めた。
「これ……どういう意味?」
「そのままの意味です。俺、奈々ちゃんと新しい命のパパになりたい。………ダメですか?」
「……」
美鈴さんの目からはポロポロと涙が溢れていた。
「わ、私は、ふつうの母親みたいに優しくないし、会社ではあなたを叱りつけることも沢山ある。それでも……私を選んでくれるの?」
「はい、それが俺の幸せなんです」
「熊治……熊治ぃぃぃぃぃ~~~~っ」
美鈴さんは俺の胸に抱き着いて泣き出した。
「み、美鈴さん、ここ、社員食堂……」
周りの視線が痛かった。
美鈴さんは泣き止むとすぐに立ち上がった。
「ねえ熊治。あなたは酔って覚えていないようだげど、私を初めて抱いてくれた日、あなたは指輪を買ってくれたのよ?」
「え?そうなんですか?」
「ええ。あの時のプレゼント、まだ持ってる。『あなたを幸せにします』っていうメッセージと一緒に」
「そうだったんですか……。なんか恥ずかしいな……」
「ふふっ。じゃあ、行きましょうか。奈々が待ってるわ」
「はい」
俺たちが食堂を出ると、小林が待っていた。
「おっす!大丈夫なのか?」
小林は手を繋いだままの俺たちを見て驚いた様子だ。
「え!?か、課長!?瀬戸原お前……ついにやっちまったのか!?」
「違うよ。これから家族が増えるんだ」
「マジ!?課長と瀬戸原の子供!?」
「まぁな」
小林は目を輝かせている。どうせコイツのことだから、またロクでもない妄想をしているに違いない。
(まぁ、いっか)
俺は隣にいる美鈴さんの顔をチラッと見る。
彼女はくすりと笑うと、俺の耳元で囁いた。
「今夜もマッサージしてくれる?旦那様♡」
俺は返事の代わりに彼女の唇を奪った。
―完―

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