お〜いお茶を毎日飲んでいる
伊藤園の「お〜いお茶」の側面には、いつも「伊藤園新俳句大賞」という投稿型の俳句コンテストが載っている。このコーナーに掲載される素敵な俳句を楽しみにしているのは俺だけではないだろう。このたび、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手が「お〜いお茶 グローバルアンバサダー」に就任した記念として、大谷選手の俳句が載っていた。
大谷だったらなんでもいいのか? 伊藤園よ。大谷の名前に頼りすぎではないか。
俺はなにしろ「お〜いお茶」の大ファンである。毎日必ず2リットルのペットボトルを買って飲んでいるし、今も飲みながらこの記事を書いてる。ファンになったのは、高校生ぐらいの頃にテレビで見た伊藤園のエピソードからだ。
その昔、ペットボトル入りのお茶を各社が発売し、熾烈な競争が巻き起こった頃、伊藤園は他社に先駆けて、とある法則を発見した。それは単純で「にごってると売れない」というものだった。「透明なお茶が売れる!」それから伊藤園はすごく頑張って研究に研究を重ね、お茶の「にごり」を徹底的になくした「透明」なお茶の開発に成功した。これが「お〜いお茶」。それから「お〜いお茶」は業界のトップに立った。
そしたらすぐあと、突然「透明なお茶は売れない」時代が来た。なんか「綾鷹」とか「伊右衛門」とかがすっごい売れる。あんなに頑張って透明にしたのに。どうしよう、今からでもにごらしたほうがいい? このままいったほうがいいのかな……。わかんない……(>_<)
おぉ……、なんて可哀想な伊藤園。よしわかった、俺が買ったらあ! と、伊藤園の努力を意気に感じて買い始めたのがきっかけである。
それがなんだ、どうしたんだ伊藤園、一体この俳句は。絶対大谷が作ってないだろ。「お茶」は使わないんだよ「お〜いお茶」の俳句に。すき家レイディオと間違えてないか? すき家レイディオは必ずいきなり「すき家」が出てくるけど。なんでそんなところにタイミングよくすき家があるんだ。
だいたい大谷は変な色のスポドリしか飲んでねえじゃねえか。一体いつお茶飲んでんだ。大谷のスポドリあれなんだあれ。BCAA? なんだそれ。「分枝鎖アミノ酸」? ああ、「分枝鎖アミノ酸」のことか。それだったらそう言ってくれよ。
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小中学生の俳句のフレッシュな感性も素敵だし、ご年配の方の「年輪」を感じる俳句も味があって良い。17文字で切り取った世界の奥にはそれぞれの人生がある。しょせん自分の目でしか見られない世界に、新しい視点が加わる気がする。
残念ながら文言は覚えてないのだが、10代の(おそらく)女性の作品で、「終電をわざと逃してほくそ笑む」的な俳句があったのを覚えている。いいですねえ〜。そんな青春俺にはありませんでしたけども。なるほど、わざとね! そしたら帰れなくなっちゃうもんね! 大変だ。こりゃ大変だ。
終電も喜んでますよ。「ポッポー!」って汽笛鳴らしてますよ。
終電「いいのかい乗らなくて?」
「いいんです!」
終電「こりゃ大変だ、ポッポー!!」
電車マニア「千歳烏山で京王新線の快速に乗り換えれば今ならまだ間に合いますが」
終電『10番線ドア閉まります。プシュー』
事情がありそうな人「あぁ、間に合わなかった! 最終の飛行機で彼女が旅立ってしまう!」
終電『!?……10番線ドア開きます。プシュー』
事情がありそうな人「やった開いた! これで彼女の見送りに行ける!」
電車マニア「どちらへ?」
事情がありそうな人「羽田空港です!」
電車マニア「それならタクシーに乗りなさい」
終電『10番線ドア閉まります。プシュー』
事情がありそうな人「あと20分で飛行機が飛んでしまうんです!」
終電『!?……10番線ドア開きます。プシュー』「おいあんた。飛ばすかい?」
事情がありそうな人「お願いします!!」
終電『10番線の電車、羽田空港行き直通に替わります。途中の停車駅はありません』
電車マニア「恋の特急列車、出発進行ってわけか……。やれやれ」
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去る10月22日は詩人・中原中也の命日だそうだ。20歳ぐらいの頃、中也ファンの親友(よく出てくる「永山」)が毎年この時期になると中也を悼んでいた。
「中原中也は30歳で亡くなった」というのが決まり文句で、「樋口一葉は25歳」というのが必ずあとに続く。夭折した天才と自分達とを比べて勝手に凹むのは恒例行事になっていた。
「とりあえず樋口一葉に追いつくのはやめておくか」
あと5年足らずで教科書に載るような偉業を達成しようとすると今から本気出さないといけないのでやめておくとして、30までにどうにか、というのが俺たちのいつもの流れだった。あれから13年。とりあえず生きてる。少なくとも元気だ。
中也の眠る山口県では、今でも毎年の命日には「中也忌」といって全国からファンが集まるらしい。時代を超えて場所を超えて、思いが伝わっている証拠だろう。かつて書かれた詩や歌や文章が、今でも誰かの背中をそっと押している。
ジャズ・ミュージシャンの菊池成孔さんがラジオで「普通、音楽は『過去』に制作されて『現在』聴く。しかし、あらゆる音楽の響きの中には、『未来』から逆行して循環的に届くメッセージがある」と語っていた。今なら意味がわかるような気がする。
100年後や1000年後、未来のいつか、どこかの誰かが、現代の何かに心を動かされることがあるのかもしれない。それは誰かの音楽かもしれないし、詩や小説かもしれないし、あるいは俺たちがこうして書いている文章かもしれない。誰かひとりの背中でも押せたなら。未来から届くメッセージを感じることができたなら。失敗だらけのちっぽけな人生にも意味を感じることができるだろうか。
やあ、1000年後のきみ! 見てる〜??
セックス!!(俺最大のユーモア)
おいおいおい。おいおいおいおい。おいおい! おい!! おいおいおい。
ノーベル文学賞取りたい。
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過去の詩や小説や歌に励まされるときはたくさんあるが、逆に鋭利な槍で心を貫かれるときもある。今回取り上げたいのは「君死にたまふことなかれ」で有名な与謝野晶子の代表作『みだれ髪』から。
現代語訳をすると、「小難しいこと語ってますけど寂しくないんですか? 柔肌の熱き血潮に触れてもみないで」。
「道を説く君」っていうのが「小難しいこと語ってるお前」っていう意味で、寂しくないのか? と言っているわけです。これはいけませんね。これは傷つくね。寂しいに決まってるじゃんね。しょうがねえじゃん。そんなこと言うなよ。
「やは肌のあつき血汐には……?」
「いや、触れてないですけど」
「小難しいことは……?」
「語ってますね」
「そしたら……え〜と、あの〜」「寂しくないんですか?」
寂しいよ!! わざわざ確認しなくてもいいだろ!
「道を説く君」で与謝野晶子がブッ刺しに来た相手は誰なのか、というのはこの歌が発表された当時からみんな気になっていたようで、先輩歌人の河野鉄南が晶子との書簡の中で「これ俺のこと?」と聞いているようだ。そりゃ気になるよな。自分宛てだったら相当傷つくもんな。それに対して晶子はこう答えている。
「絶対内緒なんですけど、鉄幹さんのことです!」
「鉄幹」とは晶子と交際していた与謝野鉄幹のことで、実際そのように解釈する説もある。鉄幹のことだったらなるほど、そっかそっか。おほぉ〜い鉄幹!! 言われちゃってるよぉ! カノジョに嫌われちゃうよぉ〜! っていう話だ。てっか〜ん。ガッと行かなきゃ!!
一方、与謝野晶子“本人”によるこの歌に対する注釈も存在し、それには「道学者諸君(小難しいこと語ってる連中)」に向けてと述べられている。この場合、たとえば俺なんかも含まれることになる。
おいおいおい。なんだなんだ? (ざわざわ)。俺たちのことか? なんだ? なんだなんだ? (ざわざわ)。おいおいおいおい。なんだ?
「鉄幹さんのこと!」
てっか〜ん!! ヘイヘ〜イ!! ヘタレかあ? うぉ〜い! 言われちゃってるぜぇ〜??
「道学者諸君」
おいおいおい。(ざわざわ)。なんだ? なんだなんだ? (ざわざわ)。なんだ? おいおいおい。なんだ? なんだ?
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個人的には、与謝野晶子のこの歌は鉄幹に向けての個人的なものだと思っている。というかそっちの説を採りたい。そうじゃないと時空を超えて俺に刺さりまくるからだ。
我々が書くとき、喋るとき、あるいは人に何かを伝えたいとき、常に寄り添うべきは「傷ついた魂」であると考えている。自分のであれ他人のであれ。それが文学じゃないか。だから与謝野晶子が当時の俺みたいな連中に意地悪を言いたかったわけではないと信じたい。
今回の最後は俺の大好きな俳句で締めよう。秋にぴったりな俳句だ。良寛という和尚さんが、粗末な自宅に泥棒に入られて、大して盗むものも無いんだが全部持って行かれた。こんな粗末な家に泥棒に入るぐらいだからよっぽど大変なんだろう、と自分が寝ていた布団も持って行けるようにわざと寝返りまで打ったそうだ。
全部無くなっても、窓には月が残っていた。