「先生」がちょっと笑った
この4ヶ月ほど、俺の後輩として新入社員が入ってきて「研修」を行っていた。しばらく一緒に仕事をして色々なことを覚えてもらい、一人前になったら「卒業」、独り立ちしてもらうのだ。ちょうど最近卒業して俺のもとを離れていった。先輩は少しさみしい。
今年24歳らしい。俺は今年33歳なので、面積で表すとちょうど4倍だ(?)。年齢にはさほどびっくりしなかったのだが、「2000年生まれ」と聞いて衝撃を受けた。2000年生まれがついに俺の後輩になったか! 未来感がすごい。「西暦2000年」の時点ですげえ未来っぽかったのに、「2000年生まれの24歳」って俺らからすると未来人みたいなのだ。
全身シルバーの全身タイツを着て、ヘッドマウントディスプレイみたいなのを頭につけてセグウェイに乗って出社してきた。やっぱ2000年生まれはちげえな。俺たちが新人の頃はもっと地味な色の全身タイツじゃないと怒られたものだ。リクルート全身タイツじゃないと上司に対して失礼だろ。
大阪出身らしいんだが、今どきの子は「瞬間移動」ができるんだってな。最寄駅から新大阪まで瞬間移動して新幹線で来たそうだ。東京まで瞬間移動したらいいんじゃないの? って言ったら見たことない色のゲル状の物質を吐いてた。ショックだったらしい。
「なんか趣味とかあるの?」
「ビビビビ ビビビ! ビビビビ!!」
「おぉすげえ、なんかFAXが来た」
「ビビビ! ビビ ビビビ!」
「便利だよな」
「ビビビビビ! ビビビ」
「どうしたの?」
「ビビビビ! ビビ! ビ」
「俺もやれって?」
「ビ」
「わかった。……びびび! びび!! びびび!」
「なに言ってんすか?」
「ええ!?」
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俺がやっと社会に出たのは25歳のときだったが、最初に仲良くなった先輩は34歳の川口さんという人で、ちょうど9歳上だった。だから面積で表すと4倍だった(?)。
よく川口さんを過剰に年上扱いするという冗談を言っていたんだが、べつに怒らず笑って否定してくれていた。
「満州事変ってやっぱ大変だったんですかね」
「江戸幕府ってちょうど川口さんの頃ですよね?」
俺が川口さんの立場になったらどう思うかな? と思っていたんだが、新人くんと高校生の頃に流行ってたファッションの話になって、「俺さんの頃は『コギャル』ですよね?」と素で言われてびっくりした。そんなわけねえだろ! だいぶ前だよ!!
と思ったがコギャル文化は俺が小学生の頃だから、当たらずとも遠からずっちゃ遠からずか。ちょうど川口さんが高校生の頃だろう。コギャルと暴走族と「ハイビスカス柄」が、俺から見たあの時代の象徴である。
俺の頃はほんのちょっとだけコギャルが残りつつ、基本的にはみんなワンピースのエネルみたいな格好をしていた。だから物理攻撃が通らないんだよな当時のJKは。怒ると「万雷」って言いながらおっぱいをちぎって投げてくるからすごい怖かった。だったらエネルでもねえじゃねえか。
「ジェネレーションギャップで話が合わなくて云々」という話をよく聞くが、個人的には世代の違う人と話すのは単純に楽しい。同い年でも育った地域や環境や、背景の違いが楽しい場合もあるわけで、もしそうでないとしたら外国の人とどうやってコミュニケーション取るんだろう。あるいは宇宙人が来てくれてたまたま日本語を喋れたとして、「やっぱダメだ宇宙人は。話が合わない」と投げ出すだろうか。自分で書いてて思ったけど、でも宇宙人はマジで話が合わないかもしれん。普通につまんねえ可能性がある。つまんねえ宇宙人やだなあ。
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大学生の頃、大学の裏の住宅街にある飲み屋さんになんとなく入ったことがあった。70歳ぐらいの大将が1人で切り盛りしていて、メニューも「おでん」とか「筑前煮」とか家庭的な感じだ。頼んだらメニューにない食べ物も作ってくれて、「おにぎり」とか「ハムカツ」とか気軽に作ってくれた。値段は大将がてきとうに決める。
L字にカウンターがあって10人ほどが座れるんだが、ソロで来ている地元のおじさん達が6人ぐらい飲んでいた。若手は俺と、もう1人常連の大学院生がいるぐらいで、平均年齢は60歳ぐらいだった。
ここの良いところは、カウンターの中にいる大将がみんな均等に話を振るから、なんとなくその場にいる全員で盛り上がっていくムードがあることだった。俺は初めて行く店だったが疎外感を感じることもなく、自然な流れでみんなの話に入っていた。ちょうどテレビで「ソチ五輪」がやっていて、眺めながらワイワイ色んな話をしていた。
カウンターの一番端っこに、背中を丸めてちびちび日本酒を飲んでいる「アインシュタイン」みたいな風貌のお爺さんがいた。90歳ぐらいだろうか。どんなに場が盛り上がってもぴくりとも反応せず、ただただ日本酒を飲んでいる。そのお爺さんは「先生」と呼ばれていて、みんなで分からないことがあったときだけ「先生」に話が振られる。
「先生、これってどう思いますか?」
「……、……(ボソボソ)」
「?? なるほど……」
「……(ボソ)」
「??? なるほど……」「それでさあ!」
いつもこんな調子だ。
なんだ先生。先生気になるな。先生圧倒的に気になる。途中から俺は先生に夢中だった。色んなエピソードを話す。みんな笑ってくれる。だが先生は笑わない。ぴくりとも反応しない。色々な言い回しを試す。先生は笑わない。ボケる、ツッコむ、先生はまっったく笑わない。
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どうすれば先生は笑うんだ。そもそも俺たちの話を聞いてるかも謎だが、とにかくどうにかして先生を笑わせたい。90歳ぐらいの人が笑う話ってなんだ? 70年も先輩の人を笑わせた経験が無い。わからん。なんか共通のあるあるとか無いか? 「人間あるある」とかそういうレベルだ。「二足歩行だ」。誰が笑うんだ。なんかちょっとしたワードとかでも無いだろうか。
「先生」……。京大の裏の飲み屋だったから、かつて京大の先生だった人なのか? とすれば……。俺が思いつく作戦はひとつしか無かった。かつての京大といえば「マルクス主義の砦」だったはずだ。ここはマルクス主義ワードを放り込むしかあるまい!
こんどはどうやって雑談の中にマルクス主義ワードを放り込むかだ。マルクス主義ワードを雑談で用いたことのある人はいますか? マルクス主義者でもなきゃ普通いないな。俺も無い。かなり上の世代の若者は普通に「オルグ」とか「敗北主義」とか「総括」とか言ってたんだろうが、俺の世代は知識として知っているだけだ。
23時を回った頃だろうか、夜も深まってみんなで「おでん」の話をしていた。要するにこんな話だった。
・おでんは昔からある
・おでんは時代を追うごとに常に進化している
・したがって現代のおでんが歴史上で一番おいしいおでんである
……来た!! ここしかない!! 放り込め! マルクス主義ワード!!
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😊ここで大好評!! 同志俺による、マルクス主義ワード解説のコーナー!!😊
今回は『唯物論的歴史観』編だよ!! ドンドンドン、パフパフ〜!
『唯物論的歴史観』とは、マルクス流の歴史の捉え方である。
ドイツの哲学者マルクスは、人間社会の根本的に一番重要な要素は「生産」であると考えました。政治でも法律でも宗教でも思想でもなく、「生産」を通して歴史を見ることで法則性を見出そうとしたわけです。だから唯物論(=物質主義)なんですね。
「生産」には生産にまつわる固有の関係が必ず存在します。「雇う/雇われる」「支配する/年貢を払う」などがそうです。こうした関係を「生産関係」と言い、時代を追うごとに生産力が上がると、この関係に様々な形で問題が生じてきます。
ちょうどこの時代には、「進歩史観」が主流でした。これは、「A」という考え方に対して「B」という反対意見がぶつかると、両者をミックスしてより素晴らしい「C」という意見が生まれるという考え方(これを「弁証法的発展」といいます)を人間の社会にも適用し、大きく見ると人間の社会はどんどん良くなっている(悪くならない)という歴史観です。
「生産関係」に生じた問題は多くの場合、「階級闘争」によって解決され、生産力に見合った社会に落ち着きます。この繰り返しによって、人間の社会はある一定の方向に向かって良くなり続けているというのがマルクスの主張でした。
封建制は王や貴族という階級を産み、政治権力を独占しましたが、こうした階級は市民革命によって破壊され、民主主義の社会が誕生しました。これは「政治権力に対してみんなが同じだけの権限を持っている」社会です。
しかしこうした社会には、新たに「資本家」という階級そっくりなものが生まれました。田畑や工場やお店や不動産などのお金を生み出すもの(資本)は子孫代々継承され、そのもとで働く「労働者」との格差は開き続けます。
これを階級に見立て、資本家に対する労働者による階級闘争(共産主義革命)によって今度は「資本に対してみんなが同じだけの権限を持っている社会」(=共産主義社会)が来る、というのが唯物論的歴史観によって言いたいことでした。
それが実際にどうなったかはまた次回!! ばいばーい!!😊😊😊
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でさぁ、いやほんでよ。おでんの話に戻るんですけど、戻ってきてくれ〜!! みんな〜。戻ってきて〜〜!
ほんでこれは明らかにおでんに対して「進歩史観」が適用されている議論じゃないか。ほんとは江戸時代のおでんの方がうまい可能性があるじゃん。そんなのわかんないだろ。
厳密には全然違うんだが、当時の俺は「進歩史観」と「唯物論的歴史観」をごっちゃにしていた。出てくる場面がほとんど一緒だし、似たようなもんだからだ。そこで俺はこのおでんの話をこのようにまとめた。
「なるほど、唯物論的おでん観ですか……」
一同の反応は完全に「さとうきび畑」みたいな感じだった。ウケ狙いでなんか言ったら周りから「さらさら〜」という、風が通り過ぎたような音がするときがあるだろう。それだった。「意味はわからないけどウケ狙いでなんか言ったんだろうな」ということだけが伝わったような反応だ。要するにスベッた。
でも関係ない。俺が気になってるのは先生の反応だけだ。先生は笑ってるか!? すかさず先生の顔を見る。どうだ先生!! 笑うか……!!??
「ふふ……、ふ……。唯物……。ふふ……」
ちょっと笑った!! よっしゃあああ!!! 先生が笑った!!! 俺はそれだけがただ嬉しかった。
それから俺はうまい酒を飲んだ。
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先日、会社の先輩や新人くんと新宿に飲みに行ったら「ゴールデン街に行ってみたい」と言われた。文壇バーとかがある有名な飲み屋街だ。
ゴールデン街は外国からの人がたくさん来ていて、ワイワイしていたら韓国から来た2人組と仲良くなって一緒に飲むことになった。2人ともお医者さんで、めっちゃお金持ちらしい。カンナム? のさらに富裕層が住むところに豪邸を構えてると言っていた。
「おまえどこの大学?」と片言の日本語でwakatteTVみたいなことを聞いてくるので軽くいなしながら、結局はひたすら下ネタの応酬だった。ひとしきり盛り上がって終電で帰った。
大学生の頃、俺のnoteによく出てくる親友の永山と、文壇バーに行って年越しをしたことがある。萩原朔太郎の詩のタイトルを冠したバーに行ったら、重松清にそっくりな重松清じゃない人がいた。文壇バーにいる重松清みたいな奴だったら、重松清本人であれよ。出版業界で働いてるって言ってたな。だったらなおさら重松清でいいだろ。
「重松清さんですか?」と聞いたら「重松清さんじゃないですよ〜。光栄ですけど(笑)」と言っていた。解釈一致なんだよなあ。
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飲み物としてのお酒はそんなに好きじゃないけど(苦いから)、飲みに街へ繰り出すと、俺も「この街の一部」だなあという感じがして愉快な気分になる。世代も国籍も出身も思想信条もなにも関係なくて、「大勢いるうちのひとり」になれる気がする。街がそうさせてるのか、アルコールがひと役買ってるのか、わかんないけど。
飲み会の集合場所へ向かって、新宿駅東口からビックカメラに向かう道を歩いていたら「シンジ、エヴァーだ。エヴァーに乗れ」って言いながらまっすぐ前を見て歩いて行く若者とすれ違った。どこへ行くんだろう。どこでもいいか。
君もこの街の一部。そして俺も、この街の一部。
汚くてうるさい夜の新宿の街へ溶け込んでゆくのが、その日はなんだか心地よかった。