Oronoと朝井リョウ、ラジオでたまに起きる惑星直列について

2019/04/11 午前3時記す

 先日、日記を書こうとした矢先に電話がかかってきて、結局夜を徹して話し込んでしまい、書けなかった。徹夜の疲れでそこから数日書けなかった。今日もすごく眠いけれど、明日は少し遅く起きても大丈夫なので、この数日間であったことを書けるうちに書いておく。順番は前後するかもしれないが。

 先週放送された星野源のANNをタイムフリーでようやく聞けた。SuperoganismのOronoがゲストとして出演していた。日本語と英語が飛び交う、深夜ラジオとしては恐らく異例の、すごく面白い回だった。Oronoの出番が終わった後、星野源も言っていたけれど、忖度せずに、正直に思ったことを話していた。その姿を見て、すぐにうまく言語化できる星野源もさすがである。それは、僕がここ数日ずっと考えていたことだった。

 「お互いに正直に思っていることをただただ言うけれど、両方が自立しているから、傷つくことはない。意見が違ったら面白いでいいし、同じだったらアツいなと盛り上がればいい」

 星野源はこんな風なことを言っていた。リスナーからOronoへの手紙の中に、"Oronoちゃん"という記述があった。全体的にはOronoの生き方が好きです、という好意的な内容だった。Oronoは躊躇することなく、すぐさまちゃんづけは嫌だと言った。なかなか言えることではない。言うにしても笑いにするなりなんなりと上手く婉曲させながら言うものだ。Oronoはただただ正直に嫌だと言った。そういうのが嫌だから日本を出たのだと。別段、そのリスナーを傷つけるような言い方でもなかった。むしろさりげなくフォローも入れていた。それだけではない。Oronoのことが、そしてSuperoganismのことが好きだというそのリスナーに対して、何が生きがいなのかと問うたのだ。ただ好きで終わってほしくないと、それを超えるところ、つまり、Oronoよりもすごい人になるぐらいに思って欲しいと、彼女はそう言った。そして話しをしよう、DMを送ってくれとも。そんなことを言うアーティストを初めて見た(実際には、聞いた、が正しい。しかしそのような日本語はない、と思う)。

 褒められるのが嬉しくない、もといどう対応していいかわからないということがある。それこそまたラジオの話になるが、先週の朝井リョウと高橋みなみのヨブンノコトの中で似たような話題が出た。

 朝井リョウがフリーアナウンサーの宇垣美里と本のフェスで対談した際に、「褒められる時間」というスライドを作成し、宇垣美里が褒めに入った途端にそれを表示した、という話しをしていた。朝井リョウの場合はナナメからの(いつになったら朝井リョウに夕暮れは来るのか)ひねくれた対応の仕方である。相手が宇垣美里だったから恐らく大丈夫だったとは思う(それを見越してやった可能性もある)。それに対して、Oronoは真正面から相手に対峙しているし、対話しようとしている。朝井リョウはある意味、対話、もといコミュニケーションの放棄である。それが悪いというわけではない。僕は二人の姿勢から自分の行動を反省している。

 では一見相反するように思えるOronoと朝井リョウの共通点は何か。それは意思表示をしているということだ。嫌なことを嫌なのだと。褒められるのは嬉しいけれどそれだけであると。Oronoはそれによって自分が頑張ろうと思うことはないと言っていた。朝井リョウはお互いに褒め合うという予定調和が嫌なのだという話をしていた。その言葉は、その行動は相手を傷つけうる。僕はそれが怖くて、自分の思ったことを言えない。カラオケに行っても自分の好きな歌を歌わない。その場に合わせた選曲をしてしまう。おじさんたちと行った時は、前日にその年代のヒットソングのプレイリストをSpotifyで作ったりした(昭和の名曲はカバーばかりで本人の曲が少ない、それこそ再発見にはいい機会なのにもったいないなと思う)。二人とも自分の言葉が相手を傷つけるという覚悟を持っているのだ。だからOronoの場合は、英語を交えながら、相手を批判するというわけではなく、私はこう思う、ということを懇切丁寧に説明した。朝井リョウの場合は、笑いに変えて(脱臼させて)違和感を表すという方法を使っていた。

 僕はそれを避けている。伝わらないと思っている。でもそんなことはないのではないかと思った。自分の立場を表明することはできるのだ、それは相手を傷つけるかもしれないが、それを自覚すること、なるべく伝わる言い方を模索することで、その傷の痛みは和らぐし、痛みがひくまでの時間は短くなり、あまつさえ筋力がアップしているなんてこともあるのではないかと考えさせられた。

 やっぱりラジオは素晴らしい。惑星直列のようなことが起きる。いや、単に僕自身が起こっているように解釈しているだけか。