二度目のサンティアゴ順礼 0日目
二度目のサンティアゴ順礼巡礼ることにした。
きっかけは、NHKのサンティアゴ特番。フランスはル・ピュイの道から1500kmを歩く様子を撮影したドキュメンタリーが2020、2022と2度にわたって放映された。
サンティアゴ順礼は2018年に経験しているが、それは巡礼証明書がもらえるギリギリの、最後の100kmを歩いただけ。特番のように全工程を通しで歩きたいという欲が湧き上がってきた。
カミーノを歩くことは人生の大きな目標、そう思えるようになった。最もメジャーなフランス人の道で800km、ル・ピュイも含めれば1500kmにもなる道をひたすら歩き、他の巡礼者と寝食をともにすることは単なる宗教的行事以上の意味を持つように思えた。
今回、仕事で大きな休みを貰うことができたので、ル・ピュイを除いた最もメジャーな巡礼路であるフランス人の道全800kmを踏破するべくスペインに赴いている。
すでに出発して現地から文章を練っているため、事前準備編は後で書くこととして、巡礼の日記代わりに書いていきたいと思う。
旅の始まりはフランスから
大部分がスペインのサンティアゴ順礼だが、フランス人の道というだけあって開始地点はフランス側である。フランスとスペインの境、サンジャンピエドポーを目指して行くことになる。
成田から飛行機で20時間、ここがシャルル・ド・ゴール空港である。
ロシアの侵略戦争の影響でロシア上空を飛べなくなった影響で、ヨーロッパ行きの飛行機でコスパを重視する場合はアラブやアブダビといった中東の空港を経由する。
有料ラウンジで暇を潰してトランジットの時間を有効活用し、機内ではDアニでジョジョ5部を一気見して時間を潰した。
時間は潰せるとはいえエコノミークラスで20時間は流石に身体に辛い。ケツの感覚がない。
6月だというのに、パリの朝は以外と寒く、半袖では若干きつかった。
フランス人の道出発地のサンジャンピエドポーは本当に小さな村だ。ローカル線が通って、教会があり、土産物屋やちょっとしたバルがある小ぢんまりした典型的なフランスの田舎町。
直通列車はないためモンパルナスからTGVでバイヨンヌまで行き、そこからローカル線でサンジャンピエドポーまでいくルートが一般的だ。
RER B線という治安の悪い空港直通列車でパリ市内に向かい、モンパルナス駅へ。時間帯によってはスリやひったくりがいるらしく治安が最悪との声を聞いていたので身構えて行ったが、幸いにもそういう輩に遭遇しなかったのは幸運だった。むしろ社内でストロングゼロを開けていないだけ常磐線や南武線より治安がいいと思う。
モンパルナスからTGVでバイヨンヌまで約4時間かけて向かう。日本と違い、フランスの列車は到着直前にならないと到着ホームがわからないためかなり不安になる。途中ボルドー地方やメドック地区を横目に見ながらワインシャトーめぐりもしたかったと思いを馳せていると案外早く着いた。
ここからローカル線(なんとディーゼル車)で1時間かけ、サンジャンピエドポーについたのは夕方6時。さすがヨーロッパというべきか、午後6時でもまだ昼間の明るさだ。
ここに到着した巡礼者がやるべきことは、巡礼事務所で巡礼手帳の確保と宿の確保である。
巡礼手帳は巡礼の証となるスタンプを記録する手帳のことで、これにスタンプが1日1つ以上押されていないと証明書は発行してもらえない。
宿については、次の日から始まる巡礼に備えてアルベルゲ(フランス地域はジット)と呼ばれるドミトリーを予約していた。
ここが本日泊まるジットである。南フランスだから周囲の町並み含めロマンチックで雰囲気が抜群。
チェックインを終えると夕食まで周囲を散歩することにした。
教会や土産物屋をひとしきり見て回り、ジットで夕飯へ。
こういった宿ではしばしばコミュニティディナーという形式が取られる。その日泊まる巡礼者が一つの食卓を囲み巡礼のきっかけなどを語りながら料理を食べるものだ。
この日の参加者は自分以外US、アイルランド、UK、イタリア、フランス、台湾。意外と日本人は少ない。
ホスピタレイロと呼ばれる宿の主人や従業員も参加して自分の経験を語ったりする。
ホスピタレイロの大半はもと巡礼者で、巡礼を繰り返すうちにアルベルゲをオープンするようになる。ラノベでいう元冒険者のギルドマスターのようなものか。
日本から持ってきたエレコムの電源タップは電圧が対応しておらず、壊れてしまった。
現状、スマホ2台とgopro、一眼レフ、ノートPCと充電必要なものが多すぎるのでどうしたものか。
気を落としてもしょうがないので、電源タップを捨てて数百グラムの軽量化を果たしたと思うことにする。
明日はいよいよ巡礼初日である。
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