大好きな「聲の形」がちょっと苦手
先日「聲の形」がNHKで放送されていました。
私は「聲の形」を連載終盤の頃に知って
単行本を全巻買いました。
アニメ化した時は映画館へ観に行ったし
DVDだって買いました。
先日の放送ももちろん観ました。
今まで何度も「聲の形」に触れてきましたが
やっぱり涙は出ました。
しかし、その度に私は
登場人物に自分を重ねてしまい
ちょっと苦しくなってしまいます。
悪ふざけのつもりが相手を傷つけてしまったり
浮いていると感じた時に自意識過剰になったり
自分のことが嫌いだったり
その事を忘れて楽しんでいたのに
ふと思い出して辛くなったり
といった石田や西宮の心境を見ていると
「あぁ、自分にもこんな事が…」となります。
もともと私は漫画やアニメを鑑賞するときに
感情移入を一切しません。
作品に没頭しているときは
自分のことすら忘れていて、
終わってから感想を噛み締めています。
それなのに「聲の形」は
忘れていた自分の感情を思い出させて、
登場人物の葛藤を
まるで私自身がしているかのように
錯覚してしまいます。
おそらくその理由はこの作品が
リアルだからだと思います。
登場人物のちょっと極端な考え方は
等身大の高校生らしく、
デフォルメされていません。
シチュエーションも
いじめや聾者などのセンシティブな
問題を取り扱っていますが、根底にあるのは
人との関わりや自分を変えたいという思い
だと私は感じました。
だからこそ「聲の形」は
私にとって別世界のお話ではなく
現実を突きつけられているように
感じるのです。
と、書くと酷評しているようにも思えますが
そもそも私は作品によって
感情を動かされる事が大好きなんです。
「聲の形」も苦しくなりますが、
作品の中では主人公たちがそれを
乗り越えてくれます。
残念ながら私におなじことが
できるとまでは思えませんが…。
それでも彼らの決断や言動に
大きく心を揺さぶられ、
観終わったあとは
燃え尽きたような感覚になります。
この記事を書いている間にも
また漫画を読み直したら
昔よりも作品の理解が深まっていて
より感動できたことが感慨深いです。
何度見返しても感動は廃れず
自分の中の新しい記憶によって
毎回異なるシーンに共感できる
「聲の形」はまさしく
生きるのを手伝ってくれる作品です。
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