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28.POMを乗り越えた人々とは《後半》

3歩進んで2歩下がるような話しっぷりですが、ゆるゆる理解を深めましょう。
(POM=Cancerを可愛くした呼称)

POMになったことで人生が一変しますでしょう。仕事に穴を開ける。会社に迷惑をかける。家族に心配やら迷惑をかける。経済的負担を強いられる。いつ社会復帰できるか分からない。戻っても前と同じパフォーマンスを発揮できるかわからない。もし死んでしまったら残された者はちゃんと生きていけるのだろうか。きっと多くの方は不安と恐怖に覆い尽くされてしまうことでしょう。

誰もがその道を通ったとして、問題はその先にあるのです。書籍にも一部紹介されておりますが、私が聴いて印象に残っている色々な気づきの具体例をお伝え致します。
(注意)下記に書かれていることだけが全てではなく、お話しされていない日常生活に取り入れた方法論があるかもしれません。二匹目のドジョウを狙うのではなく、いかに気づきが大切かを汲み取って下さい。

方法論と体調の気づき:
少し一般論を。実際に種々の健康法や健康食品系などでPOMを治した人は世の中にたくさんいらっしゃいます。ここに登場される方々も何かの方法論は取り入れていたと思います。逆に、何もしていない方の方が少ない印象です。要は方法論がダメなのではなくて、どう関わるかが大切なのです。病気がその方法やもので良くなった方は当然それを勧めますし、POMの方もそれに飛びつきがちです。二匹目のドジョウは居たり、居なかったりです。だからと言って闇雲に手当たり次第に手を出し続ける内に、心もお金も疲弊してしまうことも多々ございます。ですから星の数ほどある方法の選択方法は、出会った御縁をどう捉えるのか。その御縁は直感で判断して構いません。判断基準となる明確なものはありませんので、その物、その人を直感で感じ取って判断するのです(欺されることもあります)。利益優先を感じたらアウト。やめておきましょう。その次は実際に経験して身も心も”いい感じ”であれば継続を、そうでなければ中止を。中止の目安期間はご自身の体調や検査結果で判断し、短くても1ヶ月、長くて3〜4ヶ月くらいかなと。ともかく方法論に捕らわれませんように。

《POMサバイバー物語》

企業戦士、家族愛に気づく:
家族のために昼夜どころか休日も働き、お金を稼ぎ、結果として家族を顧みることなく40歳半ばで末期の胃癌で余命宣告されてしまう。入院してベッドに横たわりながら思う。俺の人生はなんだったんだろうと。しかし、無下にしてきたはずの家族は献身的に見舞い、世話をし、不甲斐ない自分は申し訳なさで胸が張り裂けそうになる。或る日、ふと思った。自分はこんなに自分を心配して献身的に愛を注いでくれる家族をないがしろにしてきたのかと。この病気はその罰なんだと。家族のために死ぬ思いで働いた結果、死の病になった。そんな自分を愛してくれる家族。医学的に出来ることはないので退院し、残された命を愛すべき家族のために捧げよう。そこから体調が好転し、病状も好転し、POMは消えていったそうです。

自分が作った病気である気づき:
公表されているので書いちゃいますね。寺山心一翁さんとはお友達でしたので訃報を知ったときは、さすがに悲しくなりました。ご本人のお話はホームページや書籍に残っていると思いますが、ご本人からも伺いました(正確性に欠けるかもですがご容赦を)。末期POMとなり、現代医学の三大療法を受けるも好転せず、主治医からは出来ることはもうないと告げられ、途方に暮れて家に戻りました。肺転移した部位が激痛をもたらし苦しんでいたときです。ああ、これは自分が作り出した自分の病気なのだ。元は自分の細胞なのに、こんな病の姿にしてしまったのは自分な責任なのだ。本当に申し訳なないことをしてしまった。そう思ってから痛む部位に手を当てて愛を贈るようにしたそうです。すると徐々に痛みが引いていき、結果的にPOMは全て消え去ったと。発症から亡くなるまで39年が経過しました。POMでお悩みの方へワークショップを長年開催され、享年87歳。ご立派です。

夢を実現する気づき:
こちらも公表されているので書いちゃいますね。杉浦貴之さんは28歳の時に世界で20例ほどしかない稀少POMとなり、手術と抗がん剤を受けるも余命3ヶ月、2年生存率が0%と告げられました。打ちひしがれ、或る日のベッド上で思ったそうです。俺、何にも経験してないじゃんか! 結婚もしてないし、人生やりたいことは山積みじゃないかと。こんな病院のベッドで寝てる場合じゃない! と病院を抜け出して友人と酒場へ。とても話せないこともしたとか。更に、両親の愛を真正面から受け取り、自分の病気と入院生活を下ネタに歌を作って歌うようになりました。本当に面白い歌で笑っちゃいますが、内容は辛い入院生活だから心に刺さるんですね。そんな抜けだし酒場で出会った女性と結婚も果たし、次々とやりたいことリストをこなしていきました。もう50歳過ぎたんじゃないかな。楽しく歌を歌ったり、POM仲間を募ってHonoluluマラソンしたり、人生を謳歌しつつ世のため人のために活動を続けています。夢を諦めない競泳の池江 璃花子さんの姿も重なります。

開き直りという気づき:
これも書籍に載っておりますお話しです。子育ても終わり、定年を迎え、この先は夫婦で楽しい老後を過ごそうと楽しみにしていた矢先、夫の末期POMが発覚してしまい、余命半年を宣告されたお話。打ちひしがれ、残酷な運命に涙して暮らすこと3ヶ月。あ、しまった、残り時間が減ってしまっている! 泣いていようと、笑って居ようと、終わりはやってくる。じゃあ、もう残りの人生3ヶ月を謳歌して楽しく死のう。で、選んだことは、飛鳥IIで世界一周クルーズ旅行に行こう! でした。退職金を注ぎ込み、夫婦でかなりの金額だったでしょう。海の見える上級?船室でクルーズへ。世界一周は100日を超えますので、余命3カ月になった時点で生きて帰国はできないと覚悟しての出港でした。同じ趣味の方でグループを作って部活をしたり、何をしても追加料金はかからず、あまりにも楽しすぎる船旅で、気づいたら日本帰路についており、既に余命半年は過ぎていました。しかし、まるで死ぬ気がしない体調の良さ。帰国後に検査をするとPOMは全て消失していたとのことです。この方は楽しく遊んだだけで方法論も医療とも無縁なのが分かります。これも気づきの成せる技かと。
*過去に飛鳥IIへ乗船された3名の知人から伺うに「楽しすぎる!!」そうです。それなら数日の一区間でもいいから乗ってみたいな。

命ある限り世に尽くす気づき:
知の巨人として有名なジャーナリストの立花隆さんは2007年にご自身がステージIIIの膀胱POMを発症されました。持ち前の情報収集力を発揮され、世界の最先端POM研究者の話を聴き続けた結果、現代療法では苦しんだ上に延命効果が3ヶ月程度と判断され、であれば治療せず、ジャーナリストとしての人生を全うする選択をしました。結果的に亡くなられたのは2021年4月。発症から14年が経過しています。享年80歳。ジャーナリストとしての生涯を貫いたPOMサバイバーと言えるのではないでしょうか。

素敵な先輩先生の生き様:
私がホメオパシーの学校に通っていたときに講師をされていた女性がおりまして、笑顔がキュートな可愛い先生でした。教え方も上手でとてもわかりやすく、私が持っているものは全部あげるから!と熱心に講師を務められていました。先生の講義がとても楽しみでしたが、或る日を境にパッタリと授業がなくなって寂しく思っておりましたら、その半年後に逝去したとの情報が突如耳に入りまして、余りの衝撃にうろたえることもできませんでした。茫然自失とは正にこのことなのだと。私と年齢は近かったかなあ。後々の断片的な情報では、私が講義を受けていた時は既にPOMの診断を受けてから10年以上は経過していたとのことで、「自分が持っている知識は全部あげるから持っていって!」とおっしゃる意味を亡くなってから理解しました。家族以外の訃報であんなに泣いたことはないんじゃないかな。。。手術をされたかどうかは存じませんが、それ以外の現代医療は受けておらず、ホメオパシーを主に受けていらしたそうです。それで、なのでしょうか、ホメオパシーの学校へ入学し、卒業して講師となったのは。亡くなる3日前まで普通に過ごせていたそうで、寿命を使い尽くし、人生を全うされたのだなとつくづく思うのです。享年は50歳代なのかな、立派なPOMサバイバーと言えるなと。亡くなった後も会いたいと節に願うほど残された者の心に根を下ろしています(この文を打ちながら涙が止まりません)。

このような例を上げるには枚挙に暇がないほどです。私が出会った方で直接お話を伺った方が10人を軽く超える訳ですから、皆さんの周りにも実はたくさんいらっしゃるでしょう。となれば、日本だけでもどれだけのPOMサバイバーがいらっしゃるか。そしてそれぞれの方に、その方の物語がある。ですから、今この世に生きている内に、POMで恐怖に怯え打ちひしがれて人生を終えるのではなく、これらのお話しから何かを見つけて身につけてほしいのです。

「POMを乗り越える」とは、病気さえ消えればいいということではなく、与えられた寿命を全うすることを指し、例え短くとも充実した人生を全うする努力を怠らない姿勢が大切なのではないかと想うのです。それが楽しく長いに越したことはありませんが、人生の密度が大切だなとつくづく思うのです。まあ、その人が楽しく人生を歩んでいれば何歳で命を落とそうが関係ないとも言えますが、POMはその人生密度を上げる存在と言えなくもないなと。POMでない方。POMにより得た宝は自分にもあることに気づけたなら、それはとても幸せなことだと想います。

一日を一生の如く生き、一生を一日の如く生きよ。誰から聞いたんだったかな。まあいいや。かの偉人、ガンジーは次の言葉を残していると。
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。

行き着くところは1つですね ♪
”気づき”の効果はこの先へつづく、、、

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