見出し画像

帰国後半年、復職後3カ月。何を想う。

7月1日に日本に帰国、二週間マンスリーマンションで隔離した後、急ぎ家を探して8月頭に引越し。
修論を執筆し9月半ばに提出。
9月末に勤務校に復職し、復職後4日目で産休の先生と交代で担任になり、そこから主に部活の練習続きで怒濤のような日々を過ごすうちに、あれクリスマス礼拝も終わり、今日から生徒は冬休みに入りました。
ちなみに私は吹奏楽部顧問として、年明け1月5日にアンサンブルコンテストに出る生徒たちとともに、年内は12月30日まで指導。ブラックな労働を助長する高校の都吹連よ…

noteの過去記事に時々有難いコメントやご連絡をいただくにも拘らず、留学後の記事を全く書けておらず申し訳なく思っておりましたが、今日の午後休により、ようやく書く時間と気力が整いました。
ヘッダー画像にした、自分で撮ったRegent's Parkの写真なんかを見て、「ああ、良いなあ。羨ましい。また行きたい。本当に俺はイギリスに行っていたんだろうか」なんて思うくらいには既に日本に染まってしまいましたが、留学を振り返ってみましょう。

帰国から半年、修論提出から3カ月、なんとも言えない時期であるように思えるのですが、一つ、年末という今年の振り返りに最適なシーズンであること、一つ、ついこの間正式な成績が確定したことを考えると、実は振り返りには良いのかもしれません。

成績ですが、こちら!
2/3の科目でA評価(A-F)を獲得した結果、有難いことにDistinction(優秀賞のようなもの)をいただいて修了することができました。

画像1

ただ、元々今回成績を取ることは目的ではなかったのです。
そもそも既に日本で教育学修士を取得しているので、別に今回の修了により自分の学位がランクアップする訳ではない。さらに大卒で修士に来ている子たちのように就活をする訳でもない。よって、成績は別に気にしなくてよい、ただただ自分の興味関心好奇心のために、これまでと今後の教師人生のために、とにかくこの機会を最大限に活かしてあらゆることを学んでやろうという気持ちが9割でした。
そうは言っても、勤務校とロータリー財団の協力があって留学に来られているわけなので、成績が良くないと格好がつかないな、折角だから自分の学習の成果が評価されて良い成績がついてくれば良いなという気持ちが残り1割。
そんな心持ちだったわけですが、いざ自分の努力が評価されると嬉しいものです。


さて、どこから自分の留学について振り返ろうか。

私は大学生くらいから「雑記帳」なる、自分の気持ちを記しておきたいときにだけつける日記のようなものを持っていて、現在のものでNo.23なんですが、それを読み返すと、教師として働き出した初年度から今の留学に繋がる精神が実は見て取れるように思うのです。

筑駒の研究授業を観に行った後に、恐らく研究授業の内容とは関係ないと思うのですが、「水は流れていないと腐る」と書いてあります。もう少し引用してみます。

自分の授業スタイルというものを固定しない。柔軟に、探究的に、流動的に。
固執せず、新たなものを積極的に探し、求め、取り入れる。
より良いものを探し求め続ける結果、それが自分のスタイルとなるような教師。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
中身の水は変わろうとも、それはいつ見てもれっきとした「川」である。
スタイルとは、そのようにあるべきものではないか。
同じ人たちといることに固執してもいけない。それも自分を固定し、多角的な視点を失うことにつながる。

偉そうなことを言っていますが、私は6年経つ今でもこれは一つの真理ではないかと思っています。「自分のスタイルを確立する」という言葉に、静的で変容のない、いずれ古びていってしまうようなニュアンスが含まれているのを嫌っていました。でも、「変わり続ける」という「スタイル」もありだとそのときふと気付いたのです。

ドイツの教育学者ジステルエッヒの言葉とされている「進みつつある教師のみ人を教うる資格あり」という格言。あるいは、国際バカロレア(IB)の'Lifelong learners'(生涯の学習者)という言葉。これらは端的に、教育には流動性が必要であることを示していると思います。
Paulo Freireが批判するBanking Educationのように、固定的な知識を伝達したところで、その固定的な知識はいつしか古びてしまう。だから、IBでは生徒は学び方を学ぶ。生徒が学習を通じて固定的な知を受け取るのではなく、自ら学び続けるためのスキルを養う

恐らく上記のような言葉を雑記帳に書いたということは、一年目にして固定的な知を伝達する授業スタイル、その結果を評価するようにデザインされたテスト、それを良しとするように生徒を強化する教育システムにうんざりしていたのでしょう。そして、固定的な自分のスタイルに執着し続けるベテラン教員を文字通り反面教師にしたかったのでしょう。

だからこそ、5年経って一通りの科目を教え、卒業生を出し、仕事場の全容が見えてきたところで、二周目というまさに「サイクル」に入ることは嫌だと、もっと新しい学びに触れて教師として進み続けたいと考えたのだと思います。
しかも、イギリスのA levelやIBのDP試験は全て記述。選択肢問題や短答式問題のような知識理解(BloomのTaxonomyで6つに分けられた認知レベルのまさに一番下の二段階)を問うような教育でなく、個人のスキルや高次認知レベルまで問うような教育を行っているように思えたので、「固定的な知識伝達」を嫌う自分は日本を脱してヨーロッパ、イギリスに行くことを志したのでしょう。

実際イギリスに行ってから、授業の講師からも世界中から集まった教育界の仲間からも、様々な刺激を受け、数え切れない学びを得ることができました。

特に印象に残ったのは、
Paulo FreireのBanking Education(預金型教育)とProblem-posing Education(問題提起教育)という二つのモデル(前者は日本の教育に通ずるところが多いがFreireには批判され、後者が提唱されている)

・Paulo Freire, Henry Giroux, bell hooksといったCritical Pedagogy政治的話題を出さない教育は政治的に中立なのではない。教育は、何の知識を教えるか、誰の知識を教えるかという選択が根底にある時点で、支配層の価値観を内包したものであるという'Official Knowledge'や'Knowledge(s)'といった考え方。だから政治的に中立な教育というのはあり得ない。そうした支配構造を暗黙の了解(隠れたカリキュラム)として無批判に受け入れて行う教育は、支配/被支配の再生産に寄与している。むしろ、教育は'social transformation'(社会変革)としての役割を持つべきであるという考え方。これらは頭をガーンと揺すられる、衝撃的なものであった。
その中でもジェンダーの観点に着目したFeminist Pedagogyからも多く学ぶことがあった。だから修論も、国語教育におけるジェンダーの表れ方の比較ということで、Feminist Pedagogyの観点から日本の教育を分析してみた。

だからこそ、現在勤務校に帰ってきて、生活主任や教務主任、その他お偉いさんなどにちょっとずつ色んなことを働きかけている。脱男女別出席番号、男女スラックス選択制、「男子に見合う女子の服装」という文言や考え方の修正、「肌の色に見合ったストッキング」のみ許される校則の変更など、ちょっとずつ色々な要素を訴えかけ、働きかけている。変えないことは楽だけれど、話題に出すと意外と共感してくれる先生も多い。それに、勤務校に協力してもらって自分は留学に行けたのだから、学校をより良くしていくために変化を起こすことを厭わないのは、ある意味留学に行ってきた自分の使命だとも思っている。
あと、何も言わずに結局また勤務校や日本の教育の価値観を受け入れてしまって、せっかくイギリスでアンテナを立て敏感になれた部分を無くして、鈍感な存在に戻ってしまうことが勿体ないと思うし怖いとも思う。

もちろんそうした校則の変更に向けた運動などは直接国語の教科内容には通じない。ただ、学校は次世代の生徒たちが育つところであって、そこで「今の社会の価値観」を教えたとしても、生徒たちが社会に出るころにはその価値観も古くなっているいわんや旧態依然とした価値観(≠伝統)を無批判に崇拝して生徒にそれを教え込んでいるようでは、社会の変革に逆効果にさえなりかねない
学校を、新たな価値観が創造される、これからの社会を見据えた場所にすることは、「社会変革としての教育」を国語で実践していく上でも非常に重要で大切なことだと思う。


今後のこと。

学習への姿勢を見てもらえたのか、英語力が評価されたのか、たまたま運とタイミングが良かったのか、幸い今後は自分がより行いたかった業務に取り組んでいくことができそう。これ以上は今の段階では言えませんが、とりあえず今後も新たな学びに溢れた、挑戦的な教育を行っていくことが出来そうです。
学校組織が教師を適材適所に配置することを考えると、変わろうとしない人はずっと同じ環境に置いておかれてしまうかもしれないし、逆に変わろうとする人は行動を起こして学校に見てもらえれば、自身を変革・成長し続けられる環境に配置してもらえるのかもしれない。そうあって欲しいなと思う。

今後は留学中と変わって、noteを書こうとすると実際の業務内容に触れざるを得ないことが多くなってしまうので、どこまで書けることがあるかは分かりませんが、ここで繋がった縁もあるので、折角ならば教育に携わる以上はここも時々更新し続けていきたいと思う次第です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?