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7月12日(日) 日曜版シニフィアン/シニフィエ

 土曜日は久々に身体をしっかり目に動かしたせいか、少量のアルコール摂取後すぐにねむねむ状態となり、「振り返り」たらは翌日に持ち越し。

 そんな訳で、今週の作業は「振り返り」というよりは単にスケジュール確認とやること整理みたいなことになり、気がつくとTo Do リスト的なメモが出来上がっていた訳ですが。ここに「書き出された項目」と実際に「為されるであろう行為」は、まあ関係なくはないんだろうけど何か非常にテキトーなものに思え、ソシュールの言う「シニフィアン(指すもの)とシニフィエ(指されるもの)の対応は恣意的うんぬん」を想起。

 <それを指すコトバ>と<それそのもの>の対応が<恣意的>であるなら、目の前の<書き出された項目>と<為されるであろう行為>の対応もまた<恣意的>と言って良いんやないか。などと思っていると、たまたまパラッとめくった本(鈴木大拙『禅による生活』)の頁に「経験するものと経験されるもの」はうんぬんという文章があり、(チョムスキーとは違う意味で)ソシュールのシニフィアン/シニフィエが炭酸ぽく立体視された感じを覚えた。

 りしつつ。やることリストの話です。これ、どこまで細かくまたは大雑把に書き出すかという問題がある訳ですが。

「どこから手をつけて良いかわからない時は、まず全体を細かい作業に分解し、やれるところから手をつけろ」

みたいなことを、セミナーではなく仕事の現場で言われたことがある。もちろん、これは無茶苦茶正論なんやけど、例えば歯磨きをする場合、まず「歯ブラシを手に取る」から書き出す必要はない訳で。結局のところ自分はテキトーにやっている。


 写真について:

 羽根なし扇風機_羽根がないんなら送風機と呼ぶべき、と同業の先輩が力説していたが、当時何種類かあった片仮名表記のカテゴリネーミングにも、同様のツッコミどころが散見されたと記憶する。結局ブレードレス・サーキュレーター?_出始めの頃、これはカッコイイと思い調子に乗ってPCに繋いで使えるUSBタイプのを買ったんですが、安いの選んだせいか音がウルサくて仕事にならないので、買いなおしたダイソーの羽根ありタイプをずっと使っとります。小さいころ扇風機に顔を近づけて「あーーー」とか言ってたあの感じもあって、顔に風が当たるの好きなんですよ。


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