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ピッツァをどう切るか

 流るる水のごとし。などと意味わからんこと「だけ」言いながら生きていたい、と思うことがあるが、そんな訳にもいかず。
 すべての議論は、必要な前提を共有できない限り決して嚙み合わない。
 もちろん、「生きること」と「議論」は違うんですが、噛み合わないやりとりはストレスフルかつ徒労なんで、場面に応じ共有できる前提の範囲を拡げたり、新たにつくったりすることが必要になってきたりする。
 ということで、《私的ポリリズム宇宙観の前提》をカンタン(・メイヤスーとか言うて)に記す。

※ここで言う《ポリリズム》は、音楽家や音楽教師らが言うところのポリリズムとは、もしかしたらあまり関係ないかも知れません。

☆1枚のピッツァあるいはホールケーキを一つの宇宙《全体》と見なしつつ、何等分するか。
☆78枚のカードから成るタロー(タロットデッキ)を基準にするなら78等分、アテュまたは大アルカナと呼ばれるカードだけを抜き出して基準とするなら22等分。
☆だが、どちらもあまり現実的とは言えない。
☆タテヨコ十字にピッツァカッターを転がす/タテヨコ十字にナイフを入れると、件の《全体》を4等分することができる。
☆《全体》を構成する4つのピースは、四大元素と呼ばれる。
☆元素レイヤーにおいて《全体》を切り分けるやり方としては、ギリシャ起源と言われる4のほか、錬金術の3、中国の5などがある。
☆それらx片のピースは、それぞれが《全体》を構成する《1/x》としての役割を負っている。
☆《地水火風》の《水》と《木火土金水》の《水》は、《1/4》と《1/5》が違う数である程度には性質を異にする。
☆4/4拍子の場合、4分音符1つ分の長さは、1拍と呼ばれる。
☆16分音符の長さは、4分音符の1/4。
☆4分音符で手拍子を打ちながら、あるいは手拍子を4分音符として感じながら、16分音符で歌ってみる。
☆歌詞は、例えばア/リ/ゾ/ナでも、ミ/ネ/ソ/タでも、ワ/カ/ヤ/マでも、オ/カ/ヤ/マでも、タ/カ/マ/ツでも何でも良いが、グルーヴィなところでda/di/ma/maぐらいに?
☆それら任意のフレーズを、《全体》として感じながら歌うこと。
☆次に、タラコというひとまとまりのフレーズを《全体》として感じながら歌ってみる。
☆ただし、正しく割り切れる1拍すなわち3連符として感じるのではなく16分音符として感じながら。
☆即ち、4分音符で手拍子を打ちながら、あるいは手拍子を4分音符として感じながら、16分音符で《タラコ》を歌ってみる。
☆1拍ずつ区切ると、タラコタ/ラコタラ/コタラコ。
☆4と3は、このように調和させることができる。



蛇足:自分の中の《アンテナ》とどう付き合うか 

 他人と何かを共有することの難しさについて、冒頭で軽く触れたけど。その他人が「複数人」だったり「すべての人」だったりすると、難易度は算術級数的に上がってしまう。だが、《それ》を正確に、誤解のないように伝えるのは無理だけど、とにかく何か感じる、感じたという経験は誰にでもあるだろう。何かを感じてしまう、捉えてしまう、自分のなかの器官だか意識だか感受性だかよくわからないものを仮に《アンテナ》と呼んでみる。例えば、天才、アーティスト、奇人変人、霊媒体質、単に頭がおかしい……などと呼ばれる人は、しばしば凄い《アンテナ》を持っていることがある。
 ただし、そのような人たちが必ずしも、その時の自分の状態をメタ視というのか、1階層上のレイヤーから俯瞰し、そこそこクールにメタ認知できている訳ではない。
 私に、《世界の切り分け方》についての気づきをもたらしてくれた(今風に言うなら)リバースメンターは、十代から職業占い師をしている人物で、そこそこのアンテナを持ちながら、自分をそこそこクールにメタ視することができた。そんな彼女と出会えたことは、まあ普通に言ってラッキーなんだろう。もし、異常に鋭敏なアンテナを持ちながらまったくメタ視/認知のできない人だったり、自分のメタ認知を伝えるロジックだけが奇形的に強力だったりしても、メンターたり得なかった筈だ。
 そんな訳で私は、生きていく上で、はちょっと大げさか、曲がりなりにも社会生活を営んでいく上で、《アンテナ》と《メタ視/認知》は、どちらも欠かせないと思っている。

更に追記:
《全体化》作業のBGM中に聴こえる通奏低音を言語化するとウィトゲンシュタインになったように、それ以後の作業(複数のやり方での《切り分け》→《ポリリズム》修行その他)のBGM中の通奏低音を同じ要領で言語化すると、どうも、メイヤスーが聴こえてくるような気がしている。

(プチ断食中)






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