4月4日(土)自己催眠トラップを避けて
朝早かったので既に体感サタデーナイト。ホワイトホース関西スーパーで980円也。王子様は乗ったはらへんかった。
昨年末、勝ち目の薄い戦いを強いられ_まあ自分が選択した結果、と言ってしまえばそれまでなんですが_暫く精神的にプチ・キツめな時期を過ごした。お気楽ですね? 少しは危機感持てよ! みたいな話なら聞きなれているが、そう悲観的になるなよ的慰めを受けた記憶はないから、自分としては比較的珍しい状態だったが、結果的に良い予行演習にはなったようだ。
仕事の内容もアレだが、主たる原因は実はBGMで。否、もちろん、そのときは気づかなかった訳ですが。
夭逝したアルトサックス奏者にインプロヴィゼーションしかやらなかった人がいて、何か面白くないとき、面白いとき、つまりのべつ、何十年も聴いている訳ですが、その演奏はおよそ悲劇的なものからほど遠く。問題は音ではなく、要するに勝手につくった物語なんであり。
自分が阿部薫を知ったとき、彼は既に故人だったので、生前の阿部薫がリスナーや評論家諸氏からどのように受け入れられ、収入がいくらぐらいで、家庭環境があーで交友関係がこーでといった話も二次情報三次情報ほんまは何次情報でしょう、みたいなのばかりなんやけど。あんまり広く受け入れられ成功したミュージシャンとは言えないようで、彼の物語には音と裏腹な悲壮感がつきまとう。そこに引っ張られた。と、単純に言えばまあそんな感じで。
生前は正当に認められ仕事に見合うリターンを得られなかったアーティスト。フリージャズとかマニアックな領域に突っ込むとあれですが、話を単純にしたいので、誰でも知ってるゴッホに置き換えて考えてもらって構わない。
ファンは基本的にやさしい。あるいはアホだ。御贔屓のアーティストの悲惨な状況にすら共感する。ちなみに私は、「共感力」とはやさしさであると同時に、壊れやすさをの指標でもあると思っている。自分も、共感するあまり、つい「不幸にして認められない人」のメンタリティをカバーしながら、ビジネスチャンスに目を瞑りつつビジネスユースのテクストを産出する始末だった。
上記は自分の上に起ったことなので、リアルタイムでは必ずしも冷静に対処できなかったが、他人の身の上に起っていることなら、比較的冷静に見れたりもする。例えば、タロットセッションなどで。
フレディー・マーキュリーの熱心なファンが、敬愛するアーティストに傾倒し共感するあるいはしたいと欲するばかりに、悲観的なメンタルコンディションに陥ってしまう。人種差別やセクシャリティに関する偏見に悩んだフレディーの生前の苦しみに寄り添うあまり、おそらくは生まれてこの方差別とか受けたことなかったであろう兄ちゃんが、自身に催眠をかけるかのように、I'm just a poor boy, I need no syumpathyな態度で日々を送るうち、あっちでこっちでプチ・トラブルを引き起こしているとか。
ヤケクソの自暴自棄にならないといけない理由など何ひとつなさそうに見えるんだけど、尾崎豊が好きなばかりにそうなってしまうとか。
「共感力」て危険な側面もあるので充分注意してください。という話でした。
さて、オンラインミーティングたらでSkype使ったりSlack使ったりはあったんですが、「授業」となるとやはり昨今はZoomのようです。否、ならなくてもそうかな?