見出し画像

些細なナンギ(2)正確さ/わかりやすさ

【2022.7.2追記】違うコトバが、まったく同じ対象を指すことはあり得ない。ということは、厳密に言えば「もっとわかりやすい言葉でお願いします」も、「日本語で」もあり得ないことになる。ちょっと考えれば、そんなことは当たり前なんですが、ともすると私たちは、無自覚に「もっとわかりやすい説明」を求めたり、「わかりやすい翻訳」を求めたりしている。そのへんの反省も込めて。


 何て野暮くさいタイトルだ。本文の内容も、仮にそこそこうまく説明できたとしても相当野暮くさいものになるであろうことが予想できるが、そういう些細なことをあえて書いていこう。と、こないだ決めたところなので、舌の根が乾くぐらいまでは続けることにしよう。
 職業の意味での「仕事」上、またはそうでない場合も、言葉で何かを伝えようとする際悩んでしまいがちなのが、「正確さ」を取るか「わかりやすさ」を取るかという問題。少なくとも私の場合は、まあそうでした。でもこれ、決して対立概念じゃないし優先順位の問題でもない。つまり、問題を設定する時点で間違っている_ちなみにこういった「予めの失敗」イメージ、私的にはキリスト教で言う「原罪」と激しくかぶっている_と思うのです。
 コミュニケーションまわりのナンギについて書こうと思いながら、つい出来心で原罪などという語彙をタイプしてしまったせいか唐突にバベルの塔を想起したんですが、私たちの前に立ちはだかり分断を促すものとして、まず(文化的背景込みの)言語(種)の壁というものを認知することができる。
 船見和秀先生の「やさしい日本語講座」で聴いた話。医療の現場で、日本語非母語話者に「座薬」が処方された場合、誤解のないように「それ」を伝えるためにどんな言い方をするでしょうか? 答は「尻の穴に入れるクスリ」なんだそうで。なるほど、日本語の尻はエリアが曖昧なので、特に「hipとanusがそれぞれ明確に異なる身体部位を指し示す」ような言語の母語話者に対して、「尻」と言ってみたところでどこだかわからなかったりするだろうことは容易に想像できます。
 あと例えば、クソとSitの違いやなんかからも、言語(種)の壁がどのようなものかを垣間見ることができる_(0)参照_。
 私は、サピア=ウォーフの仮説と呼ばれている何かを「当然過ぎる眉唾」だと考える人間ですが、言語種の壁以上に決定的な断絶を生んでいると思われる「それぞれの認知圏」の形成にも、やはり言葉が関わっていることを認めざるを得ません_(1)参照_。関連して今、かつて顧客とのやりとりに際して「ルーター」を禁句にした企業のエピソードなども想起したんですが_参照note#1_まあそれは置いといて。
 言葉選びで迷ってしまうとき私は、「正確さ/わかりやすさ」よりむしろ「可視化/不可視化」のセットを意識するようにしています。「解像度を上げてくっきり見えるようにしたい」のか、それとも「やんわりソフトにぼかしたい」のか。これは、他人の話を聞く場合にも言えます。(文化的背景含む)話者の意志を見極めるというか。ついでに、ナイーブ過ぎる人の発話が恐ろしい凶器と化してしまう過程も、これによりスローモーションでクリアに可視化される場合が多いように思います。
 少し話を変えます。上記のナンギにマーケティングたらが絡むと、話は更にナンギになる。即ち、私は、「市場原理」を前提とした「等価交換」によって「Win-Win」の関係づくりを目指す崇高なまでにあざといシステムを、根本的に信用することができないのです。なぜならそこでは、家族間のやりとり、恋愛関係にある二人の間や友人同士のやりとり、地域社会や国際社会など「公共」への見返りを期待しない寄付etc.愛に基づくすべての純粋贈与が排除/不可視化/捏造されてしまうから。同様に、一度不可視化されたものを、ある種のあざとさをもって取り繕うように「再可視化」しようとする動き_(2)参照_についても、私はまったく信用できないでいます。
 
 以上、「パロール」認知圏と「ラング」仮想認知圏を同時に生きる「ナワール_参照note#2参照_」のつもりで。
 お退屈様でした。


(0)字幕問題:Sit/クソ ほか

 例えば、ハリウッド産映画の字幕に見られる意訳や補足文言例。力強くアクセルを踏み込んだが、スピードは期待通りには上がらず、イラッとしたドライバーが吐き捨てる。
「チキショー、ボログルマめ!」
字幕はそんな感じだが、音声の方は"Sit"のみ。
 私は映画の字幕はじめ翻訳も通訳も、仕事としては経験ないし予定もないけど、映画の字幕に見られる、「あえて直訳を避け」「言ってないことまで補足する」というスタイルについて、勘違いかも知れませんが、何とはなしに翻訳者の気持ちがわかるような気がする。
 上記の場合だと、素直に直訳してしまったんではsit/クソの微妙なニュアンスの違いが反映されない。日本語母語話者の「クソ」が自省的というか、ヤラカシてしまった失敗や自らの能力不足を悔いるまたは悔しがるニュアンスが強いのに対して、英語母語話者の"sit"は、好ましくない状況を招いた要因を「自分の外」に求め、罵るニュアンスが強い。ただし、これは「あえて」両者の「違い」にフォーカスした場合の説明に過ぎず、実際の場面ではクソもsitもさほど違わなかったりするようだ。例えば渋滞に巻き込まれた際に発話される「クソ」が、「道路情報を予めチェックしておくべきだった」という後悔であるのに対し、"sit"は、前のクルマのドライバーを罵倒する「さっさと進め!」な訳はないのであり。このあたり、「脳内宇宙」が小さくなるという、瞑想やある種のオカルト〜スピリチュアルのワーク実践者にしばしば見られる副反応とネガ/ポジの関係にある。と言えそう。ところで、チキ(/ク)ショーを英語に「直訳」するならbeastなんかな? しかし、これは汎用性の高い罵り言葉ではない。ニュース番組で扱われる性犯罪者に対して「ケダモノ!」ぐらいのニュアンスで使われるケースはありそうですが。だからこそ使いたくなる。んじゃないかな。


(1)邦題問題:Substitute/恋のピンチヒッター ほか

 作業のBGMとして私は、インテンポの4ビートジャズを流していることが多いんですが、先日どういう訳か1960年代から70年代のロック大会になってしまった日があり。「へんてこな邦題」の数々を思い出した。原題とは何の関係もなく、本当にテキトーでいい加減としか言いようのないものもあるが、「こうやったら売れるかな?」がモチベーションになっている限り、それら含めて許せる更には愛おしいような、これって職業病なんでしょうか。     

 1966年にイギリスのロックバンド ザ・フーThe Whoの4枚目のシングル(実質5枚目)_Wikipediaより_としてリリースされたSubsutituteのヘンテコ邦題『恋のピンチヒッター』なんか典型的で。それはマーケティング的に正しく、言葉的に変だ。 

 聴いてほしい相手がラグビーファンなら、カタカナで『サブスティテュート』で良かったかもしれない。だが、このシングル盤がリリースされた当時、ラグビーは今ほど人気のあるスポーツではなかった。そこで「ピンチヒッター」へ、というとても斬新な言い換えがなされた。「恋の」は、まあ、すごいありがちなエクスキューズというか、「これはスポーツ文脈の話ではなく、恋愛文脈のお話なんですよ」をわかっていただくためのサインのようなものだろう。

 すべて正しいようにも思えるが、どうにもならないヘンテコさ加減は明らかにエスカレートしていく。

 伝えたい相手が一人の場合は、その人「だけ」のために言葉を選び、発話全体をカスタマイズすれば良い。ところが、伝えたい相手が「不特定多数」となると、途端に『恋のピンチヒッター』のごときヘンテコ事象が頻発することになる。この点もまた、大きなポイントの一つだ。

 もう一つ、ビートルズの『I wanna hold your hands抱きしめたい』の例を挙げたい。これ、直訳すると「手を握りたい」であって「抱きしめたい」ではないですよね。最早「意訳」ですらない「誤訳」のレベル。

 これなんか、単にインパクトが弱いたらそんな感じの理由で「抱きしめたい」にされたのではないだろうか。知らないけど。当時「不良の音楽」認定されていたらしいビートルズナンバーがらみの愛おしいのか情けないのかよくわからない微妙なエピソードです。


(2)言い換え問題:解雇/リリース ほか

 4月13日付の朝日新聞(朝刊)『天声人語』欄に、『「アマゾン」の倉庫で働いた英国人ジャーナリストによれば』と紹介されていたのは……『従業員は「解雇」されるのではなく「リリース(解放する、放つ)される』ほう。でも私は、「解雇/リリース」の並びにさしたる違和感も感じず。でも、「解雇」を「レイオフ」に変換した途端恐ろしいと思った。「レイオフ/リリース」て並び、狂ってない?A社では、人間をキャッチ&リリースすることを奨励しているのだろうか。

 アマゾンと言えば、「amazonで商品を扱っている者」を名乗る人物から、いきなり不躾かつ日本語的にも微妙な

「キャッチコピーを作るのが得意ですか?」

というDMをいただいたことがある。得意かどうかは別として、それでギャラを得ている旨返信すると、

「見積りをください」

とのこと。案件の内容も説明せずに見積りくれもないもんだが、そこは寛大な精神で「大まかな料金の目安」の意味に捉え直して返信。すると、文中に意味のわからない文言があったらしく_かなり配慮して書いたつもりなんですが_、

「ボディコピーとは何ですか?」

……………………………………………………。

 またか。ここにも高い高い高い言葉の壁が。

 私は、いちおー答えてあげたが、それに対する返信はなかった。どころか、見積りの礼すらなかった。

 ちなみに

「amazonで商品を扱っている」

は、騙りではなかった。ただし、

「amazonで(amazonの従業員として)商品を扱っている」

のではなく

「amazon(のサイト上)で商品を扱っている」

ということらしい。

 プラットフォーマーのリスクと勇気を感じた。悩ましいところである。


蛇足:「完全な客観報道」はあり得るか


 ンなもんある訳ないでしょう。

 あと、例えば新聞社の場合、自社の記者の手になる記事は別として、通信社から買い上げた記事、外注(なんてあるのかどうか、その程度のことすら私は知らないのです)記事の場合、どこまで「ファクトチェック」は可能なんだろうか。

参照note#1:
「ルーターどうしましょう」の言い換え例とその効果については、こちらに書いています。


参照note#2:
「ナワール」については、こちらに書きました。


 Love is not loving!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?