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6月20日(日)オールフリー/「全体」こそが問題であること

オールフリーて全部タダとちゃうの? などとくだらないことを言いつつ。土曜の夜の振り返りを日曜amに記す。

小さな予定変更や読みが外れた場合に必要となる_実際には、そんなこといちいち気にしてなかったりするけど_全体の調整。自分にとっての「振り返り」は、それをまとめてやる感じで。日々ちゃんとやってりゃ、特別に「振り返りの日」など設ける必要ないやん。と言われそうだが、自分の場合やはり定期的にやった方が良さそう。

ヤバそうな部分にパッチを当てたり、サポートが切れる前に更新したり、ヨガのアーサナなどを用いて身体の歪みを矯正したり、部屋の中を整理整頓したり…….。

ここ、補足説明が要りそう。「整理整頓」と言っても、散らかり放題の混沌状態になっている本棚をある程度時間をかけて集中的に片付ける的なあれではなく。何かの全集を売っ払うか寄贈するなどで突然できた空きスペースに、それまで無茶な詰め方をしていた何冊かを少しゆったりめに置いてみる、といったちょっとしたことです。

社会生活たらにおいて、何かに「集中」することを求められる場面が結構あったりする。緊張感を持って、今はこのことだけを考え……。結果、通常なら自動的に行われる筈のアップデートが一時機能しなくなったり、といった不具合が出てくる。こういった、あちこちに生じる微妙なバグと言うかほころびと言うか、ズレと言うのか歪と言うのか、それらの補修。こういったことを、厳格なタスクとして自分に課すのではなく、それでも、オールフリーな感じで時々チェック、全体を調整しておきたいタイミングがある。

そんな訳で自分は、「全体こそが問題」であることを少なくとも20年前から(☆1)言っていたようだ。

あと、昨今何でか、「予定は未定」などの慣用句になれなかった慣用死語駄洒落(☆2)が気になっている。

関係ないけど、『愛の不時着』の主演男優は、坊主Bar1号店の初代マスターY君に似てるね。



☆1)「全体こそが問題」であることを少なくとも20年前から:

『世界はもろもろの事実によって規定されている。さらにそれらが事実のすべてであることによって規定されている』

 ヴィトゲンシュタインのこの一節は、私が知る限りにおいて、そもそもタロットリーディングというものがどうして可能かについての、最も単純明快な説明となっている。

☆2)慣用句になれなかった慣用死語駄洒落:

「予定は未定」のほかにも、「明日やろうは馬鹿野郎」といった、なかなかに生産的かも知れないフレーズなどがあり、少し掘ってみたい気がしている。


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