嘲り/憐み
十三夜の金曜日翌日、土曜の夜の振り返り関連雑記。部分月蝕を経た満月の夜に記す。
なるようになっていく流れというか事態の進展はなかなかに気持ち良いもので、なるようにならない≒どもならん状況と対照的。当たり前やろ。まあ、それはそうなんですが。
ここ一週間、どもならん状況下で頑なになっている人に向けてどんな言葉を投げれば良いか、どんな態度で接したら良いか、といったことが問題になる場面が複数回あって。
よくある話として、各種補助金給付金等を不正受給しようとする人がいる一方で得てしてそれを本当に必要とする人には届かなかったり_本人が拒むといったケース含め_、それ地域振興の為の助成金なん? 助成金目的の地域振興策?_これはチョットちゃう話か_、立ってるのがつらそうな年配の人に座席を譲ろうとしたところ年寄り扱いするな!と怒られた_私は経験ないけど何回か聞いたことがある_etc. そこには見栄、いらんプライド、不幸を選ぶ倫理観みたいなものが見え隠れしている。と、整理したつもりでおったところ、ふと思い出したこと。
20代後いや30代前半か、仕事じゃなく何人かで何かやろうかということになり、ママと呼ばれている女性(スナックをやっている人ではなく単にそういうニックネームの人)と、とあるバーで落ち合うことになったが……お互いに顔を知らない。約束の時刻の5分前に着いた私は取り敢えずハーパーソーダを注文。時間が早かったせいか、自分以外の客は、独りで飲んでいる女性客だけ。おずおずと声をかける。あのォ……ママさんでしょうか?
「ここ、そーゆーお店やないんです」
わかってるわ! と言いたかったが、初対面の相手にそんなことで大きな声を出し反発するのもどうか、とスゴスゴ引き下がる。むっちゃ恥ずかしかった。そして、明らかな蔑みと憐みがないまぜになった苦笑が、むっちゃ不愉快だった。
頑なな反応を誘発する言葉や振る舞いというのは、確かにある。それを封印すること。