小学生と寿司打で対決した。

先日、近くの小学校で6年生に向けてお話をしてほしい、との依頼を受けて、講演を行った。
テーマは、「夢について」。
僕の場合は一本道ではなく、色々寄り道をした人生なのでそれも含めて「IT」と「夢」を絡めて話をすることにした。

細かい話はまた書くとして。
その講演の休憩時間に、とある子どもからこう言われた。
「先生、寿司打って知ってます?それで対決してくれませんか」

今の子どもたちは、タイピングが当たり前。

今回の講演でITを取り扱うことにしたのも、コロナの影響で生徒全員がipadを持っていて、それを授業でも使っている、という話があったからだった。

先生によっては国語の感想を集めてテキストマイニングで表示したりなんかして、生徒の方もそういったタブレットでアンケートを打ち込んで回収する、なんてことは慣れたものらしい。

当日の様子を見ていた同年代の方が、「小学6年生で全員がタイピングできるなんて」ととても驚いていた。

たしかに、自分たちが子どもの頃ってアルファベットのローマ字読みが全員できたか、と言われればどうなんだろう、と思ってしまう。
別にそれは、少なくとも小学生の段階では必須ではなかったと思う。

僕は元々パソコンに興味が出ていたこともあり、なんとなく独学で練習していたけど、当時としてはまだまだ少数派だったと思う。

それが、今はクラスのほぼ全員が、ローマ字入力は当たり前で、授業の感想などを時間内にタイピングしたりしている。

僕なんかはIT職種なこともあって変わったなあ、ぐらいの感想だったが、それこそ教職とかを経験した人からすると相当な衝撃だったみたいだし、もっと上の年代からしても同様な反応だった。

とはいえ、そのスピードに教育が追いついているか、は難しい。

タイピングの基礎。

別の子からはタイピングのコツを教えてほしい、と言われてホームポジションの話をしたりなんかした。

個人的には、もちろん知らなくても扱えはするのだけれども、ある程度早く打ちたいとか、そういう面を考えると会得しておいて損はないものだと思っている。

まして授業内でタイピングするとなると、その速度がノートをまとめる力だったり、宿題をやる早さとかに直結してしまうはず。

僕は子どもの頃、字が下手すぎて、正解を表す丸の横に小言を書かれたりと先生と親にしょっちゅう怒られていた。

答えが分かることと、それをどう伝えることは別の話。
タイピングのスキルは、「伝える」部分の技術であり、考えることの邪魔になってほしくはないなと思う。

せめてそうならないように、ホームポジションくらいの基礎は教えてほしい、と思うけど、なかなかそれを徹底させるのも難しいだろう。

少なくとも、鉛筆を持つことと同じようには。

タイピングは共通言語。

そんなご時世だからか、こちらのタイピングの速さ、というところは思った以上にみんな興味を持っているようだった。

そして、そんな中で、寿司打の挑戦をしてきた子がいた。

その子は、とても内気な子のようだった。
話しかけてからもなかなか要件を言い出せずモジモジしたり、やっぱり止めよう、と引き下がろうともしていた。

でも、周りの友達が何人も「やってみなよ!」「せっかくだから!」と後押しをしてくれて、対戦までこぎつけることができた。

あの反応を見る限り、その子の友達はみんなその子がタイピングが速いことはもちろん、寿司打で日々練習していることもよく知っているのだろう。

授業の中でも扱うようになったからこそ、彼はその実力をみんなに認めてもらえている。
単にすごい、だけでなく、自分よりもすごい、と周りがきちんと意識して言っているように聞こえたし、彼もその点は自覚しているように見えた。

同じ授業の中でやるからこそ、そういう点が見えるようになったのかな。

始まる前にそんな一瞬を垣間見れたのだ。
雪の降る中の体育館、寿司打で一本勝負をすることになった。

 勝負開始、1秒後。

寿司打、はシンプルなタイピングゲーム。
変換とかもなく、単純にローマ字入力で打ち込んでいくゲームだ。

制限時間(今回は1分)内にどれだけの単語を入力できるか、が=寿司皿を食べられるか、ということでスコア化されている。

文字数が多いとスコアが高い、のかな。
とりあえず早く正確に入力すれば良いんだろう、だけ理解してゲームを始めることにした。

机に二人で並んだ。
その周りに20人くらいの人だかり。
彼は授業用のipadと付属のキーボード。
こっちは万全を期すために自前のMacbook Pro。
始まる前からキーボードで差をつけているところが大人げないな、と思ったけど、寒くて自信がなかったので大人の特権を使わせてもらうことにした。

いざ勝負が始まって、開始1秒でMacにしておいてよかった、と思った。

彼のタイピング、速い。
タッチタイピング(キーボードを見ないで打つ)は当然だし、それにしたって結構なペースだ。

とはいえ、負けるわけにはいかない。
休憩後の話もあるし、さっきのやり取りも見ているし、プロとして負けるわけにはいかない。
タイピングのプロではないけど。

ということで、開始1秒後に本気を出すことになった。
忖度や手加減なんか一切抜き。
観客の子ども達から歓声か悲鳴かよく分からない声が上がっていたけど、それを聞く暇も無くひたすら打ち続けた。

対決してみて。

結果は、ダブルスコアでこちらの勝利。
大人の意地というか、大人げなさの勝ちというか。

とはいえ、タイピング速度があることは示せたし、周りの子たちからすると相当ハイレベルな熱戦だったらしい。
その後はちょっと眼差しが変わった気がする。

戦った彼は、なんとなく清々しい顔をしていた。
マスクだったから表情はよく分からないけど。

「ありがとうございました!」

そう言って、たくさんの友達と一緒に席へ戻っていった。

講演後。
全員の感想をもらって、目を通す中で彼の感想を見つけた。

自分が何か迷っていたら、何事にも挑戦することが大切だと改めて感じた。今日もタイピング挑む前、迷っていたけど友達に押されて挑戦して、今はやってよかったなと思った。

これから中学生になるし、何か自分が迷っていたら、もういいやって思わず、何事にも挑戦したい。タイピング早くなるために、諦めずに挑戦したいと思いました。
(一部内容を改変しています)

相当、大きな一歩を踏み出したんだろう。
大人に対決を、しかも相手がプロだと分かっていてなら、なおさらだ。
負けることはある程度覚悟していただろうし、みんなも見ていた。

それでも、彼はやってよかった、と書いてくれた。
それだけでなく、タイピングに留まらず、挑戦することの大事さまで見つけてくれた。

その勇気と姿勢に、感動した。
自分が教える内容だけでなく、子どもたちは色々なことをその人自身を見て勝手に学んでいく。

雪の降る日に、とても暖かい思い出をもらえました。

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