自覚を持ちやすかった依存症③
前回までの記事。
私がアルコール依存症に早期対応できた理由①美容至上主義②完璧主義
続いて③を書こうと思ったが、
その前に今気づいたこと。
(このブログはかなり計画性なく思いつくままに綴っているので、読みにくいところや構成が整理されていない点が多々あると思います。すみません)
両刃の剣
その気づいたこととは、
よく考えてみれば
①の美容至上主義(醜形恐怖症)も、
アルコール依存症に早期対応できた理由であるとともに、
アルコール依存症になった理由でもあるなぁ、と。
私が、美容至上主義になったのは、
思春期に耽美主義を知って強く感銘を抱いたことがキッカケで。
何と無く、その頃からそこはかとない得体のしれない不幸感や慢性疲労に包まれて生きていた感覚があって。
(マジョリティ的生き方に合わせられず、既に不登校児と化していたし、それは私の家庭では決して認められることではなかった)
そこはかとない不幸感や慢性疲労に包まれていると、それを振り払ってくれそうな
強い刺激が欲しくなる。
普段の(不断の)どんよりとした気分を
(まさに平坦な戦場という感覚)
一瞬でも
(この一瞬でいいから!という刹那的感覚は、後々依存症にも繋がる)
忘れさせてくれるものが欲しくなる。
それが、薄暗い退廃美だったように思う。
平坦な戦場を生き延びるために必要だったもの
プラス側に行くためのものではなく、
マイナスをせめてゼロ(もしくは少しでも小さい数値のマイナス)にするためのもの。
向上心からの美しくなりたいという前向きな気持ちというよりは、
見返してやりたいという恨みにも似た気持ち。
美しくさえなれば、一発逆転できたり、何かが変わるのではないか?という気持ち。
薄幸であっても途轍もない美しささえあれば、自分の人生も多少は肯定されるような気がした。
悲劇のヒロインになりきれる気がした。
(喜劇のヒロインは、既にその時点でその発想すらないほど手の届かないものだった)
(学校に行けなくなった時点で、王道を歩むヒロインにはもうなれないと思った)
(王道が無理なら、邪道を行くしかないと思った)
でも、私には圧倒的に美しさが足りてなかったし、脂肪は多過ぎた。
自分の人生を肯定するためには美しさが必要だと思っていたし、
それがないうちは生きた心地がしなかった。
割と、生き地獄だった。
鏡を見るたびに気分の悪くなる感覚は、かなりストレスフルで、そんな暮らしを何年も続けていれば、そりゃ、依存症になったり精神疾患になっても不思議はないなと思う。
今回は、結構脱線気味だったけれど、
美容至上主義・醜形恐怖症の原点となるような記憶を綴ってみた。
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