山で遭難しかけた話
前日は、仕事を終えて、居酒屋に行ってビールと梅酒を一杯ずつ飲んでいました。夜は、明日の登山に備えて早く寝ようと思ったところ、アルコールのせいか、トイレに行きたくなって、何度か目が覚めてあまりよく眠れないまま、朝が来ました。
天気は曇り。標高約300mの登山口は、街よりもかなり空気が冷えていました。「さっさと登って、さっさと帰って、銭湯で温まって、ビール飲みたい」登る前からこんな気持ちでいました。
新年初登山の場所は、誰しも一度は耳にしたことがある、標高1200mほどの山です。登山道も整備されているし、迷う心配なんてあるはずがない、そう思い込んで、速足で登り始めました。まず歩き始めて目に飛び込んできたのは、冬の時期はまだ使われていない、ログハウス。鬱蒼とした木々の間に、階段が続いている。遠くの方に、目印のピンクの蛍光テープが巻かれたスギが、尾根らしき道に向かって立ち並んでいるのが見える。それならば、ここを直登して、登っていくに違いない。私は同伴者の、「こっちでいいんだろうか」というつぶやきを無視して、私の方が、体力的に自信があるのをいいことに、「こっちだよ、こっち!」と断言して見せて、林業の作業場のような林の急坂をずかずかと進んでゆきました。ときに四つん這いになりながら、ときに、木の根っこをつかみながら、ピンクの蛍光テープが巻かれている樹木が見える限り、勢いに任せて、登っていきました。
ここが一般道ではないと気付き始めたのは、登り始めて30分ほど経過したとき。息が上がって、水分補給をしようとしたときのことです。上を見ても、下を見ても、右も左も、同じようなスギやヒノキといった針葉樹が立ち並ぶばかり。日差しはなく。どんよりと暗い山林の中。秋だったら、熊に遭遇しかねない、鬱蒼とした深い山の中に、私と、パートナーは迷い込んでしまったのです。
そこで初めて、地図で現在地を確認しようと、リュックの中を漁りました。なんと、ヘッドランプやクマよけの鈴とセットにしていれてある袋の中にあるはずの地図が、ないことに気づいたのです。
今日はパートナーと久しぶりの登山で、しかも難易度も高くない山。ここで引き返して、正規ルートをたどり直すのも億劫だ。とにかくここを登り切って、稜線に出ようと決心し、二人で息を切らし、立ち止まり、を繰り返しながら、足場の悪い急坂をひたすら直登で登っていきました。それから1時間半が経ち、ようやく、人の声が聞こえてきました。無事に登山道に合流することができたのです。それから、登山道を、山頂方面から降りて歩いてきたおじいさんに、今の私たちの現在地を聞きました。林の急坂を掻き分けるようにして登ってきたことも伝えました。
「そんなとこからここまで登ってきて、大したもんだな。でもな、これからは正規の登山道を歩かんといけないよ。」と、半ば呆れられながら、山頂までの道筋も教えてくれました。
わたしは、どうしていつもこう、未熟なんだろうか。地図を忘れる上にパートナーの、「ちがうんじゃないか」という言葉も一蹴し、自分の進む道が正しんだという自信と、こんな山、大したことないんだなんて侮る姿勢は、どこから来るんだろうか。
この世の中で、全然思い通りに行かなくて、せめて山の上では、自分で自分の判断の舵を切れるとでも思っているんだろうか。
明日から5日間、また、なにもかも思い通りに進まない、仕事が始まります。私は他人の思う通りに動くように見せなければならないし、好きな時に食事も摂れなければ、トイレにも行けない。何をするにも、他人の許可と承認が必要な世界で、縮こまっていなければなりません。こういった世界から逃れたくて、山に行くのだけれど、その準備は、昨日までの疲れでなおざりになってしまう。山に入れば道に迷って大切な人に迷惑をかける。天気もいつも味方してくれるわけではありません。
この世は、思い通りにいかないんだ、思い通りになるはずがないんだ。
わたしを中心に、世界は回っていないんです。
この地球ですら、惑星であって、なぜか太陽を中心に公転させられている星なんだから。今回の遭難を今後の教訓とし、明日からまた前を向いて生きていこうと思いました。
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