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童謡「ふるさと」について

少し前に、友人の住む田舎の公民館に行った時のことです。
地元に移住し始めた、外国人の方(多分アメリカ人)が、ハンドパンという楽器で、ふるさとを演奏するのを聞きました。私は自然と心の中で、「うーさーぎおーいし、かーのーやーまー」と歌い始めました。それから何だか感動してきて涙が出そうになりました。この気持ちは何だろうと整理したところ、思い当たる節がありました。

私の地元には、山も川もありません。ですから、うさぎなんて追ったことないですし、こぶなを釣ったこともありません。(こぶなって何ですか?)それでも、実際には見たこともない、日本の雄大な山々や、スギやヒノキのさわやかな香り、日光に照らされてキラキラ光る小川、田んぼや畑を耕す農民や、その周りを無邪気に駆け回る子供たちの姿といった情景が、わあっと想起されたのです。そして私には、このような故郷というものは存在しないんだ、後にもこの先も、と実感し、何とももの寂しい、虚しい気持ちにさせられました。

ところで、ふるさとという曲は全部で3部作あるそうですが、中でも、
「いーかーにいーます、父ー母ー」という導入で始まる2番目は、心にぐっとくるものがあります。なぜかといえば、日本という国自体が、父(たとえば身体を張って国を守る将軍)と、母(たとえば、山や海や土壌といった、生命の源である自然)を、失ってしまった部分があるんじゃないかと感じるからです。私がちょっとヒステリー気味な性格だから、大げさに考えすぎなのかもしれませんが。

そこで前に、NHKで太平洋戦争中、アメリカ軍によって撃沈した戦艦ヤマトの生存者の方の話を思い出しました。彼らが爆撃によって大海原に放り出されたあと、海の上でヤマトの残骸にしがみつきながら大声で歌ったのは、来る日も来る日も歌わされた軍歌ではなく、「ふるさと」をはじめとする童謡だったそうです。

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