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かぷりす表現まとめ

序文

皆さまこんにちは、かぷりすと申します。
永遠をテーマとして、イラストをAI(Nijijourney)で生成しております。
器としての少女または人形を通して、心の宇宙を、永遠を見る表現を模索しております。
イラストについて2D、そして2.5Dに及ぶため、その中で、表現のテーマを各自決めています。

X(Twitter)において生成イラストとともに、イラストを見ていただく際にご参考にと、物語のあらすじのようなものも呟いています。

きっかけ

永遠について考察すると言ったら大げさですが、私が永遠について考えるきっかけとなったのは、数年前ぐらいになります。
イラストやドールに興味があって、グッズやドールをお迎えしたりする中で、「ドールやイラストに描かれた少女は今何を想っているのだろうか?」とふと疑問に思うときがあり、そこからドールや関連する語句などを色々な文献を調べていきました。
その後AI生成が登場したときから様々なモデルを触り始め、そうした考えをAI生成で「表現」してきたいと思いました。

用語と世界観

器、少女、像、魂

小さな器(身体)に、純粋無垢な魂(精神)が宿る。 それを「少女」と称する。 我々が理想とする高潔な存在を器で模倣し、反映させた像である。 直接は目で見れない。でも見たい。耽美的な、ある種近づきたいという狂気がそこにはあるのであろう。

「器の宇宙」の表現において、私は質量のあるもの(私の場合は「少女」)を通じて、質量を持たぬ内面的な心情を描こうとしている。 作品に描かれた「少女」によって見ている人の「心」が浮き彫りにされたとき、見ているひとは何とも言えぬ気持ちを抱き、やがて凍りつく。
意識、心、魂…これらは器と別次元的にリンクしている。 常に共にあることを忘れること勿れ。

人形に人は何を想うのだろうか? 物言わぬそれに何を願うのだろう。 人形は像であり、人の心を映す鏡である。 触れたいが触れられない。人はそこに近づきたいという狂気を見出す。 高貴な魂はそこに宿るのだろうか? 「少女」という「器」を以てして、神を模倣できるのだろうか?

永遠についてXでのつぶやき

永遠の表現

「溶ける」

溶けて、溶けていく
形が崩れ、忘却の道を辿る

どろり、どろりと流れていく
思い出させるためにゆっくりと

垂れて、垂れていく
カンバスに流れた跡だけが残る

何かが存在していた 誰もその形を説明できない

2023年9月頃

この「溶ける」という表現は私の実体験がもとになっています。
(色々な事があって躁鬱状態になっていました)物や景色が歪んで、ドロドロに溶けているように見えた時期がありまして、そのときに「形あるものは記憶され、形ないものは忘却されるのだろうか?」のように感じていました。
一瞬ではなくだんだんと失われていくことが恐ろしい。私が生きた形も次第に「溶けていく」のだろうかと。
サルバドール・ダリの「時間の固執」とは本質的な部分な同じだろうと考えています。
恐怖や不安が自分の見える世界に現れた。その中で私はどんな姿をしているのだろうか。認知と歪みの永遠の世界の中をただただ漂うのみである。

「狂色(くるいろ)」

黒と白の世界が、精神の内側を示すのならば、この狂気は精神の外側を示すのだろうか。 狂烈さによって、見た瞬間に調和の無い世界に迷い込んでしまうだろう。 その世界は正に、「狂気の沙汰」であろう。人生は月の満ち欠けに似ている。 その命は永遠だろうか?

2023年5月頃

この表現は一番見ていて目が疲れてしまうと思います。ですがそれが目的であります。(私は3分ぐらいしかもちません)
彩度の高い極彩色が前面に出たイラストが特徴です。
強烈な光(作品)から物体(鑑賞するひとの目)に当てたときその後ろ(目の奥つまり脳)に強烈な残照のようにインパクトさが残る。
例えるなら、太陽を直視したときに残る丸い影のようなもので、強い色がここでいう太陽光で、イラストが残る影のようなイメージです。
永遠のテーマの中で、記憶は重要な要素になります。
私の初期の頃の表現であり、この表現から影響を受けているものもあります。(「溶ける」「光と再生」)


狂色(くるいろ)メモ

「光と再生」

永遠を願うならば、この境地に至るものなのか。 色を重ねると黒色に、光では白色に。願いを重ねると金色に収束する。 静寂の中に光あり。その光は、願いを映す鏡。 永遠とは願いによって再生された、理想の世界なのであろう。

たくさんの願いが溶けていく。 それはどれも美しく、光輝いていた。 願いの象徴。それを決して忘れてはならない。

証明しなければ…光あるうちに。 永遠に光り輝くもの、失われないものは何か。

2023年10月頃

金色と銀色。白と黒のように対称性を示せるのではないか?古くから金と銀は建築等重要なものに使用されてきた歴史がある。(日本画やグスタフ・クリムト「ユディト」「接吻」)
理想の世界が描かれるときに金色が使用されてきた。
時間を超越した永遠の世界は、黄金の光(人の願い)に包まれているのだろう。

「線、円の空間配置」

自然によって導かれる旋律は空間に美しく配置されていた。
記号によって記述できるのだと。自然に倣うことが美しさの発見に繋がる。

2023年6月頃

ウィトルウィウス的人体図-天使の調和-

人体の比率は美しく定められており、数学的に記述することができる。
自然こそ教師であり、自然のなかに美しさが秘められている。
自然に倣うことこそが、最も基本的な本質的な学びであり、永遠を語るのに必要不可欠である。

「器と宇宙」

「無垢」「儚さ」についてぼうっと考える。 耽美なる姿求めし君よ、悠々と夢想し、可能性の扉を開けるがよい。
象徴としての「器」よ、心象としての魂よ。
内なる「宇宙」に光あれ。

光と影は反対のものではなく、どちらも美を鮮明に映し出す。 どちらか一方だけでは不十分である。明るさのみ、暗さのみ描くのは良くないだろう。どちらも描かなくてはならない。 光と影を秘めているからこそ優美なのであろう。

其は、命のカタチ。そしてソラの輝きである。

2023年9月頃

人に、動物含め生き物に心が宿るように、人形にも心が宿るのであろうか?
心は不可視であるため、理解が難しい側面がある。
精神世界はいわば宇宙空間であり、「内なる」世界なのであろう。
そのなかに一筋の光が差し込んでいた。そこには「少女」が佇んでいた。
「外」の現実世界では見かけることのない、純真な存在が。
とても美しいという言葉では形容できないほどの儚さを覚えるような存在であった。
私は、この「器」のような存在に永遠を見ている。
この広大な「宇宙」の中で。

「永遠に至る夢」

仄かな優しい薫りそよぐ風に導かれる。 見るとそれは心地よい、安らぎの園であった。 書物に記されていないその景色は、私が記さねばならないだろう。 私の夢が覚める前に。

咲く姿は何よりも美しい。 たとえ一瞬だとしても。 その色は、特別だから。

2023年11月頃

記憶の断片を繋ぎ合わせると、時折不思議な光景を見る。
しかし、目覚めるとわたしはそこにはいないのである。
また見たいと思っても同じ景色にはたどり着かない。
美しかったあの景色はどこにも存在しなかった。
私だけが見た景色はきっと永遠に辿りつく道に繋がっているに違いない。
景色を巡るために何度も夢を見る。
散りばめられた断片を、パズルのピースのように、永遠を完成させるために。

「器は語る」

人形…精神美の極限。 鉱石より美しいその姿、まこと芸術である。 瞳に光満たされた時、やがて世界を見る。 さて、何を想い、何を語るであろうか。

2024年1月頃

「器と宇宙」の続編のようなテーマでありますが、こちらは人形に魂が宿り世界を見ているイラストになります。
美しい存在が心を持つとき、その存在は世界をどう見ているのか。
そんな好奇心を燻るような世界観を表現できたらなと思っています。
人形は像であり、人の心を映す鏡である。
何を想っているか分からない。
何を感じているのだろうか?
そうした不思議なところが人形の魅力だと思います。
人の心を浮き彫りにしてしまう。なんとも耽美な存在なのだろうと。

あとがき

以上がこれまでの表現についてでした。
代表的な作品を載せるのみでしたが、「だいたいこういうこと考えているのね、ふーん」と思っていただけたら幸いです。
X(Twitter)では伝えきれないものも多かったのでこの機会にとまとめさせていただきました。
最後に、ここまで読んで下さり本当にありがとうございました。
作品作りの参考になりましたら幸いです。
それではまたどこかでお会いしましょう。



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