表現者の独り言2-twitter内発言まとめ-
時代に左右されないために
なぜ未来を見ない?なぜ目を背けるのだ? 現在多くの学問で過去より多くの発見が蓄積し、しかもそれを多くの人が触れることが可能である技術がたくさんある。 こんなにも自由なのに。なぜそんなにも盲目であろうとするのか分からない。 時代がそうさせたのか?そんなにも不自由な時代なのか?
自我ではなく、物の本質を語らないのか? 表面ではなく、中身をもっと見るべきであろう。
グラフィカルな表現で以って思考を満たせ。 そして分かりやすさに重点を置き、主張せよ。 見た目を洗練させ、新しく見せる。 洗練こそ、表現の究極たりえる。
-メモ- 水と歯車にヒントを得よ。
保存されるもの。保存されている「ように」見えるもの。 自分のスタイルに沿ったものを閃いたが、形にするのに時間かかるな。 錯覚か、現実か。問いかけにはもってこいの、いいテーマになりそうではある。 さて、どうしたものか…。
狂気の美しさを見出すためには、 正常(一般的な)ラインと狂っているラインのいい塩梅を見つけ出す必要がある。 そこを上手く具象化出来れば、ちょっと違ったものが生まれる。 ただ難点があって、狂っている世界を知ると、鬱の精神状態になるので鋼鉄の精神を1000個ぐらい持っておく必要がある。
人の中で「流れるもの、流れないもの」は何だろうか?
「元々才能があるんでしょ?」 そう言われる人は皆、誰も見ていないところで地道な練習をしている。 あなたは自分のしていることを語れるか?
自身の「溶ける」表現についての根底的な考え
溶けて、溶けて、溶けていく。 形が崩れ、忘却の道を辿る。
どろり、どろりと流れていく。 思い出させるためにゆっくりと。
滴れて、滴れて、滴れていく。 カンバスに流れた跡だけが残る。
ゆらり、ゆらりと沈んでいく。 音も立てずただ密かに。
何かが存在していた。 誰もその形を説明できない。
粘度の高い液体に人の経験というものを重ねる。 すると、カンバス上で形を保っているということは様々な経験を重ねている「現在」であり、やがて時間と共に失われて「過去」になる。 出来事は跡として残るが、語り継ぐことのみが形を再現する唯一の方法なのかもしれない。 では「未来」を語るには?
流線的で少しグラフィックなデザインに生命の輝きというか神秘を感じる。 ゆっくりとしたダイナミクスに永遠を見ている。 激しく動くこの時代の中で、人の根本的な本質部分はゆっくりとしている。 そのギャップというか、そこがヒトの魅力であるのかなと。 それを作品に出したい。
創造の基本的な考えとして、リノベーションがある。 他の作品の長所を取り入れて、取り入れて…これを繰り返す。 そうしてあなたが感じることを作品に込めれば、それはあなたらしさとなる。 組み合わせを楽しもう。予期せぬ面白い化学反応が起こる可能性がある。 手が止まったら試す価値はある。
表現のその先とは何だろうか? 記憶に残ることなのか?
それに至るには、私は何をすべきなのだろうか? 今のままではその境地にたどり着けない… 私を置いていかないでくれ…
人体構造が必ずしも正しくある必要はない。 構図として強調したい場合はある程度デフォルメしても問題ない。 そこの加減が出来れば作品により味が出せる。 重要なのは何を表現したいか。そこだと思う。 イラストにおいてガチガチ過ぎているのは、つまらない。
表現者としての願いについて
願わくば、私の思想、表現で私を超える存在が現れますように。そうしたら、私の存在理由が果たされる。 特異点になるのだ。世界を驚かせるほどの。
機械には「癖」がある。パターンがある。 それを見抜いてから、最適化を試みる。 生成も同じ。モデルによって「癖」は様々。 必要トークン数もまるで違う。 色々な意味で目を肥やすのが先。 それから自分の軸を決める。 出来れば、瞬間的にこれは何のモデルかを言えるぐらいまで見ることが理想。