長岳寺の大地獄絵開帳、そして現代。
11月15日の月曜日、奈良県天理市にある長岳寺という高野山真言宗のお寺に行ってきた。毎年期間限定で開帳される狩野山楽(1559-1635)の大地獄絵を見に行こうと思ったのだ。
長岳寺までは京終駅から柳本駅まで電車で行き、そこから徒歩で向かった。京終は「きょうばて」と読み、由来は奈良時代にここ一帯が平城京の南東の外れに位置していたからだそう。個人的に初めていく街の地名を考察するのがすごく好き。
柳本駅から長岳寺までは徒歩で15分くらいで、その道中には古墳群が見られた。
長岳寺に着くと、大地獄絵特別公開の看板が掲げられていた。長岳寺は紅葉でも有名な場所でもあり、付近には今風なお洒落なカフェも2、3軒並んでいる。お昼ご飯はそこの山辺カレーを食べた!
受付を済ませ、奥に進むと紅葉と日本最古の鐘門が構えている。この門は上層部に鐘を吊った構造であるため鐘楼門という。御朱印帳もこの受付で預け、帰る際に引き取るという流れであった。最近、御朱印はこの流れが多くなっているように思う。一時期、御朱印のスタンプラリー化が問題となっていたためだろうか。
狩野山楽の大地獄絵は本堂内の右側面に合計9幅掛けられていた。右から左へと墓地の図から始まり、極楽浄土への往生を遂げる場面で終わる。かなり豪華な出迎えであるため、往生の中でもランクが高い上品上生だろう。
もちろん本堂内は撮影禁止であるのだが、奈良地域関連資料画像データベースでその地獄絵を鮮明に見ることができる。ぜひ一度覗いてみてほしい。
1時間ほど住職の絵解き(絵の解説)が行われた。お寺の本堂内で見る地獄絵は博物館や美術館での展示とは全く違う雰囲気であった。
国宝保護、盗難防止からの観点からも博物館、美術館での保存が好ましい場合が多くあるが、本来あるべき場所で、当時の思想を大切にするならばお寺での保存が良いと思うが、とても難しい話である。お寺での管理が好ましいと言って、先祖が命をかけて守った寺宝を火災や盗難で紛失した場合、その意志はそこで途絶えてしまう。
そのため、命をかけて守ってきた寺宝をお寺内で見る機会を、美術に関わる方には増やしてほしいと思っている。
この旅を経て、「地獄絵から何を学べるか」を少し考えてみた。
昔は「死後は輪廻転生され、六道のうちのどこかにまた生き返る。」と考えられていた。そのため、現世において、修善や追善のように来世をより良い場所にしようという行動に出ていた。「現世でいいことをすればきっと極楽へ行ける!」それは日常生活において心をより安定させるものでもある。
しかし、現代はどうだろうか。
「地獄なんかあるわけない。」「死後は無の世界」というのが一般的な考えだろう。年々自殺率も多くなり、「死んだら全て終わる。」と考える人も多いように思う。心に仏教的な安心が薄い現代で、何を頼りに生きていくのか。地獄絵に描かれている火に焼ける亡者や餓鬼の様子は死後のものだけではなく、9.11のような世界貿易センタービルでの事件や栄養失調による餓死は現実に起きている。
現代と昔とで『死』の概念とは変化している。現代ではゲームやアニメを始め、『死』を非現実的なのであると考えているように思う。医学の発展によって生活水準が向上した結果でもあると考えるため、一概に悪いことであるとは言えない。
その中でも、生活の中で少しでも死について考える時間を設けることも悪くはないのではないと思う。自分の生活を見直すきっかけにもなる、かも。
それでは、また次の紀行で。