絵を”観て”いるか。
以前、『絵を触る挑戦』というタイトルの記事を書いたが、今回は『絵を”観て”いるか。』というアンチテーゼのようなタイトルである。
最近、Twitterの方で制作過程をアップしていた作品がついに完成したのだ!月岡芳年の『新形三十六怪撰 布引滝悪源太義平霊討難波次郎図』を革でのカービングで表現したもの。カービングしたものをサクラの木版に真鍮釘で打ち付け、額装をした。
上の記事を読んでいただいた方はお分かりになると思うが、この作品は「触る」ことを前提とした作品であり、「目で見る」ことは二の次である。
つまり、「目では見にくい絵」なのである。
色彩豊かに彩色をしてあるわけではなく、陰影のみによってその図像を認識することができる。
置く場所、見る時間帯、照明の当たり方によって線描の浮き上がり方が異なってくる。
実際に祖母の玄関に掛けて写真を撮った。
ほとんどの方が、「ここからじゃ何が描かれているかわからない。」と思うだろう。
そうか、「これは近くで見ないとわからない、近くで見よう。」と近づき、ようやく、「お、なんか武士が描かれているな、、彫られている?」という思いを抱くであろう。
もし、ここにはっきり、遠くからでも見える絵画が飾られていたら、目を凝らし、近くで見ようとする気は起きただろうか。
「風景が描かれているな」「女性が描かれているな」と、遠くからでも認知できたら、そこでその絵に対して必要以上に近づき解釈をする可能性は減ってしまう。
これは、本当に「絵を観た」と言えるか。
美術館に飾られるような「見ること」を想定された作品を見慣れた人にとって、「目では見にくい作品」への評価は低いだろう。「もっとこう色をつけたら?」「これでおしまい?」など思うかもしれない。
しかし、それは「鑑賞者」としての本質を放棄してはいないだろうか。鑑賞は「視覚機能」だけの行為ではない。
「鑑賞するのを怠惰してはいけない。」
そんな啓蒙的な作品でもある。
そんな、アンチテーゼを書き連ねて今回の記事は終わろうと思う。
それでは、また次の紀行で!
おまけ
制作過程
1、参考画像のコピー、題材に対する知識を得る。
2、革へ転写する。
3、スーベルナイフで線を彫っていく。
4、べベラで打っていく。
5、裏面に赤い床革を貼る。
6、篆刻風の印を革で作る。
7、桜の木版に真鍮釘で打ち付け、完成。