取り急ぎ犬よ6
夜勤明けにだらだら寝続けてふっと覚醒して、布団でそのままスマホをいじっていた。そんな折のイッヌキトク、スグカエレの一報。だわあああと無駄に声を出しながらパンツとか実家から出勤できるように仕事のものとかをクソデカエコバッグに放り込んで、何日家を空けるか分からないからちゃんとゴミ出しもしてからせっせと足を進めた。18時過ぎ、世の皆さんはご帰宅の時間、そしてこれまた乗り合わせがめちゃくちゃ悪い。ホームに広がってちんたら歩く人々をなぎ倒して進みたかった。いやまぁこのクソデカエコバッグのせいで私もかなり幅をとって邪魔な感じになってるし、何しろそんなんしてみろ大事故だ駅のホームで走るな落ち着けと、努めて努めて歩を進めた。夜勤明けのボロボロの情緒で目も潤むというもの、ただでさえ何事もなくとも泣けてしまうようなボロボロ具合なのに。本当に夜勤は人間をおかしくするからよっぴいて働くもんじゃないんだってば。
イッヌは御年17歳、数年前に脳梗塞をやってそれなりに元気に老犬をやっていたのだが、脳梗塞後に何度かけいれんを起こしてそれを予防するお薬とかをチュールと一緒に続けていた。ちょうど祖父がどれ夕方のおしっこに外に出してやるかと玄関に下ろした途端に大発作が起きて、祖父にそのままカートに乗せられて病院に連れていかれたのだそうだ。母はちょうど外出していて帰りの電車の中だったそうだ。
小一時間けいれんが止まらなくて、最終的には鎮静をかけておうちに帰って来た。けいれん止めの座薬とか鼻から入れるお薬とか、これは母が人間の看護師をしているから注射器で吸うタイプのものも持たせて自宅に帰してくれる。何種類も持たせてもらって犬はおうちに帰って来た。
だんだんと麻酔から覚めて来てクンクンワフワフ鳴きながら足がばたつく。そういえば犬が発作を起こすところを初めて見たのだった。私も医療職だけど人間のだってそう見た経験はないのに。滅多に鳴かない犬なのだ、老齢になって散歩後足を拭くだとかお腹が空いただとかで頻繁に文句を言うようにはなったけど。犬がワンと鳴いたのを本当に本当に随分久しぶりに聞いた。泣けて泣けて仕方ない。身内のけいれん発作は本当にしんどい。とうとう座薬のけいれん止めを入れて、今日あまりにもたくさん使ったから許容量オーバーじゃないかなとかハラハラしたけど、それから先生に15分くらいで効いてくるからと言われたきっかりその15分後、犬が寝た。本当に効いた。もう薬が効きにくくなってるしああ座薬で治まってくれて良かったと思うのと、これで治まったってことはやっぱりこれはけいれん発作なんだなと思うのと。ともすれば起き上がれない!!で文句を言っているのかな、だってカリカリ前足が歩くように動いていながら鳴いてるからともすれば、と思いたかったので、ああ、ああそうなんだ、本当にこれは発作の方なんだと認めざるを得なかった。
このまま意識が戻らないかもしれないし戻るかもしれないしと先生に言われたそうだ。どうだろうか、正直厳しいなと思う、小一時間けいれんが持続したってことがその後の予後にどう影響するかなんて、たとえ担当分野でなくたって私も母も分かる。でも身内なのでもしかしたらが生まれいづるのもまぁ当然の心理だよなって開き直れさえもする。人間の心理ってそういうもんだって私も母も分かっている。
辛かった学生時代の実習とか新卒から3年目くらいまでまじでまじでまじで仕事が辛くてなんとなく鬱っぽくなってたことと、本当に来世はこんな仕事選ばねえと固く誓っているのだけど、私は初めて、本当に初めてこの道を選んで良かったと思った。知識だけが、経験だけが私たちを支えてくれていて、それを主たる介護者の母とこれからどうしようかとか先生に指示もらいたいことは何かとか、細かいことをいえば床ずれと関節の拘縮予防に体勢を適宜変えたいものだが何時間おきにしようか、飲めそうなものなら内服もチャレンジしたいけどこの覚醒具合だと誤嚥も怖いし時々舌をぺろぺろさせる瞬間に少量からトライしてみようかとか、そういう細かい細かいケアの方針を共有するための術となった。やっぱり最後はこういうことなんだよな、だから勉強って大事なんだよな。だって人生何が起こるか分からないし、今後微分積分が私の苦境を救う手段となるのかもしれない、そうしたらどうしよう、もう数学が大の苦手でまるきり忘却の彼方なのに。
内服をトライしてみたがシリンジを口の中に入れても反応しないし飲み込む動作が起きないから早々に諦めた。口を湿らせる程度でも水分に触れたから良し。呼吸も苦しそうじゃないし自力で排尿もできたし、大発作のときは40度も熱があったというけど今は肉球もややほんのりしっとり、たぶん平熱。ぴくぴくも出ず犬は寝ている。正直けいれんがここまで重積してしまうと犬の体はどうなってしまっているか定かではない。それにしても何という生命力。そもそも前日まで1日2回のお散歩に出ているのを先生にミラクルドッグと褒め称えてもらっている犬なのだ。ぶっちゃけ今度ばかりはだめかもしれないにしても、この犬現世と三途の河原のうろちょろ具合がすごい。生命力という名の寄り道っぷり。
在りし日のまだ散歩の楽しさに目覚めていなかった幼犬期から壮年期の犬はあっちへこっちへ、地面の匂いをかぎながらうろちょろうろちょろ、ぐねぐねぐねぐね、全然真っ直ぐ歩かないし唐突に気分が変わって座り込んだり踵を返したりしていた。まぁそういうことをしているのでしょう。目に浮かぶわ。学校がなければ夕方のお散歩は私の仕事だったわけだし、何度急な散歩ストにキレながら犬を抱き上げ、抱っこが嫌で下りる下りるとびちびちに暴れる犬を今度はちゃんと歩けよ!!と下ろしてやったことか。歩けと言われて歩くくらいなら苦労はしない。
取り急ぎ犬よ。今は苦しくないならそれでいいです。