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老いても病んでも赤ちゃんになっても犬はかわいい

近頃休みの度に実家に帰っている。もともとの無精も加速して冷蔵庫の中はずっと空っぽだ。味噌だけがひとり悠々と冷やされている。犬に会いたいと、初めて家を出た学生の時よりも就職仕立てで毎日めそめそしていた時よりも、強く強く思う。
犬が老いて、近頃は人間の抱っこも許されるようになった。かわいい。あんなにビチビチに暴れていたのに別犬みたいだ。犬を抱っこするのってこんなに幸せなんだって17年目にしてしみじみ実感している。柴犬って大概こうだ。うちの犬はどこに出しても恥ずかしくない柴犬である。実はちゃんとブリーダーさんからお迎えしているので血統書もある。
実家に帰ると犬はいつもの場所で寝ていて、ついでに祖母もテレビつけたまま椅子で器用に寝ている。お昼のお薬がまだならチュールをまとわせて口をこじ開けて内服させる。チュールを一口ぺろぺろしたらなんだかんだ誤魔化されて内服成功だ。ちなみにチュールをケチるとバレて器用に吐き出されてしまうから加減が大事。夜寝てほしいから日中に起こしたいところである人間の都合で、犬がぐうぐう寝ているところを歯磨きだの肉球の毛カットだのをする。ちょっと嫌な顔はして、でも眠気に負けてされるがまま。こないだなど一番嫌いで暴れまわって鳴き散らかしてブチ切れる爪切りまで出来てしまった。さすがにびっくりした。お前口輪を弾き飛ばしてこりゃ無理ですってトリマーさんに大笑いされたり爪切りされたせいで大好きで尻尾ふりふり先生について行ってた動物病院がどこの病院に変えてもだめになったりしたくせに。どれだけ眠いんだい。
まぁ人間がこういうことしてもしなくても大体16時17時にはムクリと起き上がる。結構体内時計は正確で、11時16時19時22時2時、時たま4時と6時に起きては歩く歩く!!とばたんばたんしている。器用に起き上がってくるくる回る。壁際のすみっこにはまって固まっていたり敷き詰めたマットからはみ出してフローリングで滑っているのを回収したり、倒れそうになるのを支えたりの介助のため見守ると、人間の足を軸にぐるぐる回り寄りかかって休憩する時もある。容赦なく足を踏みめり込む勢いで道しるべにされるのをこういう犬だよと笑ってしまうのだ。かわいい、かわいい。ぐるぐるのスピードが落ちて来たら抱き上げてみる。抱っこされてそのまま寝てしまうのと歩く歩く歩くんだい!!とカシャカシャ足が暴れ出すのと半々くらい。いや本当に別犬みたい、人間の腕の中で寝るなんてありえないことだったから。抱っこ嫌いでスキンシップ嫌いで、お尻をくっつけて背もたれにしたり人間の足を顎置きにしたりはすれど人間が伸ばした手には決まって嫌な顔をする犬だった。動物顔に全部出る。その時の気分によってはなでなでもつかの間させてくれはした。1分くらい。嫌な顔をしながら。
今はごはん後に犬用牛乳でべちょべちょになった口元をティッシュで拭われるのもくるしゅうないと許してくれる。げっぷ付。ちなみに犬用牛乳は温めてやらないと食い付きが悪い。お腹がいっぱいになったら満足そうな顔でうとうと抱っこされている。かわいい。夜のお薬と2回目の夕飯を食べて(1回目の残したもの)またぐるぐるするのを見守って寝かしつけて、最近は私の隣にレジャーシートとクッションを敷き詰めた犬のお布団を敷いて就寝する。どうせ夜中起きるのだしチュールやおやつや口元を拭くためのおしりふきを枕元に準備しておいて、真夜中丑三つ時。犬がかけられたブランケットをはねのけようとバタバタしてフンッと鼻を鳴らす。これはワンと鳴かない質な代わりの昔からの癖。何でもかんでもフンッと文句言う。
おや寝ぼけているにしてもこの足取りならばすぐに寝るな。ああこいつはだめだ1時間コースだ、目が爛々としてやがる。これはその日によってまちまち。ぐるぐるさせてチュールあげておやつあげてまたぐるぐるさせて、それから抱っこして寝かせて起き上がろうとするのを抑えてトントンして寝かしつける。戦績はやっぱり五分五分。Twitterで見た首元にタオルを巻いて抱っこされていると錯覚させる術も試みては成功したり失敗したり。寝かしつけは時の運、昨日上手くいったことも今日になれば笑っちゃうくらいだめだったりする。犬は老いて赤ちゃんになった。かわいい。かわいいのだが。世のママパパは本当にすごい。こりゃあ大変だ。夜は寝てくれ、人間も寝るぞ。寝かせてくれ。
老いても病んでも、赤ちゃんになっても、できないことが増えても、目も耳も利かなくなってまっすぐ歩けなくて、歩く歩く!!したくせに散歩に出て五歩で立ったままゆらゆら寝ちゃうしかわいい巻き尾を立たせておく力もなくなって痩せてちっちゃくなっても、犬はいつだってずっとずっとかわいい。今思うのはもっと小さい頃からもっともっとたくさんかわいいって言えば良かったなぁということだ。抱っこもなでなでも嫌いで、自分から近寄ってのしかかる分には構わなくても人間が寄れば嫌な顔をして柴距離を保つ犬だった。人間におもちゃを投げさせるが咥えてトトトと寄るのは絶妙に人間の手が届く二、三歩遠いところ。おもちゃも決して渡してくれなかった。柴犬はいいだろと見せびらかしてはくれるけどくれない。そのうちひとりで遊び出す。人間が遊んでと近寄ると逃げていく。手のかかる犬だった。気分によっては名前を呼んでも振り向きもしないし、犬のごはんは食べないし、散歩は嫌いだし急に気分が変わって座り込んで歩かなくなるし、トイレは覚えないし、というかあれは人間への嫌がらせでわざと床にしていた節もある。何度も脱走してはご近所さんに保護されたり分離不安が募って建具も家具もボロボロに破壊されたり、私は毎日犬を叱っていたと思う。もはや喧嘩の域。
もっともっとかわいいって言えば良かったなぁ。あの頃はぶっちゃけそれどころではなかったけど、今もかわいいに変わりないけど。ウザがられてももっとかわいいって言えば良かったな。でも私はあんまり覚えてないけど言っていたのかな、だってうちの犬は自分がかわいいこと知っていた。道行く人にかわいいーと言われれば必ず振り向いていたし。私達飼い主には塩対応だけどかわいいと言えば耳はこっちを向いていたし。振り向かないけど。名前を呼んでも来ないけど。そういうところがかわいい柴犬なのだ、うちの犬は。
老いて耳が聞こえなくなったからかわいいと言われてももう分からないのだろうけど、おとなしく抱っこされてたりくるしゅうないとお世話されているのを見るとやっぱり自分がかわいいのを忘れてはないんじゃないかなと思う。かわいいに自覚的な犬は昔も今もずっとずっとかわいい。

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