犬よ
実家の柴犬は節分の生まれなので豆をポリポリやる人間たちを尻目に、ひとり犬用ケーキの一番美味い上の部分だけ食う。豆は消化に良くないらしくつまみ食いをしては腹を下すので、うちに犬が来てから三角錐の個包装大豆を撒いている。回収が楽。
うちにやってきたのは春分の日と記憶しているのだけれど、母いわくそれは私の覚え違いらしい。小さい頃からずっと犬が飼いたいとお願いしていた。臆病で泣き虫な弟が小学生になって、近所のとてもとても穏やかなレトリバーに尻尾を振ってもらいながらその頭を恐る恐る撫でることができるようになって、ようやくうちに犬が来た。高速道路に乗ってブリーダーさんのところへ迎えに行った。暴れ毛玉な子犬時代。カリカリを食べないから色んな試供品をもらってきては手を変え品を変え、本当は躾として良くはないのだが食べないから餌を出しっぱなしにしていた。夜中お腹が空いたら起き出して食べている形跡があったのでいいのやら悪いのやら。避妊手術後やや内弁慶気味になったがどこに出しても恥ずかしくないくらいには柴犬らしい柴犬。偏屈で頑固で拒否柴の姿を毎日ご近所さんに披露しては笑われていた。散歩が嫌いで早々に用を足したらさあノルマは終わりました、帰ろう帰ろうと踵を返すのを引っ張って連れ出しているタイプの拒否柴である。お前の散歩なんだってば。
犬を飼ってから理解したのだけれど、動物って本当に意思があるし、何なら顔にもろに出るからずっと一緒に過ごしていると何を考えているかちょっとわかる。うわ…みたいな白けた目でよく人間を見てくる。万年思春期の娘のようなリアクション。そしてフンッッと鼻を鳴らして、あるいは深くため息をついて文句を言ってくる。最近など散歩後に足を拭かれてクゥーン‼と鳴いてひどいことされてるんです‼と訴える。今までもされてきたでしょうに。何もしてませーん(してないことはない)と答えながら肉球を拭き、どこぞでつけてきたひっつきむしを取る。柴犬のゴワゴワした毛にも頑強にくっついているから大変なのに、草むらが好きで嬉々として突入していくのだ。
老いて16歳になった。去年脳梗塞をやって投薬治療を受け、シリンジでチュール状の栄養食を歯の隙間から注入したりした結果、やや偏位はあるものの麻痺も残らず小康状態まで回復した。何ならもりもり餌を食べ、2時間も母を引っ張って外を歩いた。おばあわん、齢16にして散歩の楽しさに目覚める。若い頃のような散歩でなく同じ場所をぐるぐる巡回する、人間からすると退屈なパトロールを楽しそうにしていた。私は実家を出たので時たま帰ると1分にも満たない歓迎を少し受け、犬と一緒に昼寝をする。冷めやすい柴犬ゆえ子犬の頃から歓迎と一瞬で飽きた時の温度差がすごいのでこれは別に良い。私の布団のど真ん中で「人間邪魔だな」と鼻を鳴らされ文句を言われるのも昔から。朝起きれば私が帰ってきたことを忘れているらしくまた一瞬の歓迎を受ける。
老いて目が見えなくなった。机の脚にぶつかるからスポンジが設置されていた。耳が遠くなり気配がわからないらしく触られるとひどく驚いて文句を言う。鼻は昔から多分犬界の中では悪い方だったからちょっとよくわからないけれど。犬を取り巻く世界は今どれだけ遠くぼやけているか。ぐるぐる回ってまっすぐ歩けなくなったとカートに乗ってお花見をしている写真が送られてきた。眩しそうな犬。カートの犬。その顔を見て思った。こういうおばあちゃん人間にもいる。母はちょっと写真が下手で、犬がうろちょろするのもあって大体ピンボケか残像の犬の写真になるのだけれど、カートの犬は大人しく春の日差しに眩しそうに、桜と実家近くの公園の看板と一緒に映っていた。ああ、ピンボケもぶれてもいないけれど母の写真。
おかしくて笑けて切なくて、職場でちょっと泣いた。コロナ対策で昼休憩を1人ずつ部屋を分けているから良かった。
犬よ、赤茶の柴犬らしい柴犬よ。ボケて私のことは多分忘れてしまったね。目も耳も利かずよくわからないでしょう。尻尾を巻いておく力が衰えてたらりと下がり、まあ元々そんなに尻尾振るの上手でなくてお尻ごと振っていたけれど、とんと最近はそれもないね。私や母や弟やこちらも老いた祖父母を置いていつかいなくなるのだね。動物病院の豪快な先生いわくそれはまだらしいけれど、至って健康な人間の私よりはうんと早く。私は近しいひとを亡くした経験がないというのに、このままだとお前がいちばんになるのかもしれないのだね。犬よ、犬よ。美味いもん食ってしこたまお昼寝して好きな日向ぼっことかお外眺めるのとかして好きなように暮らしてくれ。あと水を飲んでくれ。小さい頃から水飲まない犬だった、尿路結石だの脳梗塞だの本当に本当に人間もそうだが、犬よ猫よすべての小さき生き物よ、面倒がらず嫌いだろうと水を飲め。犬よ、うちのかわいいおばあちゃん犬よ。もうちょっとうちでぬくぬくふくふく暮らしておくれ。