IMJものがたり1 人脈は10年後に活きてくる
世の中、自粛モードで、いろんなアポイントがキャンセルになり、思いがけず時間ができたので、こんな時こそ日頃できなかったことをやっておこうと思う。
IMJの社長に就任したのが21年前、退任したのも11年前になるので、その記憶がまだあるうちに、その時考えていたことをまとめておこうと思う。
元メンバーにとっては懐かしい思い出話、現役組には社史の一コマ、ベンチャー企業家にとっては少しは経営のヒントになることがあるかもしれない。
IMJにジョインする最初のきっかけは、ITコンソーシアムを構想していたスパイラルスター・グループの人事をしていた磯部さん。磯部さんとは、私がリクルートのキャンパスマガジンの編集長をしていた時に時々情報交換する間柄だった。当時私は26歳〜27歳。
その10年後、彼から突然電話がかかってきて、「樫野さんに会わせたい人がいる」ということで紹介されたのが、当時のIMJ社長・藤本さん。私が37歳の時だ。そこで藤本さんに口説かれて、社長としてヘッドハンティングされ、IMJに転職することになる。
なぜ、磯部さんは10年のブランクがありながら、私を誘ったのか?
彼が言うには「樫野さんが紹介してくれたリクルートの後輩とよく遊んでいたので、会ってはいなかったですが、樫野さんのことはよく聞いていたんですよ。だから何か良いチャンスができたら、一緒に仕事をしたいと思っていたんです」
つまり、私の後輩が彼との縁を繋いでいてくれたのだ。
これは、ある先輩に教えてもらった「人脈メンテナンス」が功を奏した。良い人脈は自分ひとりで囲い込まずに、どんどん自分が好きな人に紹介する。紹介した人同士が自分抜きでも友達になれば、紹介した本人がご無沙汰しても、その友達を介していつでも繋がることができる。迂回路ができることによって、大切な人脈を全部自分一人で維持管理せずに済むから、どれだけ人脈が拡がってもいい。この迂回路がクモの巣状になるのが強固な人的ネットワークなんだよと。
その教えを実践していたことが、37歳の私に経営者という大きなチャンスをもたらしてくれた。それが全ての始まりだった。#IMJ