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思考の「粒度」の低さ。

今日は、自分の思考の「粒度」が低さに対して反省しております。

自分の中で「思考」するとは、

物事を「体系」立てて考え、なおかつ「反省的」に物事をとらえることだと僕は思っています。

そして、思考の粒度が低いときというのは、体系立てて考えていたとしても、「反省的」に物事が考えられなくなったときだと思うのです。

そして、その思考の粒度が低くなった時のパターンとして「極論」を言ってしまう時が良くあてはまるケースだと思っている。

そして、思考の粒度が低くなる時、その思考はとてもエゴイスティック利己的なものになるなと感じたのです。
 たとえば、「~すべきだ=must」や、「~しろ=命令形」のような言葉を出したときは、大体において思考の粒度は下がっていると思います。そこにおいては、往々にして他者にたいする観察が欠如していますし、配慮というものは無くなってしまっているとおもうのです。

そしてこれらの、命令形やmustのような言葉を出しているときは大体において極論に至っているように思えるのです。

だから、mustや命令形ではなく、「なになにだと思う=think~」という表現にすべきだなと。だって、thinkって「思考する」という意味の英語であるので。

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資本主義の奴隷
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