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この世を旅する者であれ 『霊訓 最終回(※長文注意)』


第十章 この世を旅する者であれ

 『何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。』

 これはキリストとの約束です。私たちは自分の成長を第一に考えなければいけません。そうすれば、生きていくのに必要なものは必ず与えられるのです。
 恐怖を手放して神にすべてを委ねることによって、私たちは本当の安心を手に入れることができます。ですが、このことを実践するのはなかなか難しいものです。『私は何のために生きているのか』の著者であるハリー・ランバート氏は言います。
 『なぜなら、私たちは自分が賢いと思ってしまうからです。神よりも、自分のほうが自分のことをわかっていると思ってしまうから、神に任せることができないのです』
 実際のところ、私たちは本当に自分のことをわかっているのでしょうか。自分がなぜこのような考え方をするのか。なぜこのようなことを言ってしまうのか。自分で自分をコントロールすることすらできないのに、どうして自分のことをわかっていると言えるのでしょうか。
 ですから、私たちには内省が必要なのです。自分のことを知るために、毎晩5分の時間を割いて自分の潜在意識を見つめるのです。
 自分を知りコントロールするために、エクササイズと内省を続けることによって、私たちは着実に前に進むことができるのです。
 内省するのは難しく、初めのうちはどうすれば良いのかわからないことが多いと思います。内省とは、言い換えると自己分析の事です。
 ですから、もしもうまくできなければ日記をつけるように、その日のことをノートに書いて見直す事から始めてみると良いでしょう。
 内省をするためには、自分をよく観察することが大切です。自分がいま何を考えているか、これが欲しいと思っているけれど本当に必要なのか。欲しがっているのは誰なのかをよく見極めて、だんだん自分とエゴイズムの区別をつけられるようになると、内省もやりやすくなります。
 そうです、エゴイズムはあなたではないのです。エゴイズムはあなたの声を使って、あなたのふりをして欲望を満たそうとします。私たちはエゴイズムに騙されないように気をつけなければいけません。それは時には天使の仮面をつけて現れます。人を癒したい、という一見美しく見える願望の裏にエゴイズムが隠れていたりするのです。
 内省やエクササイズを続けていると、透視能力や透聴能力などのサイキック能力や、ヒーリング能力が発現してくることがあります。これは人間が本来持っている自然な能力で、誰もが訓練すれば発揮できるものです。
 ですが、意識状態が未発達のままでこれらの能力が出てくることは危険なことです。私たちはエゴイズムを少なくして、これらの能力を正しく使わなければいけません。
 人は他人と違う能力を持つと、自分が偉くなったように錯覚するものです。周囲もそれだけで感心してくれるので、余計に道を誤りやすくなります。ですから、神聖な能力を与えられたものは気をつけなければいけません。その能力は他人のために使用するため、与えられたものだからです。
 特にヒーリングは聖霊が働いて癒しが起きますので、ヒーラーが癒しているわけではないのです。それを利用してお金を取ったりすると、これは神の栄光を横領するという、とんでもない罪を犯すことになります。永遠の人生のなかで地上にいる間のほんのわずかな期間の欲望を満たすために、そのような事をするのは愚かな事だと思うのですが、いかがでしょうか。
 ヒーラーになりたいという願望を持つ人は多くいます。人の役にたちたいという真摯な気持ちはいつか必ず報われるでしょう。ですが、聖霊の力が働く通路となる手段は無数にあることを忘れてはいけません。
 例えば、悲しみにうちひしがれている人の傍にいて、慰めてあげることがそうです。重荷を背負っている人の荷物をすこしだけでも一緒にもってあげることもそうです。目に見えない力を扱うことだけがヒーリングではないのです。
 そういう意味で、私たちはこの瞬間からすでにヒーラーなのです。特別な訓練は必要ありません。必要なのは、誰かの役にたちたいという純粋な気持ちがあれば、それだけで良いのです。

『この世を旅する者であれ。この世の者となるなかれ』

『シルバーバーチの霊訓(四)』        ウィリアム・ネイラー編 近藤千雄訳   潮文社刊より引用


 私たちは何を一番大切にするべきかを決めなければいけません。そうしなければ、物事の優先順位が決められないからです。空に北極星があるように、物事の中心を決めなければあやふやなままで人生を送ることになってしまいます。
 そのために、何のために生きているのかを真剣に考えなければいけないのです。
 自分とは何か、どういう存在なのかを知らなければ、どのように生きれば良いのか分かるはずがありません。
 私たちは霊です。肉体を持った霊だから、いつかはこの肉体を捨てて霊の世界へ行かなければいけません。物質の世界は一時的な仮住まいだということを理解できないと、間違った価値観のままで生きることになります。目に見えるものが何より大切だと勘違いしてしまえば、いずれこの世を去るときに自分が求めてきたものの儚さを思い知らされることになってしまいます。
 物質的な宝は盗まれることもありますし、いつかは失われてしまいます。ですが、私たちが得た知識と個性は消えることなく次の世界に持ち越されて行きます。知識は財産だと言いますが、まさにその通りです。
 心の中にあなたの北極星を見つけるのです。これだけは絶対に間違いがないというものを、たったひとつ見つけることができれば、それを足掛かりとして進むべき道筋を見つけることができます。
 そうしてひとつずつ確かなものを見つけることができれば、小さな苗木が根を張るように、いずれは嵐が吹いても耐えられる大木へと成長していきます。
 考え抜かれた言葉に力があるように、確信を積み重ねた信仰は何者にも揺るがされることはありません。そのようにして得られた深い理解は、あなたの精神に健全さと安心をもたらしてくれます。
 悟りとは、これらの小さな理解が積み重なって、自分の内側から思い出すものです。私たちは本当はすべてを知っているのです。そのようにして得た理解は、ただの知識とは違って生きている力があります。そのような理解があれば、生きていくことが随分と楽になるはずです。私たちはそのように理解しています。



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