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【ゆっくり学ぶシルバーバーチの霊訓】15

こんばんは。

シルバーバーチの霊訓をお読みになった方も、そうでない方も、どうぞご参加ください。生きる目的と人生に起こる様々な出来事の意味を知って、あなたがより幸福に生きられる事を目的とします。

テキストは必要ありません。
シルバーバーチの霊訓から、少しずつ引用させて頂いて皆で一緒に考えていきたいと言うのが、本文の趣旨です。

それでは始めましょう。

悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつものです。悲しみはそれが魂の琴線に触れた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。

魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。

もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。

 繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟る準備の出来た時に初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいくら援助の手を差しのべても、それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。霊的知識を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。

魂の進化の程度が決するのです。肉体に包まれているあなた方人間が物質的見地から宇宙を眺め、日常の出来ごとを物的モノサシで測り、考え、評価するのは無理もないことですが、それは長い物語の中のほんの些細なエピソート(小話)にすぎません。   

 魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。

あなた方にはまだまだ発揮されていない力──それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。

苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。ほかにもあると言う人がもしいるとしても、私は知りません。

シルバーバーチの霊訓(一)潮文社刊
アン・ドゥーリー編
近藤千雄訳

真理を受け取る事のできる人は幸いです。ようやく暗黒の地上界から向上するための端緒を掴んだと言う事だからです。

真理を理解するためには、それだけの条件が整わなければいけません。試みに、誰彼構わず真理を説いてみればよく分かります。言葉は届かないし、入って行かない。どれだけ証拠を揃えて丁寧に説明したところで相手は理解できません。こればかりは神が定められた事なので、どれだけ努力したところで伝わらないものは伝わらないのです。

『選ばれたもの』などと言うつもりはありません。それは間違いです。誰もがいつかは必ず真理に目覚めます。植物の種を植えて、芽が出て、花が開くのと同じ事です。

真理を学ぶ段階まで来ると、霊界からのサポートが得られるようになって来ます。理解が深まれば深まるほど、自分の周囲に加護が現れてくる事を実感し始めます。

しかし、気をつけなければならないのが、知識には責任が伴うということです。生半可な知識を得て、自分が深く悟ったつもりになっていると、とんでもない間違いをしでかしている事に気がつかない事があります。

自分の信じていることは本当に正しいのか、常に理性を使って判断しなければいけません。そのために、どんな時でも自分自身を深く観察し、内省を怠らないようにしましょう。

よくあることですが、立派な看板に騙されてはいけません。これは信じている人数の問題ではありません。盲人を導く盲人にならないように、あなたの心がどう言っているのか。その声をよく聞いて下さい。

今日はここまでとします。

どうか理性の光が私たちの行く道を照らして下さいますように。

Capella✝️


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