バレエ感想「ジゼル」ウクライナ国立バレエ団(菅井円加 / アレクサンドル・トルーシュ 2025/01/05)
長年生きてきた中で様々なバレエを見てきたので断言しますが、おそらく菅井円加さんとアレクサンドル・トルーシュが主演したこの日のウクライナ国立バレエ団「ジゼル」を超える舞台はあと数年は見れないだろうと思います。それくらい迫力に満ち、ダンサー達の底力に感涙した素晴らしい内容でした。
この感想を忘れないうちに記したいのですが、ウクライナバージョンのジゼルはかなり改変された箇所があるため、この記事には必然とネタバレを含みます。未見の方は気をつけて読んで頂くようお願いいたします!
(表紙写真:https://www.instagram.com/kaze__foto/)
ウクライナ国立バレエ団版「ジゼル」の特徴(※ネタバレ注意)
【注意!!!!!】
この欄はめちゃくちゃネタバレを含みますので、未見の方は気をつけてください!
今回発売されたプログラムには舞踊評論家の桜井多佳子さんによる、ウクライナ国立バレエ団芸術監督の寺田宜弘さんへのインタビューがあるのですが、私はこれを読んで開演前から涙していました😭
ウクライナ国立バレエ団のジゼルは大幅なストーリー改変がされており、1番大きな部分はアルブレヒトは死んであの世でジゼルとの愛を成就するという点です。
いわゆる白鳥の湖におけるハッピーエンド的なラブロマンス要素を強めたのかなと思っていましたが、インタビューを読むとそんな楽観的な理由での変更ではなく、この結末は戦争中だからこそのアイデアだそうです。
「今のウクライナには最後の別れができなかった人、最愛の人を失った人が大勢います。命がなくなっても愛が一つになると言う結末は、今のウクライナ人が強く求めていることです。」と寺田監督が語るように、今のウクライナ人達の思いを反映した作品と知り、観劇前から重みが増した気がしました。
そしてウクライナ国立バレエ団「ジゼル」、は現在のウクライナ情勢や戦争が多発している現代世界を思うと涙無しでは見れない舞台でした。
善人なのに多数のウィリに追い立てられて殺されてしまうヒラリオンは、罪も無いのに戦火に巻き込まれて、生きるために必死にもがくも無惨に殺されてしまう一般市民とリンクするようでした。
以前ドキュメンタリーでウクライナ国立バレエ団のスハルコフの招集令状が映し出されましたが、ウクライナのダンサーの中にはポチョムキンのように兵役に行く人、シャポヴァルのように戦死してしまった人もいます。どんな困難でも懸命に生き抜こうともがくダンサー達の強さと、芸術への愛と誇りを感じて心から感動しました。
キスの意味(※ネタバレ注意)
キスシーンのあるバレエは多いですが、「ジゼル」でキスシーンって珍しいと思います。
このバージョンの「ジゼル」を見ていてずっと気になったのが、1幕でやたらアルブレヒトがジゼルにキスをしようとする点です。なんつー生々しい欲望まみれのアルブレヒトだと驚きましたが、1幕では何度キスしようとしてもウブなジゼルは恥ずかしがってキスさせてくれません。
しかし2幕の最後にあの世で2人は再会し、やっとキスをして幕が閉じます。この世で愛を成就できなくても、あの世で結ばれると言うことを2幕でキスすることによって表現していて印象的でした。1幕でどれらけアルブレヒトがキスを迫っても2人はキスしませんでしたが、最後の最後にキスをするという構成はとても面白かったです。
アレクサンドル・トルーシュのアルブレヒトについて
今回の舞台で驚いたのがアレクサンドル・トルーシュの実力の高さで、技術面も演技面もどちらもアルブレヒトという役を解釈して踊りこなしており、こんなに素晴らしいダンサーだったのかと再確認しました。
トルーシュのアルブレヒトはハッキリ言ってチャラ男だなんて言葉では言い表しきれないほど軽薄で、ただウブな女の子と遊びたいだけの女好きのクズのようでした(めちゃくちゃ褒めてます!)。もうここまでゲスい嫌われ役に徹してくれたら批判を通り越して潔いです😂
1幕のトルーシュの演技でチャラそうと感じた理由は沢山ありますが、とにかくジゼルにキスしようと迫りまくるのです。あまりにも手慣れ過ぎていて、見ている方は「そんな男に騙されちゃダメ!」と危険信号が出るほど。ちなみに私はあーいう手が早いチャラ男は大嫌いです😂
他にも投げキッスもいちいち客席にも分かる大きな音を立ててしていたり、どこにいてもジゼルを目で追うなど、獲物の女の子を絶対に逃さない男の執念深さを感じました。
こんな言い方をしたら怒られるかもしれませんが、現代のヨーロッパでは大して格好良く無くスペックが低い白人に対しても、相手が白人というだけで目の色を変えて恋に落ちて大変な目に遭う日本女性は多いです。菅井さんの全く恋愛慣れしてなさそうなウブで無垢な演技も相まって現代社会の縮図を見ているようで非常にリアルに感じました。
とは言えトルーシュの凄さは演技面だけでなく、踊りの面でも素晴らしかったです。技術的な面についてはトルーシュは完璧だと思います。彼の素晴らしさは私の言語力では言い表しきれないのですが、まず印象的だったのが動きの上品さ。役作りとしてはただの女好きの軽薄男でしたが、バレエ自体はとても美しく踊りの品が良いのです。下心丸出しの軽薄な演技をしつつ、優雅なポールドブラや丁寧なステップで上品さを出し、貴族という彼の出自をそれとなく感じさせる様子には畏れ入りました。
トルーシュのポールドブラは美しく品がよくて、まるで彼の指先の軌道が全て見えるようでした。最近東京バレエ団ソリストの平木菜子さんの踊りが大好きなのですが、トルーシュのポールドブラを見て彼女の流れるようなポールドブラを思い出しました。実は平木さんもハンブルクバレエ学校、ハンブルクバレエ団出身で、ハンブルクの教育は凄いなと…!
踊りによってアルブレヒトの貴族の出自、ジゼルのお墓を見つけた時の喜び、ウィリに追い立てられて舞台中を使って逃げ惑い心臓がどんどん早く動いて死に追い立てられる様子など、アルブレヒトの感情や内面の焦りを表現していたトルーシュの姿は見事でした。特に2幕のラストでミルタに許しを乞いながらも受け入れられず、どんどん命をすりへらして行く様子は圧巻でした。正月早々素晴らしいこんな素晴らしい舞台が見れたことに感謝です。
菅井円加さんのジゼルについて
この日の公演は元々キエフバレエ学校で学んだアリーナ・コジョカルが主演予定でした。映像化されたロイヤル・バレエ団時代のコジョカルのジゼルはとても美しく、どうしても見たくてチケットを購入しましたが、残念ながら怪我により降板。
代役は日本で随一の人気を誇るハンブルクバレエ団プリンシパル菅井円加さんが務めることになりました。
菅井円加さんのジゼルって正直彼女のイメージと逆なのでどんな舞台になるのか気になっていましたが、菅井円加さんは、アレクサンドル・トルーシュとは別の意味で凄かったです。
1幕では全く男に耐性が無さそうな無垢で頭がお花畑の少女を演じ(褒めてます!)、2幕ではウィリ達にひれ伏しながらも愛する人を救おうとする様子を演じました。
彼女の演技は若干少女漫画ぽい気もしましたが、手慣れ過ぎていて女の子に手を出す気満々のトルーシュと、夢のような時間か喜びながらもどこか信じきれていない警戒心強めの純情乙女という感じで対比が面白かったです。
1幕でも2幕でも抜群の技術力は健在でSNSで非常に盛り上がった通り、ヴァリエーションでは最初ポワントに立ってアラベスクをしたらパンシェは床に降りて行うのが普通ですが、ポワントのまま後ろに足を高く上げるという大技を披露。しかもさり気なく!ちなみにこれは山岸涼子さんの漫画で主人公が披露した大技らしく、かなり話題になっていました。漫画を知らない私は素直に感動!1ミリのブレもなく、ただ歩くかのようにさりげない大技を見せていて凄かったです。
2回目はパンシェの際にプリエに降りていましたが、これももちろんバランスが取れないから降りたのでは無く、柔らかい着地でとても美しかったです。
ウクライナのジゼルは結末だけで無くストーリー上かなり改変がされていて、ウェディングの幸せなカップルがブーケトスをしてジゼルがキャッチします。アルブレヒトとの結婚を夢見る彼女は本当に嬉しそうで、その後の結末を知っている私たちは彼女がこのあとどんな不幸な目に遭うか想像して涙を禁じ得ませんでした。
バチルドのスカートの綺麗な生地を思わず触ってしまった後は必死に謝りつつも、興味がある様子を隠せず、ネックレスをもらったら驚きながら喜びみんなに見せる様子はジゼルが村人達から非常に愛されていたことを感じさせます。
菅井さんの演技面は非常に興味深く、何より面白い解釈だったのは狂乱の場でアルブレヒトが何度もジゼルの元に駆け寄りますが、気が狂ってしまったジゼルに彼の姿はもう見えず、腕を取ろうとしても空想上のアルブレヒトと手を組んでいます。最後までアルブレヒトとは目を合わせず全く見えないのですが、死ぬ直前に目の前にいる自分を裏切ったアルブレヒトに気がつき、夢うつつなまどろんだ表情からハッと真顔になります。そしてアルブレヒトの腕に抱かれることなく、そのまま死んでしまいます。ジゼルの2幕では、精霊であるジゼルはアルブレヒトには見えない設定のはずなので、それと対比しているようでとても興味深かったです。
余談ですがこのシーンは狂乱の場を示すために髪の毛を振りほどくダンサーが多いのですが、菅井さんはそのままでした。私は初めて見たガリーナ・メゼンツェワのジゼルが髪の毛を振り解かないものであり、かつこの髪の毛ほどきはジゼルのお母さん役の人が駆け寄るふりをしてピンを外すのですが、近くで見ると毎回仕掛けが見えて興醒めするのでこれは大賛成!
2幕も圧巻で、スローな動きが多い2幕はバランスを崩したりキープしきれずに動きが途切れてしまうダンサーも多いですが、彼女は抜群の技術力でコントロールし宙に浮いている様子を表す連続ジャンプのシーンでは体感の強さを発揮して本当に浮いているみたいで驚きました。ウィリの女王ミルタに平伏すシーンも頭を床につけて許しを乞う様子が美しかったです。
ウクライナ国立バレエ団のダンサーたちについて
ウィリは通常2幕に出てきますが、このバージョンでは1幕の回想シーンでミルタが出てきます。1幕でジゼルの母が「未婚で死ぬとウィリになるよ」と通常はマイムで表現しますが、ここではスモークと共に実際のミルタがジゼルにだけ見える存在として出てきます。
マルタはプリンシパルのアナスタシア・シェフチェンコ(Anastasiia Shevchenko)が演じたのですが、私は彼女のことは戦争前のキエフバレエ時代から見ていますが、ウクライナ随一の実力者だと思っており、彼女の力強い踊りを久々に見れて嬉しかったです。
ヒラリオンのクツーゾフ(Volodimir Kutuzov)は技術で見せるというよりも存在感で魅せるタイプ。ですがジゼルに対して粗暴な様子は一切見せず、むしろアルブレヒトの正体を知って「関わっても幸せになれない人だ」と不幸になる前に早く教えてあげているように見えました。
この公演には日本出身で数年前までウクライナで踊っていた岩崎安里さんもウィリ役でご出演。↑上の写真の左から3人目が岩崎さんです。先日NHKニュースにも出演されていたのでご存じの方も多いかと思います。
他にもペザントを踊ったダニール・パスチュークも金髪碧眼に長身という人気の出そうな見た目で、踊りはまだまだ頼りない部分もありつつも今後人気が出そうなダンサーだなと思いました。
ウクライナ国立バレエ団は戦争前のキエフバレエ団時代からずっと見てきましたが、以前よりバレエ団のレベルもかなり上がってきており、ダンサー達が戦争中の困難な中でも努力を続けていることが舞台を見てよく伝わってきました。
ウクライナ国立歌劇場管弦楽団について(Ukraine National Opera Orchestra)
ウクライナ国立歌劇場の主席指揮者ミコラ・ジャジューラ率いるウクライナ国立歌劇場管弦楽団の演奏はとても良かったです!柔らかくて美しい、夢のような音色でした。
個人的にはハープのNatalia Okumuraさんの演奏がとても綺麗だと思いました。休憩中もずっと練習されていて、聴き入ってしまいました。
気になったこと
ウクライナ国立バレエ団ジゼルは素晴らしかったのすが、気になったことも2点。
①衣装の丈が短すぎること
1幕の衣装の丈は以前写真を見てずっと感じていたけど、やっぱり短い!
ジゼルって1幕は全員膝下10センチくらいの長いスカートを履くけど、今日のものは全員膝丈で人によっては膝上になっていた。あまりジゼルでは見ない丈だった。ただし菅井さんは自前の衣装なので通常の村娘の衣装の長さだった。
なんで他の人がこんなに短いのか気になった。斬新なデザインならいいのですが。
②2幕の菅井円加さんの顔が白塗りすぎてびっくり!
2幕のジゼルの顔が真っ白で歌舞伎みたいでビックリした。なんでこんなに顔を白くするのかと思ったけど、よく見たら他の人も顔がめっちゃ白い。ただし他の人は特に浮いていないので多分白人用のメイク用品で化粧した上に、白人に合う色合いのライティングをそのまま使ったんだろうなと思った。だから顔は他の白人と同じトーンに見えるけど、ファンデを塗った顔と塗ってない腕などとあまりに色が違う。
白人はあの色合いのライトでまとまって見えるんだろうけど、アジア人の肌色だと結構浮いて見えた。2幕の暗い感じの照明の元だとめっちゃ顔だけ白くて驚いた。 ただアジア人として言わせてもらうけど、菅井さんは肌が白い方で普通に並んでて浮くような方ではない。おそらく照明の色合いによって微妙な肌の色の違いが強調されてしまったのだと思う。
おそらくウクライナ国立バレエ団ってアジア人の客演は無いだろうし、メイクもライティングも全てが白人仕様なんだろうな。しょうがないのは分かってるけど、照明の色合いを工夫すれば彼女のボディだけ浮くことはなかったのではと思う。踊りが素晴らしかったから最終的に何も気にならなくなったけど!
なぜこんな話をしたかというと私の叔母がコスメマニアで、よく「この色は白人向け」とか「この口紅はアジア人の肌によく合う色」とかまぁ細かい人で。合う色ってあるんですよね。 今回の舞台はおそらく化粧や照明が全て白人仕様で、照明の当たり方で肌の色合いの見え方がここまで変わるんだと驚いた。