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多様性と価値観と意見は別に考えるとスッキリする

「多様性」について語られているときに、いつもモヤモヤすることが多くて、それがなんだか言語化出来ていたかったのですが、今朝このツイートを見て、スッキリしました。

そうか、「多様性」はあるものなのに、それが個人個人の「価値観」や「意見」とごっちゃになっているから、モヤモヤしていたのか、、と。

◼️多様性とは
多様性とは、辞書でいうと「いろいろな種類や傾向のものがあること、変化に富むこと」です。私の中の感覚もこれに近くて、「多様性」はただそこにあるもので、いいものでも悪いものでもないと思います。

◼️ここに個人の価値観が加わる
で、この話をするときに、殆どの場合、個人の意見や価値観が加わってきます。例えば
・挨拶にハグをする
文化を例にとります。

まず、多様性でいうと、
・そういう文化もある(そうでない文化もある)
以上 なのですが、ここに個人の意見や価値観が加わってくると、ちょっと違う様子になってきます。
・私は人と触れ合ったほうが安心するし、ステキな文化だと思うから是非したい
・知らない人に触れられるのは気持ち悪い、私には受け入れられない。ハグ文化なんておかしい

◼️個人の価値観は多様性の一部で、否定されるべきものではない
「私は人と触れ合った方が安心する」
「知らない人に触れられるのは気持ち悪い」
この部分は、個人の性質や価値観です。たまに違和感を感じるのが、後者のような意見が、あたかも多様性を受け入れていないかのように語られることです。多様性とは、すべてを受け入れたり賛同することではありません。自分の価値観と異なるものを「合うな」「合わないな」と考えること自体は何も問題がないし、その価値観自体は尊重されるべきものと考えます。

◼️自分がそうだから、そうするべき、となると話は別
で、ここで問題になってくるのが、「だからハグする文化なんておかしい」の部分です。「自分が嫌だから、その文化自体がおかしい」というのは、「自分の価値観以外のものは否定する」というニュアンスが含まれてきます。「ハグはいいものだからみんなするべき!」も実はこれと同じカテゴリです。賛同したり認めることと、強要することは違います。

◼️で、私はどうしたいかというと
この構造を踏まえた上で、私は
・多様性
・個人の価値観
両方を大事にしたいなと思います。ハグの例でいうならば、ハグという文化はただそこにあるもので文化として尊重する、そして、個人が「したい」「嫌だ」と思う気持ちも、尊重する。一方で、
・自分がそうだから相手にも強要する
には、疑問を投げかけていきたい。(もちろん、話をしながら)

私は最近自然が好きなのですが、それは多分、「そこにあって共存している」という状態がとても美しくてたのしいと感じるからだと思います。
違う木や草、土、虫、、
色んなものが混じり合って、否定し合うことなく「そこにある」状態はすごく素敵だ。
それと同じくらい、人間の考え方や文化や価値観の違いも、また楽しくて美しいものだと私は思うのです。

たくさんの考え方があるので一筋縄とはいかないのですが、その一筋縄ではないところを楽しみながら、素敵な世界になる一助になれたらな、と改めて思います。




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