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わくわくキャッチャーの感度が振り切ってる模様です

必要に迫られてフランス語を勉強しています。

これがもう、わくわくしちゃってヤバイのです。

ただひたすら、覚えたての単語を並べての会話をしているだけだというのに、地に足がついていない感覚を覚えるほどなのです。

しかも、覚えたてのフランス語で会話のキャッチボールができちゃった日には、もう天にも登る勢いでわくわくなのです。

英語を覚えたてのときも、こんなだったのかしら?

ときどき「わくわくする感覚がわからない」というかたの話を聞くのですが、私のわくわくキャッチャーは、感度が良すぎてキャッチが上手。

もっと、もっとと、わがままに欲するのですよね。

「キャッチするんで〜!もっと、わくわくしていいよ〜!」と、いわれてるような感覚とでもいいましょうか。

わくわくキャッチャーにキャッチされたわくわくが、私の肥やしになるとでもいいましょうか。

書いてて笑えますが、そんな感じなのです。


でね、これこそが大切なのだと思うのですよ。

「がんばらなければいけない」といった類の試練を乗り越える系ではないこと。

これこそが大切なのだと思いますよ。

自分にとって「なに」が「それ」なのか?を知ることで、人生が何倍にも膨らみますよね。

「なに」が「それ」なのかを知っている人は人生相当得しているはず。

私の場合「語学」が「それ」。



私は長く、というか若いころから外国が好きでした。

というか、知らないことを知る行為が、たまらなく好きなのです。

けどね、学生のころは英語は2。

当時の名言がありましてね、それがこちらなのですが...

「私は日本から一歩も出ないから、英語なんて勉強する必要がない。日本に来る外国人が日本語を話せばいいでしょ。」

どうだ〜!といわんばかりの顔で、この台詞を放ったはずです。

自分の顔の確認まではしませんでしたけどね、してやったりとでもいいたそうな顔だったはずです。


学校を卒業してから、好きになったのですよね、英語(語学)を学ぶこと。

当時五歳の娘を連れて、語学留学にも行きましたし。

とにかく、英語(語学)を学ぶことを苦と感じることはありませんでした。

学生のころの、あの名言はどこへやらです。

英語を学ぶと、英語圏以外の方がたとも繋がれます。(私の場合は、こちらが多い)

「知らない」を「知る」ことが
できるのです。

これが楽しいのです。

「言語を学ぶ」=「知らないことを知る」

こんなイメージ。


必要に迫られて勉強しているフランス語が楽しくてたまりません。

もう最高!

わくわくキャッチャー感度は本日も良好なり。

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