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しきから聞いた話 106 似顔絵

「似顔絵」

 数年前、町へ出てきたときにあれこれと世話を焼いた男が、しばらく山へ帰ると挨拶に来た。

 もともと小柄で痩せた男だったが、なんだかひと回りしぼんで見える。心につかえがあるのなら、話してここに置いて帰れと言うと、ちらちらと上目遣いでこちらを見てから、少し涙ぐんで話し始めた。

「人のためになると思って覚えたことだし、お商売になるように色々とお世話下さって、本当に嬉しかったのですけれど」

 男は、似顔絵を描いて、日銭を稼いで暮らしていた。

「生きた人の顔を描かされて、ひとを殺めてしまうところでした」

 男の似顔絵は特殊なもので、亡くなった人の名前と生まれ年、そしてその人の思い出話を聞くと、面影がありありと浮かぶのだという。それを紙に写して渡してやると、数日中に依頼主のもとへ亡き人が訪れる。

「前は、たいてい夢の中でした。でも最近、人によっては、黄昏時に本当に来てくれたって。お礼に来て教えてくれたりして、それは嬉しかったけれど、二度はできないのが申し訳なくて」

 同じ人を二度は描けない。どんなに描こうとしても、面影が見えてこない。だから、これは唯一度だけのことですよ、と、請け負う前に念を押す。

「でも、あの女の人、考えてみれば最初からヘンだったのです。一度だけって言ったら、なんだかヘンに笑って、一度で十分だから、早く描いてって」

 思い出話もおかしかった。だいたいの人は、亡くなった人の容姿は、特徴を話す。面長で、とか、目がぱっちりとして、とか。そして思い出話も、その人となりの良いところ、楽しかった思い出などを話すものだ。ところがその女は

「鼻筋が通って、目が涼し気で、そしてその顔が自分を見るときの表情が、格別に美しい、特別なのだ、って。あの人はこんなことを言ってくれた、こんなものを買ってくれた、私だけが特別だった、なんて、そんな自慢ばかりでした」

 それでも、面影は浮かんだ。似顔絵を描けた。だから、まさかその人が、生きているのだとは思いもしなかった。

 そこまで話して男は、うっと口元をおさえてうつむいた。
 その瞬間、男が感じているものが、こちらにも伝わってきた。
 それは

「そうです、テレビとか、新聞とかにも出たでしょう」

 不倫相手だった女の異常な行動に恐怖を感じ、その人は家族と共に引越し、女との関わりを一切、断った。はずだった。
 しかし。

「会わせてしまったのは私です。私の似顔絵で、繋がってしまった。男の人は会うつもりはなかった。でも、女の人は探し回って、見つけてしまった。私の絵のせいです」

 報道で見聞きした覚えがある。
 拒絶され、逆上した女が、持ち歩いていた包丁で、その人に切りつけた。物音に驚いて出てきた妻をも、刺した。

「死ななくてよかった、本当に、助かってよかった。でも、たいへんな傷だったそうです」

 男は震えながら涙を流した。そして何度も、

「私のせいです。私が絵を描かなければ」

 と言った。

 しばらくの間、言いたいように喋らせ、泣きたいように泣かせた。
 そして、落ち着いたと見えたところで、こう伝えた。

 おまえのせいではないよ。
 おまえの絵はただ、亡き人と想う人との縁を、つかのま繋ぐだけなのだ。それを悪いように使う者がいたとしても、おまえに何のとがもあろうはずがない。
 考えてもごらん、何でおまえにその絵が描けたのだろう。
 その女にとって本当は、もうその人は亡くなったのと同じだったのだよ。もう、生きる者としての縁は切れていたのだよ。それなのに、すがった女がいけなかったのだ。すがるのみならず、罪を犯した。それは決して、おまえのせいではないよ。

 男は、こくりこくりと小さくうなずいた。

「そうですね、そう言っていただけると、なんだか少し、気持ちが楽になります。でも」

 やはりしばらく、山へ帰ると言った。そして

「お礼が何もできなくて、申し訳ありません。あの、せめてこれ、私の筆なのですが、よかったら」

 美しい、金色の毛の、小筆を差し出した。

 なるほど、おまえの筆だね、と言うと、男は照れたように小さく笑った。

 帰ってゆく背中を見送りながら、しばらくしたらまた、来るかもしれないな、と思った。

 ひとが好きで好きで、憧れてあこがれて、山から下りてきた貂(テン)なのだから。 


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