しきから聞いた話 131 笑う獅子
「笑う獅子」
霜柱を踏みながら朝の散歩に出たところ、林の手前の広場に、人が集まり賑わっていた。
広場の奥に倉庫があり、そちらで何かしているようだ。たしか、あの倉庫は地域の自治会のいくつかが、共同で使っているものだ。和やかな賑わいに見受けられるし、何だろうと思いつつ近付いていくと、見知った顔がこちらに気付き、ぺこりと頭を下げる。こちらも返すと、にこにこしながら歩み寄ってきた。
「おはようございます」
4、5年前に、この近所に所帯を持った青年だ。
新年早々に何の集まりかと尋ねると、こちらへどうぞと身振りをしながら教えてくれた
「ご存知なかったですか。昨年の秋、保存会を立ち上げたんですよ。2回くらいは何人かで集まれたんですけど、今日ようやく、全員で」
倉庫の中をのぞくと、白布をかけた八足台の上に、大きな獅子頭が置かれていた。
台の近くには、近所の長老格の年寄りが三人いて、周りの若者達にあれこれと指示を出している。どうやら集まったばかりで、まず掃除から始めようという所らしかった。
青年の後ろについて中へ入ると、顔見知りの年寄りが手を上げ、相好をくずし、張りのある大きな声をかけてきた。
「やあ、来てくれたかぁ」
確かにこちらを見ている。しかし、何のことか。
「ようやく全員が集まったよ。いま掃除をするから、そしたら、いいかな」
何のことか。ここに呼ばれた覚えはない。
ここで調子を合わせてしまうと、たいへんなことになりそうなので、御機嫌に水を差すのは申し訳ないが、ここには散歩の途中で行き合っただけだと言うと
「なんだ、そうかそうか。いや、てっきり誰かが気を回して、呼んでくれたんだと思ったよ。そうか、そうか」
しきりに、ほぼ禿げ上がった頭をなで回し、照れたように首を振り、そうしながら、パイプ椅子を出してきて、座れと言った。
「なんだ、連絡が行ったんじゃないのか。でもさ、どう、忙しいの。ちょっとさ、どうかな」
何を言いたいかの見当はついたが、まずは話を聞くことにした。
それによると。
八足台の上の獅子頭は、50年ほど前、この倉庫を共同利用している7つの自治会が、浄財を募って新調したもので、10年くらい前までは、旧正月に合わせて家々を巡っていた。しかし、舞い手がいなくなり、いつかしら途絶えてしまったのだという。
しかし、ここ数年で新たに移住してくる若者や、都市から戻って所帯を持つ者などが増えてきて、地域の文化、祭などを見直そうという動きが出てきた。
「それで昨年の秋、地域文化保存会を立ち上げて、まず、獅子舞を復活させようってことになったんです」
青年が横に立っていた。
「今日は、獅子頭を使っての、練習初日です」
「縁起のもんだから、お祀りして、拝んでもらえたらいいだろ、なあ」
年寄りが、にこにこと笑う。
何やら偶然にしては出来過ぎだ。
横目でちらりと獅子頭を見ると、獅子の目がぎょろりとこちらを向いた。
「言祝げ、寿げ」
かたかた、かちかち、と歯を噛み鳴らす。
「たんと礼はする。言祝げ」
いいよ、とうなずくと、獅子はぱかりと口を開け、弥栄、吉祥、と目出度い笑顔になった。