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しきから聞いた話 113 屋根の上にて

「屋根の上にて」

 厳しい残暑が、まだしばらくは続くと思っていたら、突然のように、ずいぶんと大きな台風がやって来た。

 知人がいる西の方には上陸して、強い風での被害が出たらしい。翌日、どうにも気になって連絡してみると、知人はなにやら妙な調子で、こんなことを言った。

「あぁ、連絡くれはるいうことは、そうなんやね。いや、家は何もないと思う。あ、どうやろ、ちょことは壊れたかしらんけど、そないたいそうなことない。そやなくて 」

 夢見に不思議があって、知人は、その意味を考えあぐねていたところだという。どうも家族の身にもかかわることのようで、もし、こちらの方へ来るついでがあったら、寄ってくれないかと頼まれた。

 ついでは、有るような、無いような。
 ただ、なぜか気にかかる。
 ついでのときに済ませようと思っていた、別の小さなことをいくつか片付けようと決めて、知人を訪ねることにした。

「台風は、風がようさん吹いて、もの飛んで。せやけどうちは大丈夫やった。瓦が二枚ほど飛んだくらいか、なぁ」
「うん。だからかえってあの夢が、ねぇ」

 来訪を喜んでくれた知人は、横に座った夫人と目を合わせ、何度かうなずいた。

 台風の上陸は、夕刻だった。
 雨風がおさまったのは日没後だったので、片付けは明日にしようということになった。
 知人が住む町屋は、間口が狭く、通り沿いに小さな布小物の店を構え、奥が住居になっている。似たつくりの家が数軒並んでいて、日暮れて片付けを始めようという者はいない。それでは明日、隣近所に声をかけて、と、ほっとして夜を迎え、夢を見た。

 しかも、夫婦がそろって、同じ夢だったのだという。

「身体の大きな、昔のお侍みたいなんが」
「ううん、日本のお侍じゃなくて、中国の人だと思うわ」
「そやな、そうかしれん、なにしろ、おっきくて。刀、持ってはったやろか」
「持ってたわよ。それ振り回して、守ってくれてたんじゃない」
「そや、でもな、それよりわし、あのものすごいヒゲが、忘られんわ」

ふたりの話をまとめると、こういうことらしい。

 夢の中、小学生の息子と三人で、台風の雨風の中にいた。夫人が息子を抱きしめてしゃがみ、そのふたりをさらに、知人が両腕で包むようにして、三人は身を寄せ合っていた。
 その雨風の中に、たくさんの剣呑なものが紛れ込んでいると、ふたりは感じていた。
 鬼のようなものか。いや、そういった形として見えるものではなく、刃物や矢が飛んでくるような危機感、恐怖感。ただ怖い、怖い、と感じ、身を縮めていた。

 ふと気がつくと、大きな身体に黒々としたヒゲが胸にまでかかった、中国の武人を思わせる人が、三人を守るように立っていた。そして、手にした刀を振り回し、雨風と、恐ろしいものを薙ぎ払ってくれていた。

「でも、その人の顔、覚えてないの」
「見えんかったような気、するなあ」

 ふたりの話のなかばでもう、その中国の武人らしきものが誰なのか、何なのか、わかってしまった。
 話している途中から、かたかた、かたかたと、しきりに訴えかけてきていた。
 こちらを見に来い、という想いが伝わってくる。

 家を出て、通りから店の上の屋根を見る。
 彼は、仁王立ちで、そこに居た。

「あ、そうか、そうや」
「鍾馗さんっ」

 ふたりは顔を見合わせ、そして破顔した。

「守ってくれはったんやなぁ」
「ねえ、何か、お顔に貼り付いているみたいよ」

 風で飛んできたのだろう、布か紙のようなものが、鍾馗の顔にまとわりついていた。顔が見えなかったのは、このせいかもしれない。
 しかし、鍾馗がふたりをここまで呼んだのは、何も自分の活躍を知らしめて、褒めよ崇めよと要求するためではなかった。
 おそらく、台風で屋根のあちこちが傷み、補修の要があるのだろう。そういったことは、いかに鍾馗といえども役に立てない。ひとが、自分達でやるべきことだ。

「やぁ、有難いなぁ、さっそく見てもらうわ」
「その前に、あのお顔の、取ってあげなきゃ」

 知人が、心底の面持ちで胸の前に手を合わせ、鍾馗を見上げていると、近所の顔馴染みらしい、六十過ぎくらいの女が、通りすがりにこう言った。

「おたくの鍾馗はん、ようお働きやねぇ。うちとこのは、さっぱりやわ」

 両手には、何かの残骸やら木片やらを抱えている。

 そちらさんの鍾馗も、出来るだけのことはやったと思うよ、と言いたかったが、やはり、やめておいた。

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