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オーストラリア開拓の話

オーストラリアを開拓してもう20年近くになる。

最初に草刈り機のビジネスをスタートしたのがブリスベンだった。
キャニコムは草刈り機のイメージが強いが、当時は500kg〜1トンまでのダンプキャリア(運搬車)は無双状態時期があった。欧州ではもちろん、オーストラリアでは墓石を運搬する機械としてすでにビジネスをスタートさせていた。
当時のキャニコムは今よりも凄まじくネーミング、ブランド、方針にこだわり過ぎて新規顧客をかなり失っていた時期でもあった。工場、設備投資が老朽化し始めていた時期なので生産が厳しかったという話もありましたが。

2001年にアメリカでCanycom Sales North America(現Canycom USA)をワシントン州で設立したが、2004年に一度頓挫しかけた。理由は同じだ。
社運をかけた「草刈機まさお」を業界初の4輪駆動を発表し、今までの海外の売れ筋だった、包丸(カネマル)捨て、世界で一番遅いダンプトラックシリーズのシャチ(現プンダ)も主力として位置付けなかった。
これは本音をいうとエンジン業界の再編と法規制の変化に対応ができなかったという理由だ。我々の突然死はエンジンが無くなるということだ。
包丸はエンジンを失い、シャチは法規制に翻弄されキャニコムは輝きを失った。

その中での4輪駆動の「草刈機まさお」の開発、発表だった。

国内では金額が高すぎるという問題がありながらも、ネーミングと業界初、グッドデザイン賞に選出されるなど当時の話題をさらっていった。4輪駆動の草刈り機は登坂能力で存分に発揮し、刈刃カバーにはスウェーデン鋼を使用し、軽さが売りの軽微な草刈機から堅牢な草刈り機として変貌したのだ。

この草刈り機に目をつけたのが、当時のオーストラリアのブリスベンにあった販売店であった。
オーストラリアはバーガーキングでさえ名称を変える国だった。
オーストラリアでは毎年度山火事と水害が交互にある。山火事後には雑草が猛烈に生えてくる。そして復旧、復興を遅らせていくのだ。なのでキャニコムの4輪駆動の草刈機まさおを必要としたのだ。
その中で当然「草刈機まさお」の名称変更依頼が来た。2007年辺りからスタートしたオーストラリアの草刈りビジネスは順調とは行かなかった。
お相撲さんのように草を寄り切る様に見えるので、「SUMO」にしようかというアイデアなど、オーストラリアにローカライズしたネーミングブランドに変えたら一気に売れると言われ続けた。

しかし本社側からは必ずネーミングを使用すること。
絶対に「草刈機まさお」で販売することが義務付けられていた。そのため評価はされているが、全く売れなかった。価格も勿論高いが、それ以上にこのネーミングを受け入れてくれることができなかった。

海外の売上はずっと低空飛行で伸びる年もあれば、そうでもない年もあった。
硬直して主張は平行線だった。ダラダラとオーストラリアビジネスは鳴かず飛ばずが続いた。
ある日その代理店がもう我慢できないからこれを作ったと連絡が来た。

Razorback、オーストラリアの草刈機まさお

これで売らせてもらえなければ辞めると連絡。
僕はその代理店の社長と副社長、スタッフと仲が良かった。
また新規を探すほど時間がなかったのもある。売上実績を作ればいいのでは?という邪な気持ちが強かった。プライドよりも売上が欲しかった。
お客様が勝手に変更した風に見せかければいいはずだということ。これをこっそり認めたのは2012年。そうだ製造の段階で「まさお」のステッカーも外しちゃえという形にした。うちは元々経営者は工場に来ないと踏んでいたのもある。どうやって品質保証にお願いするのか?そもそも製品ではなくステッカーというのもあるのでお客様には迷惑をお掛けしてないのだ。

2013年にまたブリスベンに向かう。
クレームトラブルが起きる。山火事関連で、まさおが原因で起こした現象を検証するためだ。それと同時にシドニー経由でウォガウォガに飛ぶことになる。販売店が権利を譲渡したいという話だった。

条件は「草刈機まさお」ではなく、「Razorback」としての販売だ。

この頃は海外ビジネスでアメリカ、インドネシア、マレーシアなどを開けてきた実績もあったのでやれる自信があった。
もちろん問題ないね。ノンステッカーでやりますよ。うちからRazorbackは貼らないのが条件だ。
後はキャニコムの草刈り機が突然死しないための方法を巡らせなければならなかった。それはまたエンジン問題となる。
当時300万台以上生産していた汎用エンジンメーカーが製造中止を決めたからだ。

これがオーストラリアのお客様との絆が強くなるとは当時は思っていませんでした。
エンジンが製造中止になると産業として大きな痛手となる。しかし抗えない現実。それを対応するのに1年以上も調整が必要となる。その対応をした話を中心に次に記せればと思います。その動きのおかげで1泊でもいいから渡濠する羽目になるのです。

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