ヒヤワリ (冷日葵 デンキギク科 英:Fan ) 夏季7〜9月に日本全国の広い地域に渡って民家や家電量販店、ホームセンターといった商業施設に咲く。 花びらにはほどよい清涼効果がある一方で強い幻覚作用を持っており、人々に自分は宇宙人であるという錯覚に陥らせてしまう。 花言葉は 「振り向いてほしい」。
毎年大晦日には東京ゲートブリッジという橋を渡りに行く。 その年で聴いた曲のうち特に気に入った5〜7曲(下記noteのように記憶焼き付け済みの曲)をプレイリストにまとめて、橋の上で聴くのだ。 橋という意味ありげな舞台で、曲をもって一年の総括をするのが楽しい。 時系列順に流して、思い出せる限りの記憶を辿りながら聴く。 ロケーションは申し分なく、東京のビル群や千葉のベイエリアが一望できる好立地だ。 また、海上88mとだけあり強風が常に吹き荒れており、それもなんだかムードを掻き
グリーンダカラというスポーツドリンクをご存知だろうか。 スーパーやコンビニに立ち寄ると、ポカリやアクエリと言った定番のスポーツドリンクに比べ手に取る人が多く、どうやら人気の商品であるらしい。 そこでわたしも気になり飲んでみたのだが、これがとにかく不味い。 昔神戸のサウナスパで初めて飲んだOS-1(本当のピンチの時にしか飲まないゲロマズドリンク)とそっくりな味なのだ。 ではなぜ他のスポーツドリンクに比べ売れているのか。 それはわたしのようなスポーツドリンクを一気飲みして
以前に書いた"自販機の神様代行バイト"の後にやっていたバイトをまた一つ紹介しようと思う。 その名も駐輪場の神様代行バイトである。 名前の通り、前回のバイトと基本的な理念は変わっていないし、やることもほぼ同じだ。 業務内容は駐輪ラック777番の支払いを肩代わりすること。 おそらく、777番に止めた人は今日のその一日に、何かラッキーな出来事が起きないか密かに期待している。 何ともささやかで可愛らしい願いだと思いませんか。 その願いに応えるべく、我々はラッキーを一つだけ提供
お台場にある廃橋・青海橋。 "地図から消された橋"と言う事でGoogleマップにも表示されていないが、ちょうど下の画像で引いた赤線の場所に位置している。 東京テレポート駅から徒歩1分ほど。 周りにはフジテレビ本社ビル、有明テニスの森公園、東京ビッグサイト、武蔵野大学などが立ち並ぶ都会だ。 都会のど真ん中にそんな廃橋なるものが、果たして本当に存在するのか確かめに行くことにした。 早速、長年放置されて錆びついたラバーポールが飛び込んでくる。 そして溢れるディストピア。 隙
一月の川 一月の谷の中 この俳句は飯田龍太という近代の俳人によるもので 一月の川が一月の谷の中の中を流れているという景色は当たり前ではあるが 川や谷やその他の自然全てのものが「一月」には「一月」のものとして、そこに存在するということは実に美しく神々しい。 という事を言っているそうだ。 お〜いお茶のラベルで見るくらいしか俳句を知らないわたしでもピンとくる素晴らしい俳句だと思う。 たとえば利用されなくなった廃橋、デパートの廃屋上などにも今日のこの木曜日は来ているという事
出典: ①デヴィッドボウイとバルトーク ②坂本龍一とチワワ ③細野晴臣と樹木希林 ④山崎努とワーグナー 外国のヤンキーとシューベルト
高輪ゲートウェイと言えば、その ゲートウェイ という横文字を含めた今風なネーミングだ。 批判があまりに殺到し一時期は改名を求める署名活動もあった。 たしかに、山手線全29駅の名前はどれもシンプルな漢字の駅名であるのに、そこへ統一感のない高輪ゲートウェイが来れば浮いてしまう。 新入り(といっても1971年)の西日暮里も配慮して日暮里に西を付けただけに留めたそうだ。 この高輪ゲートウェイの1駅を改名しろという風潮であるが、 逆にそれ以外の29駅の名前全てを高輪ゲートウェイ風に
部屋の前にこの二重になった電線があるんですけど 飛行機が来た時、視界を上手く調整しながら2本の間に入れ続けるってゲームにハマってます。
止まった時計でも1日に1度だけ正確な時刻を指し示す、という名言を聞いたことがあるでしょうか。 中学生くらいの頃に感動し以来ずっと覚えていて、今では腕時計も、この後に書く壁時計も止めたままにしています。 冒頭の画像は普段私がつけている腕時計で、約3年間9時44分57秒で止まり続けています。 いつも会話がすぐ途切れてしまうので話題要員としても便利です。 この止まった時刻の瞬間だけは、地球で一番正確な原子時計よりも正確な時刻を示しています。 止まっている限り、交わる一瞬ではぴっ
ある能力に長けた人が、そうでない人と全く同じ人の形をしてるのは不思議だなと思う。 たとえば、音楽に物凄く長けた人の耳が大きく尖っていなかったり、話術に物凄く長けた人の口が頬骨まで裂けていなかったり、 数学や物理に物凄く長けた人の後頭部がぬらりひょんのように膨らんでいなかったりということだ。 冒頭写真の彼は並外れた音楽の能力を持っているが、わたしたち一般人と同じ耳の形、大きさをしていた。 人間ほど個体差の激しい生き物が、みな揃って同じ形をしているという状況はどうも奇妙じゃ
雑居ビルはなかなか味わいのある場所だと思う。 レトロな文字で綴られた看板と狭く薄暗い入口、やたらと急勾配の階段、いつ止まってもおかしくない年季の入ったエレベーター、埃と下水が混ざったような古くさい匂い、そして屋上だ。 以前通っていた学習塾が入居している雑居ビルへ久しぶりに行ったので、その様子を少しnoteに書いておこうと思う。 屋上へ入って、さらに奥の柵を乗り越えると寝転がれるスペースがある。 背が低く、周りの建物からよく見えるような屋上でも、不思議とそこだけが切り取
以前、近所に新しく出来た歩道橋の小さな開通式に参加しました。 テープカットではなく、置かれていたコーンが開通と共に横へどかされるだけのプチイベントでしたが印象に残っています。 早い時間から並んだ甲斐もあり(私のほかはお爺さん一人しか並んでなかったけど)、一番初めに私が歩道橋を登ったのですが その最初の一段目を登り始める瞬間が不思議でした。 これから何度も何度もこの階段を登ったり降りたり踏みしめる大勢の人の中で、 紛れもない最初の一段を踏んだ人間が私…という事実は面白いと思
セミの声を聞かない日がない夏真っ盛りであるが、一番最初に鳴き始めたセミはどこに居たんだろうとよく考える。 神の視点を持てたとして、日本全土できっちり隈なく数えてみれば、一番最初に鳴いたミンミンゼミも居たはずであるし、 数え続けていれば、当然最後に鳴いたミンミンゼミも現れる。 同じように雨をとって考えてみても、最初の一滴目と最後の一滴目が確実に存在するはずだ。 存在することは間違いない事実であるが、これがなかなか現実的に思えなくて面白い。
曲を聴いて昔の記憶を思い出す、ということは誰しも覚えがあると思います。 匂いを嗅ぐことでも同じ経験をしたことがありますよね。 前者は後者に比べ、繰り返し再現することができ、その度自由に思い返せるというのがいいなと思います。 そこで私は忘れたくない景色や気持ち、いわば情景を前に曲を選んで聴き、それらを焼き付けるという事をよくしています。 以前、思い入れのあるデパートの閉店が決まってしまった時は、デパート内部やその周辺地を分割し、場所毎に曲を割り振り、全て焼き付けてやろうと躍