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差し伸べられた手
高校1年生、人生を左右する大きな決断を迫られている。
私は今、留学するか否かを物凄く迷っている。それはもう死ぬほど迷っている。
父親が私に留学を勧めてきて、半ば強引に私を留学プランに応募させた。結果イタリア留学に合格。当初は私もなんとなく乗り気だったが、冷静に学校の先生や両親と話した結果、本当に私は留学すべきなのか分からなくなってしまった。
私は引っ込み思案で人とのコミュニケーションも上手ではないので、海外留学を機にそんな自分と向き合い成長したいという気持ちはもちろん十分にある。留学をさせて貰えるなんて普通では体験できないことだし、留学でしか経験できない沢山の経験もあると思う。
ただ、留学するとなると同じ学年の仲間たちと一緒に高校最後の文化祭に出られなくなってしまい、加えて大学受験の勉強もほとんど出来なくなる。
行きたい大学も将来やりたい職業も無い私がこのまま大学受験なんてするべきでは無いのは分かっているけど、留学したところでそれが見つかるとも限らないし、人生に1度しかない高校最後の文化祭に出られないくらいならそんなの見つからなくたっていいのかもしれない。人生において何が大事で何が大事じゃないとか、もうなんにもわからない。
私の父は、私を留学させたいと思ってる。父自身は留学して人生が変わったから私にもそれを経験して欲しい、と訴えているけれど、手放しに「自分が上手くいったから君も上手くいくよ」というのは少し無責任だ。それで私がもし留学に失敗しても後悔するのは私だし、どれだけ父に責任を押し付けようがこれは父ではなく私の人生だ。だからここからの決断は、父に言われたからとか先生に言われたからじゃなくて、私が決めなくてはいけない。
じゃあ私の人生にはなんの意味があるんだろう?
私をここまで産み育ててきてくれた両親の期待に沿うことには少なからず意味はあると思う。でもだからといってそれらを全て蹴り飛ばした人生にだって絶対に意味はある。人生の意味なんてはじめから無くて、あとから誰かが振り返って「これはこうだね」って理由付けしてるだけなのかもしれない。
なにを選んでも選ばなくても私の人生は続くし、その先にそれぞれ全て違う未来が待ってる。留学した先の未来は留学してみないとわからないし、留学しなかった未来は留学したら見られない。どっちの未来が良いとか悪いとかじゃなくて、そういうもの。
今の私に重要なのは、どっちが後悔しない決断かどうかを選ぶことじゃなくて、どっちを選んだとしても後悔しないようにしっかり自分と向き合って考え抜くことなんだと思う。絶対に後悔しない決断なんて無いし、逆に絶対に後悔する決断なんてのもないから。
マツコ・デラックスの言葉で
「人生の変わり目って手を差し伸べる人がいるんだな、っていうのはすごく感じてる。いろいろ迷ってわからなくなってる人も、差し伸べられた手に気づくくらいには世の中と向き合う気持ちを忘れないでほしい。絶対に光ってる手があるのよ。それを掴む勇気を常に持っていてほしい。そうなると、ホントに人生が変わる。何があるかわからない」
というのがある。星野源との対談の時にマツコが言った言葉で、当時なんとなくテレビで見ていたけれど、妙にずっと心のどこかで引っかかっていた。
もしかしたら、
もしかしたら、私にとっての“差し伸べられた手”は、留学のことかも。
この留学の機会が私にとっての差し伸べられた手だとしたら、逃したくない。大義名分に生きるようなタイプでは無いからこそ、こういう些細な胸のざわめきを大切に、生きていきたい。
何も考えずにひたすら思ったことを書き連ねたので、文が散乱しまくってる・・・。荒削りな日記っぽくて楽しい。つまり、私、結局のところ留学したいのかもしれない。留学が私にとっての差し伸べられた手だということに賭けてみるのも悪くないね。