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後悔するという選択
私がこの留学で1番仲良くなったのは、タイ人の男の子。彼も私と同じ、イタリアへの留学生で、私にとってはとっても大切な友達。
日本ではどうしても男女だと純粋な友達関係を築き辛かったから、こんなにもサッパリ付き合える男友達が出来たのはめちゃくちゃ嬉しい。
私たちは週に1度くらい2人で何をする訳でもなく2時間くらいジェラートを食べながらお話してる。
そんな彼が、「イタリアに留学したことを後悔している」と言っていた。
私はこういうときに、私が彼の後悔を振り払ってあげよう とかそういうことを思える人間ではなかった。ただ「ああ、そうか」と受け止めて、受け流す人間だった。良くも悪くも、他人は他人、他人の人生は他人のもの という意識が私の根底にはある、んだと思う。
そして何より、私は私たち留学生としての苦労を、彼の苦労を知っている。だって私だって同じ経験をしているから。なので「後悔しているなんて言わないでよ」なんて無責任なことは言えない。
彼は別に慰めて欲しくて言ったわけでも、私の意見が欲しくて言ったわけでもなく、ただ本心を吐露しただけだったように思える。
私はなんと答えればいいのか分からなかった。
(こういう時に相手に対してベストな回答をしたいと思ってしまうのがそもそも相手の心を読むことを前提とした日本文化で育ってきた故の思考なことは、めちゃくちゃ実感してる。他の国の人達、マジで思ったことを口に出すだけみたいなコミュニケーションが軸な気がする。)
私はイタリアに来たことを後悔しているかと聞かれたら、100パー後悔していない。
感情に白黒ハッキリつけるというのは無理な話で、じゃあなぜ私が100後悔していないと言い切るかというと、私は「後悔していない」を自ら選択したから。この後悔していない というのは感情ではなく意思なのだ。
気持ちのモヤモヤはもちろんあるけれど、 私は後悔していないんだ というスタンプを上から押してしまったような感覚。感情はコントロールすることは出来ないしだからこそ大切なものなんだけれど、意思は自分で選択することができるように思う。
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私は今から自分の行動を後悔することも、しないことも選択出来て、私はしない方を選択したというだけの話。
重要な決断をする時は、死ぬほど悩むようにしている。留学をするかしないか、もかなり考えた。そして決断をする上で重要なのは、どちらを選ぶかよりもそれを選ぶときにちゃんと悩んだかだと思う。
某兵長の言うように、どちらを選ぼうと結果は誰にも分からないのだから、後悔しない方を自分で選ぶしかない。選んだ選択を後悔しない覚悟で。