児童養護施設の子どもたちは不幸なのか
児童養護施設の子どもたちは不幸なのか
施設で長く働いていると、子どもたちがいろんな気持ちを話してくれることがあります。
「こんなところ来たくて来たわけじゃない。」
「家族と離れて暮らす気持ちわかるのかよ。」
そんな言葉を聞いたのは、1度や2度ではありません。
子どもたちが抱えている保護者からの愛情不足を補うには、施設職員という赤の他人でやれることに、やはり限界はあります。
業務量の多さ、向き合わなければならない子どもたちの人数など考えてみても、個別の時間はなかなか取れないのが多くの児童養護施設の現状だと思います。
そんな中、私は普段から子どもたちに、「あなたは不運だとは思うけど、不幸だとは思わない。」と話すようにしています。
その理由を、今からお伝えしたいと思います。
施設の子どもたちが受ける経済的な支援
児童養護施設に入所している子どもたちは、国や自治体から支給される措置費と呼ばれる運営費を施設が管理することで生活しています。
措置費の説明は多くを省きますが、衣食住で困ることはほぼないと言っても過言ではありません。
好きな服を購入することも、お小遣いを貯めてゲームを買うことも出来ます。
旅行も、一般家庭では年に1度も行かないという家庭もあるでしょうが、児童養護施設は、必ず年間行事が存在し、子どもたちは季節に沿った体験を積むことができます。
夏はキャンプ、冬はスキー行事が恒例の施設は、たくさんあります。
クリスマス会も、盛大にやる施設がほとんどでしょう。
食事も、栄養士が献立を考えたメニューを、専属の調理士が提供します。
はっきり言って、「生活」という側面を考えたら、一般家庭よりよほど手厚いと思います。少なくとも、私の子どもたちよりは遥かに充実している思います。
また、最近では大学進学も容易になっています。
私は私立大学に通いましたが、年間120万円の学費を4年間親に出してもらいました。
今の児童養護施設の子どもたちは、学生支援機構から給付型の奨学金がもらえます。自宅(施設)から通学の場合は、月約5万円が支給されます。貸与ではなく支給です。
また、大学によっては減免申請という制度があり、学費の自己負担分が半額になります。
私の親が支払っていた学費の約半分が60万円ですが、月5万円の学生支援機構からの給付金があると仮定すると、大学の学費を実質0円で賄うことも可能です。
また、社会的養護自立支援事業という制度を使うと、最大で22歳まで、施設の敷地内で家賃を支払わずに生活することも出来ます。
こうした制度が整ってきている中、児童養護施設で暮らしていることはマイナス要因だけではないのです。
それでも不運だと言わざるを得ない子どもたちの現状
前述したように、私は児童養護施設で生活する子どもたちが不幸だとは全く思っていません。
しかし、やはり不運であったとは思ってしまうのです。
一般家庭の子どもたちは、十分に監護能力の備わった保護者と生活しています。
暴力を振るわず、精神的も経済的にも、子どもたちを支えます。
一方、児童養護施設に入所する子どもたちの家庭は、不適切な養育環境だと判断されて入所します。
不適切とは、経済面ではありません。その多くが、虐待という権利侵害が原因になっています。
本来であれば自分を愛し、支え、監護する立場の保護者から、虐待を受けてしまう子どもたち。
私はこの事実そのものが、子どもたちの背負う十字架になってしまっていると感じます。
多くの親と接してきてわかることですが、虐待をしてしまう親も、子どもを愛しているという点では多くの一般家庭と同じです。まったく愛情を感じない親権者もいましたが、稀です。多くの親権者は、子どもたちを自分たちが育てられていないことを悔い、悲しみ、嘆き、怒り、憤っています。
しかし、それでも虐待を受けた子どもたちの心の傷は、親権者の苦しみの比ではないでしょう。
学校に行けば一般家庭の子どもたちがいます。テレビをつけたら、サザエさんやちびまる子ちゃんなど、一般家庭の様子が映し出されます。そのほとんどに共感できず、理解できず、自分の境遇を思い知るのです。
小学生のうちはまだ、なんとなくの理解で済みます。子どもたちも柔軟性があるので、適応が早い場合もあるでしょう。
中学生以上になると、施設で暮らしていることを友人に打ち明けない子どもが増えます。
「なんて説明していいのかわからない。」「恥ずかしいから言いたくない。」
理由は様々ですが、自分の生活を隠して過ごす子どもたちはいます。
そういう境遇は、私は不運だと思っています。本来であれば、一般家庭で、保護者の愛情に触れ、仲睦まじく生活したかったはずです。もちろん虐待など受けずに。
それが難しいので、近い環境で補うために、児童養護施設があるのです。
私たちが社会の中で出来る事
こういう話になると、「施設がなかったから虐待を受け続けるんだから、施設に入れて良かったじゃないか。」という人がいるかもしれませんが、その認識は間違っています。
そもそもすべての子どもたちが、虐待を受けてはいけないのです。虐待を受けた時点で、それはあってはならないことなのです。
そして、虐待の原因は、虐待を直接行う保護者がすべてではないのです。
新型コロナウイルスなどの社会不安、子の発達障害、地域からの孤立、保護者の人間関係の希薄さなど、多くの要因があるのです。
もちろん、同じ環境でも虐待をする保護者としない保護者がいます。最終的にはやはり自分がなんとかしないといけないと思う人は少なからずいるでしょう。
しかし、同じ練習をしていてもレギュラーで活躍できる選手と万年玉拾いの選手がいるように、人の能力には差があるのです。
できない人を責めても仕方ありません。私たちひとりひとりが形成する社会が、児童虐待を引き起こしていると認識しなければいけません。そうしないと、結局個人の責任となり、虐待が減ることはないのです。
私たちは、ひとりひとりが虐待に影響を与えています。そして、ひとりひとりが虐待を防ぐことも出来るのです。
公共交通機関で泣いている子を見た時に、舌打ちしてはいけません。優しく声をかけるのは難しいと思いますので、せめて笑顔を返してあげましょう。
子育てしている母親を責めたり蔑んだりしてはいけません。社会の担い手を育ててくれています。私たちは感謝をしなければいけません。
業績悪化で会社が傾くのは、社員のせいではありません。会社の経営スタイルが時代のニーズに合っていないのです。社員を怒るのは止めましょう。
子どもがマナーの悪い行いをしていたら、親に注意するのではなく、子どもを叱ってあげましょう。あなたの良心で、子どもしつけに協力してあげてください。
そうして多くの人たちが子育てに感謝し、敬意を払い、協力することが出来れば、おのずと虐待は減少していくはずです。
虐待を止めるのは、私たちです。
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