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「目に見えない」つらさ


▼前々回の記事で自分の体調不良の経緯について書きました。



前回も少し触れたのですが、今回は自分自身が困っていることについて言語化してみようと思います。


私の病状について初めて知る方もいらっしゃると思うので、主な症状をもう一度書きたいと思います。

2022年夏、高熱が3日続いた後、一ヶ月程微熱が続き、太ももから足の指先まで痺れや強い倦怠感、温度感覚がなくなる、風や水に触れると痛いと感じる、脚の様々な場所で数十秒ごとに様々な種類の痛みが移動する、脚が硬直して曲げられなくなる、歩行困難等の症状があります。

血液の中にガラスの破片が通っているかのような痛みや、太い千枚通しで刺されているかのような痛み、剣山の上を歩いているかのような痛み・・・痛みの種類を言葉で伝えるのはとても難しいのですが、様々な種類の痛みがその日や時間によって違う形で襲ってきます。

基本的に症状がない日はないのですが、これらの症状が強く出る場合と軽い場合があります。
症状が強い時は上記の症状がほぼ同時に出て歩行困難になりますが、軽い時は「何かちょっと痛いかな?」と感じるレベルで我慢することもでき、日常生活も無理をしなければ問題なく送れます。


さて、ここからは自分自身が困っていることについて書いてみたいと思います。


治療方法がわからない

※病気の原因と病名はここでは非公表とさせていただきます。

初期の症状(太ももから足の指先まで痺れる)が発症してからすぐに病院に受診に行ったのですが、一軒目の病院からは発熱後の新型コロナウイルスの検査でも陰性なので「とりあえず様子を見てください」と言われ、コロナ禍ということもあってか?これ以上診察できないと言われました。

体調不良の中、まずは診察してくれる病院探しから始まりました。
病院のホームページと睨めっこし、この症状で受け入れてくれる病院があるか電話をしました。たまたま一番初めにかけた総合病院の神経内科で受け入れてくださるとのことでしたが、完全予約制なので「診察できないと言われた病院で紹介状をもらってきてください」とのことで、一軒目の病院へ行き事情を説明して無事に紹介状を書いてもらいました。

初期の症状が出てから、ここまで来るのにおよそ一ヶ月が経過しています。
仕事をしながらの通院と病院探しは本当に大変でした。


待ちに待った総合病院受診の日。
診察をした後、血液検査7本!とMRIを飛び入りで入れてもらいました。
検査が終わってしばらくしてから診察室に再び呼ばれたのですが、医師から言われた言葉は「特に異常はないですね。」でした。

脊椎で炎症が起こってるとまずいとのことですが、脊椎もとても綺麗で異常がないとのこと。血液検査も異常なし。「これからMRIの全身を隅から隅までよく見てみますけど……」と、その日は痛み止めの薬をもらって終了でした。


症状は改善するどころか日々悪化し、この時は両足に鉛がついているようで一歩前に踏み出すのもやっとこで、酷い日は歩行困難になり自宅では壁伝の生活になることもありました。

前回の受診から3週間経ち、血液検査の結果も全て出揃ってMRIも全身見ていただいたのですが、「異常はないですね。」と医師から告げられ、内心「そんなわけないだろう・・」と思っていました。

症状の原因もわからなければ、病名もわからない。ということは治療の術もなく対処療法で痛み止めを飲むことしかできませんでした。

自分の症状は良い時は痛みを我慢しながらでも生活できるため、症状が酷い日はしっかり休養をとるように言われましたが、基本的には動ける時は動いて生活するように言われました。
(でもこれが後に大切なことだとわかるのです。)


他の人への症状の伝え方が難しい

自分の症状は外傷があるわけではないので、他の人からは全く見た目では体調不良がわかりません。
(歩行困難にでもなっていれば話は別ですが、もうその時は自宅から一歩も出られないので・・)


医師からは体調の良い日は普通の生活をするように言われていたので、仕事にも行っていました(現在は前職場)。

ですが、困ったことがありました。
特に物を運んだり、屈んだ体勢をとったりすると、特に足に負荷がかかるのか急に症状が悪化してしまうのです。

体調が悪くなると早退やお休みもいただくことになり、上司や同僚に症状を説明しました。

なかなか目に見えない症状を上手に自分が説明して他人が理解するのは難しいもの。

・「工夫しながらやればできる。皆そうやってやっている」
・「仕事ができないなら一旦辞めて休んだ方がいいよ」
・「いつまでも(病気の)の被害者面してんなよ」
・「まだ治ってなかったの?」

お仕事されている方からすれば、どれもごもっともな?意見だと思いますが、当時は病名もついておらず、医師からは動ける時は動いて仕事もしても良いとのことだったので休職というわけにもいかず、通院する為には病院代と薬代も稼がねばならず、仕事は続けたいという気持ちはあるが、どうして良いかわからずとても悩みました。
(結局前職場からは異動しました。)

病名もなく、症状も誰しもが経験したことのあるようなものではないので、今客観的に考えてみれば、他人に理解してもらおうと思っていた自分の考えが愚かでした。
(と、今はそう割り切れましたというのが正しいでしょうか・・)


自分の困り感を人に言えない

新しい職場になり、少し初期の頃からは体調も良くなり、業務の内容的にも身体の負担がだいぶ減りました。

しかし完全に体調が戻ったわけではないので、寒さや物を運ぶと脚に負荷がかかり症状が悪化するのには変わりありません。

前職場のこともあり、また何か言われてしまうのではないかと自己防衛に走り、現職場では自分の体調のことは殆ど同僚には言っていません。

月一ので通院でお休みをいただくので、管理職の方には全てお話してありますが。

お仕事をさせていただく以上、体調管理も含め、お仕事を毎日無事に終わらせることが目標です。


自分自身は症状に関して困っていることがあってもなかなか言えないのですが、もし誰かが少しでも困っていることがあれば、代わってあげられることはやったり、優しく見守って声を掛けたりする雰囲気があるといいなと思います。

自分から目に見えないことについて「困っている」と言うことは、とても勇気が必要なことです。

「困っている」ことを「困っている」と誰か一人にでも言える環境があるといいですね。


人との距離感

最近は少しずつ体調が良い日も増えてきて、少しの時間ですが一人で外出する日もあります。

車で1時間以上の移動がある時は必ず休息を入れながら、翌日は丸一日自宅で休息を入れられるようなスケジュールでの外出が今は精一杯です。


一人で外出する分には、事前に外出する予定を立てていても、体調が今日は良くないからやめにしようとできるし、外出途中で体調不良の兆候が出てきたら自宅に引き返すこともできます。


誰かと一緒に出掛けるとなると話はまた別です。

当日急に体調不良になれば、ドタキャンになり相手が嫌な思いになってしまいますし、外出中に自分が途中で帰るなんて、ただただ相手に迷惑をかけてしまいます。

歩けるけれど、相手のペースに合わせて歩いたり、人混みの中を歩いたりすることが体調的にできない日もあります。

そうしている内に、自分から人を誘うことが億劫になり、気がつけば人と疎遠になっていました。


それを理解した上で一緒に出掛けてくださる方もいて、心から感謝の気持ちでいっぱいです。


先が見えない人生

病名も治療法もわからないままおよそ10ヶ月が経過しました。
たまたま新聞で自分の症状と似たような病状の方を診察している医師が載っていて藁にもすがる思いで、その病院を診察。

なんと病名が特定でき、そのための治療を始めることができました。
それだけでもかなりの前進です。

どれ位の期間治療すれば治るか、どのような治療をすれば効果的かはわかっておらず、まだ果てしないトンネルの中を歩いている気持ちです。

(でもしっかり治療を始められただけでもかなりの前進です!)


今自分がやるべきことは体調管理をして仕事をしっかり全うすること。
そして今やりたいピアノの勉強をすること。

今の自分のキャパシティで、これを毎日こなせるだけでも「すごい!」と思って(思うようにして)います。

とりあえず自分のことに専念することが精一杯です。


周りの人達も、「焦る必要はないよ」、「時間をかけてゆっくりやればいいよ」と言ってくださる方も多いです。

その言葉は私を思って言ってくださっていることは頭ではよく理解しています。


同世代の友人が人生の岐路に立ち、仕事で活躍している姿や結婚や出産を経験をしている姿を知ったり、SNSを見れば旅行先の楽しそうな写真を見たりし、自分はなんで今何も思うようにできないのだろうと虚しく思う姿もあります。自分も人間なので。人間としては普通に湧いてくる感情なのかもしれないけれど、自分はなんてちっぽけで嫉妬深い人間なのだろうと思ってしまうのです。


客観的に見て、今の自分は長い時間をかけても治療をしっかりして体調を少しでも良い方向に持っていくことが一番大切です。

それはわかっていても、現実社会では時間は有限ですし、何だか自分だけが周りから取り残されているような気分になってしまいます。周りの人には時間が流れていて、自分の時間だけが止まっているように感じです。ああ、社会に置いてかれたと。


普段は他の人には言えないけれど、それが今の自分の本音です。


助けて欲しいわけではない

ここまで思うがままに普段は言わない本音を書いてきましたが、結局どうしたいの?と読まれている方は思われたかと思います。

結論的には自分の問題なのです。
「他人」と「自分」という視点で書いてきましたが、問題を解決したり、大きな波を乗り越えていったりすることができるのは自分自身だけなのです。


でも一つだけ他の人にお願いすることがあるのであれば、決めつけずに何か一つでも受け入れてくださることがあればいいなと思っています。

例えばこれを読んでいる方が、これ位ならできるよね?と誰かに思ったとしましょう。

でも、ここで一つ立ち止まって考えていただきたいことがあります。

そもそも“これ位”を測るものさしの基準が違うこと。できるかできないかは本人が決めること。


自分の思っている「普通」と思われている基準は、果たして相手の「普通」であるのか。

そして、「普通」とは何なのか?

私自身もそうですが自分の「普通」という概念を覆すことはとても難しいことです。


相手のことを簡単に理解することは難しいけれど、少し違う視点を持つようにするだけで少し世界が広がると思っています。


いつも他人に助けを必要としているわけではないし、自分にできることは自分でやりたいです。

でも、ほんの少しの配慮や現状を受け入れていただけることが、助けになるのです。



おわりに

自分のもやもやした思いを整理したくて書いてきました。


結局のところ変わらなければいけないのは自分自身です。

そして自分の感情との戦いだとも思います。


目に見えないことは、自分から発信しないと相手には伝わらないです。

世の中には色々な意見があることを念頭に置き、謙虚な心をいつまでも忘れずに伝えられたいいなと思います。

自分の個人の目標は、社会に寄りかかりすぎずに、自分でできることは自分でやってまずは信頼を置ける身近な人から少しずつ伝えられたられるように努力したいと思います。




今回はピアノとは関連のない投稿になってしまいましたが、最後までお読みくださりありがとうございました。

読んでくださった方や周りの方にも、「目に見えない」つらさを抱えている方もいらっしゃるかと思います。

それは病気だけには留まりません。
仕事や人間関係、育児、自分の生き方等、他人にはわからない「目に見えない」つらさを持っているかと思います。


人間一人で抱え込んでしまうと、いつかは苦しくなってしまうもの。
そんな時に少しでも自分からSOSを出せる人や環境があることが大切だと感じます。

ほんの少しでも自分が寄りかかれる場があると、また頑張れますよね。


私は現段階では今の自分の現状を全て人に伝えることが怖くてできません。

ピアノを趣味としているのですが、ピアノを弾いている時だけは集中して打ち込むことができ、不安が和らぐのです。
ピアノに自分の想いを全力でぶつけて、ピアノに受け止めてもらっています(笑)。

たくさん悩むことも多いですが、この時間だけは格別です。



「目に見えない」つらさは、一人で悩んでしまうことも多いと思うけれど、少しでも自分の気持ちが寄りかかれる場を見つけられるといいな。そんな思いです。














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