392 まちの鉄道史の生き証人が役割を終えるとき・三河知立駅
3月16日、日本の鉄道は一年に一度の大ダイヤ改正が行われます。
今回の目玉は何といっても北陸新幹線の敦賀延伸開業。ほかにも北大阪急行の箕面萱野延伸開業などがあります。
そんな中で、地味ですが古い駅が営業を終え、新たな場所で再出発する駅があります。
それが名鉄三河線の三河知立駅。大正4年に開業したこの駅は3月15日で109年続いたこの場所での営業を終え、900メートル東に場所を移して再出発することになります。わたしはこの駅がある知立市の隣の安城市出身でとても愛着がある駅でした。
このローカル感溢れる古びた屋根のあるホームはもうすぐその役割を終えます。
三河知立駅は名鉄名古屋本線の知立駅から東に700メートルほどの場所にあります。知立駅にほど近くともすれば歩けてしまうのですが、こんな近くに駅があるのは理由があり、そもそもこの三河知立駅こそがかつての知立駅(初代)だったからです。
三河知立駅の歴史は1910年、三河鉄道が碧南の大浜港から知立駅(初代)までの鉄道を敷設、開業したことに始まります。その後愛知電気鉄道がこの駅の近くに新知立駅を開業させ、1941年に名古屋鉄道が三河鉄道を合併することによって両駅は一つの知立駅(2代)となります。ただその時代も長くは続かず、建物の老朽化や運転の効率化などを目的に1959年に知立駅を今の場所に移転(3代)、それまでの知立駅は三河線部分は三河知立駅、名古屋本線部分は東知立駅と別の駅として存続させました。1968年、東知立駅は廃止されましたが三河知立駅の方は今日まで残りました。三河知立駅は知立の地に初めて鉄道が走り始めてから今日に至るまで、知立の鉄道の歴史を見つめてきた知立の鉄道史の生き証人なのです。
ホームに登ります。街の中心からわずかしか離れていないのにこの寂寥感。おつかれさま、と声をかけてあげたくなります。
三河知立駅は小さな駅で、終点知立駅まであと一駅という場所ですが列車の行き違いが頻繁に行われる運行上も大事な場所として機能してきました。
そんな駅がどうして移転するのかといえば、知立駅周辺の名古屋鉄道の線路の高架化事業が理由にあります。知立駅は名古屋本線と三河線が集まる名鉄の要衝でひっきりなしに電車がやってきます。これまで地上に列車が走っており踏切が渋滞を引き起こし、人の往来も街の南北の間で遮断されてきました。これを解決するため知立駅周辺では鉄道の高架化が進められています。
この高架化により知立駅は「知立要塞」と呼ばれる3階建ての駅に生まれ変わります。すでに名古屋本線の上り線は高架化が完了しており、三河線も工事が進められています。
三河知立駅から知立駅方向をのぞけばすぐ近くまで三河線用の高架橋が迫ってきています。実は当初は三河知立駅も高架化される計画でした。ただこれによる高額な費用負担を知立市が嫌ったことや、知立駅に近いこの駅を高架化するよりも高架の範囲外に移転させた方が利便性が高まると考えられたことから同駅を900メートル移転することにしたのです。
ということで新しい三河知立駅にも寄ってきました。ここに至る道路なども新たに工事が進み、町全体が新たな時代を迎えようとしていることが感じ取れました。
3月16日の開業に向けて工事は着々と進んでいます。この駅が地域の人たちに歓迎されて新たな需要を呼び、この地域の更なる発展に貢献してほしいと切に願います。
街の活性化、鉄道の利便性向上のために109年の歴史に幕を下ろす初代知立駅だった三河知立駅。高架化とともに線路もろとも駅は消えてしまいますが、その功績を忘れることなく新たなまちづくりによって市がさらに発展していくことを願ってやみません。
ありがとう、三河知立駅。