かのこのにっき_2015-01_04

#かのこのにっき

@15-0108

ここのところ「書く」ことへの欲求が再び湧いてきている。正月明けて「日々を書き残そう」と日記—ここでは雑記になってますが—を再開したのもそのひとつかしら。「書く」ことは、物心ついた頃から何かしらやってきていて、わたしにとって書くことは、ご飯を食べるのと同じ感覚だった。寝食忘れて書き散らかしていたこともあった。

ところが、書くどころか文字を読むこともできなくなった一時期があって。その頃は、言葉以外のものに集中していたように思う。わたしがライフワークとしても取り組んでいるアートセラピー/表現アートとの出会い。言葉で表現することがキツかったり、うまく言葉にできないとき、言葉では無い表現が大きな助けになった。

何か対象物を描くわけでは無い。その時の気分をクレヨンで、画用紙にグリグリ色や線を乗せてみる。身体を伸ばしたり縮こまらせながら動きたいように動いてみるうちに、心地よいからだの部分をキャッチできてくる。声や音を出せる場では、ただ出るままに声を出し、音を出してみたりしながら、わたしの心身が何を求めているかを探ってみたり……。

そんな風なことを続けているうちに、「肉体としての私」を越える “なにか” とつながる感覚がじわっと起きる。驚きや懐疑、あるいは悦びをかかえたまま味わううちに、思いもよらなかった「言葉」が生まれてきたりして。
アート表現の「創造性を助ける力」をまざまざと感じいる日々。それが、わたし自身を活かしていくことにも繋がり、同時に「しごと」にもなっていった。

そんなこんなで最近また言葉を行ったり来たりもできるような感じに。「時」とか「タイミング」とかいうのがあるのでしょうか。

ただ。最近、書くことが思い浮かばない〜。指が文字を連ねたくて動きたがってるのに、内容が出てくるのに時間がかかるのです。以前なら考えるより先に指が動いていたのに、この頃は、ちょっと考えながら綴っていたりする。……これってなんなのだろう?(つい追求したくなる、いつものクセw)

以前との違いで著しいのが、いちにちの中で印象に残ったことが浮かばず、書く手が止まってしまうということ。

あれれ〜? わたしって日々何かしら「出来事」が起きてたような気がするけど、今日は何もなかった〜。
あれれ〜?? コレって実は、わたしの望んでいる「平安な日々」ってやつなんでしょうか……?

その内情が少しわかった今日。どうやら、たった1、2ヶ月前まで翻弄されていた「ゴタゴタとした出来事」ではなく、内側の世界に入りいる時間・空間を持てるようになって、ある面では安心しているのではないかと。
その心持ちが、わたしの得意とする(と敢えていう)内的世界での“遊び”を加速化しちゃってる。そして、比較的穏やかでいられるという状態。

さてはて、これが今後のわたしに吉と出るか否か……。そんなことを自己探求するのも、マニアックに掘り下げ好きなわたしの楽しみのひとつ(笑)。


@15-0109

奇妙で不可解で怖い夢をみた。新年すでに七草は過ぎているが、目が覚めて記憶が残った夢をみたのは、これが新年初。初夢? 怖い夢が初夢?!

見えない何かによって、生き物や建物が破壊される。ドッガーン!バッシャーーン!とか、ブフォッ!なんていう激しさを伴うものではなく、人知れず静かに、距離を持って壊される。……すんごい抽象的なのだけれども、そんなイメージの夢。
音も穏やかで、人々の動きも静かなだけに、逆に恐怖感をあおられる感じ。

そういえば、昨日は「内的世界での“遊び”」について書いてみたりしたが、もしやそれが拍車をかけていて、無意識領域によりエネルギーが廻っているんだろうか。
だとしたら、この夢を、いわゆる現実世界でどう扱ってゆけばよいかな?

今回の夢は、「破壊」とか「分断」みたいなキーワードで埋められたような、後味はあまりよろしくない夢だったが、そこに込められたメッセージを自分の中で読み解いてゆくのはけっこうゆかいな作業です。
ファンタジーやSFものの映画なんかも、こういう「夢」との繋がりは切っても切れない関係。とはあちらこちらで聞かれる話。

冬は「仕込み」の季節。なにができるか分からないけれど、出逢ったモノとは躊躇せずに遊び、コネコネとゆっくり捏ねてみましょうかねぇ。


※しばらくアプリ経由でエントリを強いられそうなので、3〜4日分ではなく、1〜2日分をチマチマとアップしてみることにしました。


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