【有刺鉄線】現代アートはコンセプトが命*横浜トリエンナーレ
宇宙のけし粒のような人間の一瞬にも満たない儚い命でありながら、この地球上で同時に生きている存在のかけがえのなさを思う時、直接会える人には今会わないと、直接聞ける人の話は今聞かないと、と思うようになりました。
モーツァルトにもエジソンにもピカソにも会えないし、直接話を聞くことはできないけれど、今同時代を生きているアーティストが、何を考えているのかは直接聞くことができる、これはとても貴重なことです。
横浜トリエンナーレが始まったんだ〜、とスマホをシュッシュしていると、既に骨太なレビューが幾つも上がっておりこれは観に行かないとと思っていると、初日である昨日と今日の2日間のみ、アーティスティック・ディレクターである北京のアーティスト、キュレーターのリウ・ディン(劉⿍)、キャロル・インホワ・ルー(盧迎華)と海外参加アーティストの話が聞けるイベントがあることがわかりました。
こんな貴重な機会が「始まったんだ〜」なんて言っている間に開始2日で終わってしまうなんて厳しいです。海外アーティストは帰国してしまうだろうから仕方ないですね。(会期は6月9日まで)
昨日の分は終わってしまったけれど、はるばる極東日本まで展示しに来てくれる海外アーティストが何を考えて作品を作っているのか、今日聞ける話は聞こうということで横浜美術館へ行ってきました。
全部聞くと13:30〜16:30ですから、展示の方は後日またゆっくり観ることにします。
アーティスティック・ディレクターのお二人を始め5人の海外アーティストの話を一人30分たっぷり聴けて、大変に有意義な内容でした。
特に最後の登壇者ルンギスワ・グンタさん(南アフリカ)の話が深く刺さったので今日はそのことを記事にしたいと思います。
現代アートは「よくわからない」と言われます。それはその通りで、作家が意図したコンセプトを理解しなければ、見ただけではわかりません。
通常、美術館などで歩きながら鑑賞する時、作品を2秒ほどしか見ないそうです。気に入って立ち止まって見たところで、その鑑賞者の内面にあるフィルターを通したものしか吸収されません。あくまでも受け取り方は鑑賞者次第です。キャプションはたいして理解の助けになりません。
この有刺鉄線の作品を見て、観客はどれほどのものを受け取れるでしょうか。
ルンギスワ・グンタさんのお話を伺います。
張り巡らされた有刺鉄線は、幾何学模様を描いたり、結び目のようなものを作ったりしています。それは強制的に移動させられている人々の動線や、なんとか居住空間を作ろうとしている姿を表しているそうです。
南アフリカでは植民地時代やアパルトヘイトが過去のものになったようで終わってはいません。
今も領土、土地をめぐり暴力的対立が続いています。その中で住みたいところに住めない、強制的に移動、排除され、行きたいところへ行こうとすることに危険がある人たちがいるということです。
有刺鉄線は一部緑の布で包まれて、植物のような姿になっています。植物にも複雑な意味があり、手付かずの自然が良いのか、手入れのされない公園は荒れていく、公園を作り維持するには労働が必要、など、公園について思うところがあるようでした。
有刺鉄線にも種類があり、特に危険なレーザーワイヤーは世界各地で禁止されているのに南アフリカでは普通に手に入るという話でした。その話を聞いて、聞き手の蔵屋美香さん(横浜トリエンナーレ組織委員会総合ディレクター/横浜美術館館長)がその場でスマホで調べたところ、日本ではAmazonで買えるということがわかりました。ルンギスワ・グンタさんが色々な国でこのインスタレーションをするにあたり、現地で有刺鉄線を調達しようとすると、イギリスでは使いたいものが手に入らず、アメリカではより危険度の高いものがあったりなどの違いがあるそうです。
日本のオーディエンスにこの作品を通して伝えたいことは……
歴史や文化が違っても、関心を持ってくれればいい。行きたいところへ行くのに危険が伴う、強制的に移動させられる、そういう環境にいる人がいることを知る、何処にでもアクセスできる、できないということについて考えてみるきっかけになればいい、ということでした。
この話を聞いた後に、実際の作品を観ました。
実際の作品の印象は、意外にも柔らかいものでした。一見子どもの遊具のようです。中に入ることもできますが、恐怖などは感じません。
もっと攻撃的な作品になる可能性もあったと思うのですが、ルンギスワ・グンタさんが自身の動機と有刺鉄線に向き合うことで、作品がここまで明るく柔らかいものに昇華されていることに感動しました。
横浜トリエンナーレはフリーパスを購入したので、また何度も通ってレポートしたいと思います。