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ルクセンブルクのコーヒー茶碗
ちがった街の一日のはじまりには、
朝の光と朝のコーヒーがあればいい。
知らない街の気もちのいい店で、
日射しにまだ翳りのある午前、
淹れたてのコーヒーをすする。
人が生まれるときは柔らかで弱々しく、
死ぬときは堅くてこわばっている。
草や木が生きているあいだは柔らかでしなやかであり、
死んだときは、くだけやすくかわいている。
だから、堅くてこわばっているのは死の仲間であり、
柔らかで弱々しいのが生の仲間だ
『老子』のそんな言葉が、
つと生き生きと目の中に立ち上がってくれるのは、
そうした日の朝だ。
堅くてこわばった日々のなかに、
柔かでしなやかなこころを失うことの危うさを考える。
ちがった街では誰に会うこともない。
忘れていた一人の自分と出会うだけだ。
その街へゆくときは一人だった。
けれども、その街からは、
一人の自分と道づれでかえってくる。
長田弘「ルクセンブルクのコーヒー茶碗」より