割烹着とお豆腐
母が父の元に還って三週間が経とうとしている。
それまで見えていた筈なのに見ていなかった母の「モノ」や「思い」や「出来事」に心が翻弄され続けた二週間だった。
葬儀の朝、少し時間が空いたので、生まれ育った家に出かけてみた。ちょっと大げさに言うが僕を作り上げてくれた原点の地だ。
しかし、町はすっかり変わっていた。
ノブオ君や大坊たちと遊んだ狭い路地裏はマンションに続く広いアスファルトの道になり、「花うんうん(作品)」の空き地も松の湯の銭湯もコールタールの電信柱もすっかりなくなり、ともすれば母の背から見上げた夕焼け空さえも幻のように思えた。
胸の奥が締め付けられた。
「 諸行無常 」
形あるものは流れ去り必ず終わる
わかってるよ
わかってるけど
たしかにそうだけど
あまりに虚しすぎる
その時、ふと長田弘(詩人)の一文を思い出した。
「 死ではなく、その人が自分の中に残していった確かな記憶を、私は信じる 」
そうだね
記憶だよね
その唯一無二の母との記憶を残すためにも、僕はこれからも父と母から貰った憧憬という記憶を、寫眞と言葉で綴り続けて行かないとね
帰り際、もう今は無い豆腐屋の角を曲がろうとした時、割烹着を着た母がお豆腐を抱えたまま優しい笑顔で僕に手を振っていた。
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