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北斎発見伝 その1

「北斎はカステラがお好き?」

北斎とカステラ


 葛飾北斎は下戸で甘党好きでした。差し入れられた大福餅を喜んで6、7個と続けて頬張ったと伝えられています。
 ある疑問が湧きました。
「北斎はカステラを食べたのか?」です。
 北斎が活躍した時代(文化・文政)は、江戸文化が大きく花開いた時期と重なります。
食文化も大きく発展し、今や和食を代表する寿司・天ぷら・うなぎの蒲焼等が庶民に広まりました。スイーツも同様で、例えばカステラは、長崎で独自の発展を遂げ、将軍や大名達に貴重な菓子として珍重されましたが、流通や技術の発展により江戸の市民にも食べられるようになったので、北斎がカステラを食べた可能性はありますが、彼が食したのはいわゆる『長崎カステラ』ではなく『江戸カステラ』と考えた方が自然です。

【カステラの歴史や長崎と江戸カステラの違いについては下記のリンクを参照】

北斎とシーボルト


 徳川幕府は鎖国政策を取り、交易ができる国は限られていました。その中の一つがオランダで、長崎の出島に駐在施設(オランダ商館)を置き、通商だけでなく、定期的に責任者(オランダ商館長)が江戸に参府し将軍に当時の世界情勢を伝えていました。
 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、医師としてオランダ商館長の江戸参府に同行したと記録されています。若く野心的なシーボルトは初めて訪れる極東の島国に魅了されます。わずかな滞在時間で様々な日本人と交流し、北斎とも面会しているようです。シーボルトは仕事をオファーしますが、外国人と商売をするのは御法度なので、北斎は断ります。それでもシーボルトは粘り強く交渉します。報酬をはずみ、「日本一の絵師」と誉めそやします。結局説得に折れて北斎はオファーを受けたとされていますが、他に理由があるのかもしれません。

そこで、こんな小話を作ってみました。
場所:江戸日本橋本石町のオランダ宿「長崎屋」で、北斎とシーボルトがテーブルを挟んで向かい合っている(通訳の存在は無視)。
シーボルト(以下シ)「ミスター北斎、あなたの作品を拝見しました。どれも評判通りで素晴らしい!」
北斎(以下北)「・・・・。」
シ「私からも肉筆画のオファーをしたい。もちろん報酬ははずみますよ!」
北「・・・・。」
シ「どうしました?何か心配事でも?」
北「いやなに・・知ってると思うけど、異人と商売するのはまずいんだよ」
シ「はて?以前、私の知人とは取引したのでは?」
北「そうだが、あの頃と違って今は取締りが厳しいんだよ」
シ「それは大丈夫です。ここなら役人にはバレません。」
北「異人は信用ならねぇ」
シ「揉め事があったようですね。その話は聞いていますが、私は彼らとは違いオランダ人でなく医者なので必ず約束は守ります。」
北「・・・。」
シ「あなたほどの絵師は日本中を探しても見つからないでしょう。私があなたの絵を他の絵師と見比べて回りますよ!」
北「やめてくれ!そんなことしたらおいらがパクられちまうだろうが!」
シ「ならば私の故郷の画商に鑑定させましょう。大評判になりますよ!」
北(溜息)
両者しばらく沈黙が続く
シ「ところで、その菓子はお口に合いましたか?」
北「ああ、美味いな。西洋の菓子か?」
シ「カステラです。」
北「カステラ?おいらが屋台で食ったのとはずいぶん違うが?」
シ「長崎で作られたものです。」
北「へぇ、あんた達はいつもこれを食っているのか?」
シ「ええ、気に入られたのなら、江戸にいくつか取り寄せましょう。」
北「本当かい?」
シ「その代わり・・」

その後、世に言う「シーボルト事件」が起こり、北斎は役人の目を気にして、しばらく怯えて暮らすことになります。

あの時、カステラに釣られていなければと後悔したのかもしれません・・・。

日本橋にお出かけしよう!

北斎とシーボルトが面会した(と思われる)長崎屋跡の立看板が地下鉄東日本橋の出口にあります。付近にはショッピング施設もありますので、お買い物ついでに、歴史の1ページに思いを馳せてみては如何でしょうか?

左下の画は葛飾北斎の筆によるものです

長崎カステラがよりどりみどり

日本橋には有名店の店舗や老舗デパートでカステラが販売されていますが、
長崎館では地元でしか買えない様々な銘柄のカステラが売られています。
自分好みのカステラに出会えるかもしれません。

中央区日本橋2丁目にある長崎県のアンテナショップ
人気ナンバーワン商品 須崎屋の形おとし(切り落とし)

初めてブログでコラム(的なもの)を書いてみました。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。